我が国、日本です。
「デフレスパイラル」と言えるかはわかりませんが、少なくとも近代以降で最も早くデフレ経済から抜け出すことが出来たのは我が国、日本です。
ただし、今の日本じゃありません。世界恐慌下、この国を襲った、「昭和恐慌」下の日本です。
高橋是清という人が、国債を日銀に直接引き受けさせ、軍事産業に投下することで、世界恐慌の影響で全世界がデフレに苦しむ中、最も早くデフレ経済からこの日本を脱却させました。
是清は、このとき同時に「金輸出の禁止」、市場に投下した資金が海外へ逃げることを防止するための「資本逃避防止法」を制定しました。これらの政策が互いに連携してデフレ脱却を実現させたのです。
ですが、経済成長率が7%程度に到達したころ、是清はインフレ経済の行き過ぎを抑えるため、日銀による国債の買い取りをやめ、緊縮財政へと移行しようとします。ところが、これが軍部の反発を買い、彼は暗殺されてしまいます。
この結果、誰も日銀による国債買い取りを止めるものがいなくなり、やがて日本は第二次世界大戦へと突入します。
敗戦前後、政府は戦争により生産拠点が徹底的に破壊された中でも国債の発行を行い続けたため、当時の日本は年率300%を超えるインフレを記録しました。