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なぜトルーマン米大統領は日本に原爆投下したのか?
- 広島はウラン型で長崎はプルトニウム型であり、両都市に投下された原爆は種類が異なります。なぜ2種類の爆弾が使用されたのですか?
- 広島・長崎で原爆により30万人もの尊い命が犠牲になりました。この時、まず日本に来たアメリカ人は、医者ではなく科学者でした。なぜ「治療」よりも「科学的分析」の方が優先されたのでしょうか?
- 広島の原爆投下が8月6日で、日本の降伏が8月15日であり、この事実から「原爆は戦争終結を早める効果があった」と言えるかもしれません。しかし、もしアメリカが原爆を投下しなかったなら、日本はいつ降伏したと思いますか?
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要は日本を早急に降伏させソ連が介入してくる前にドイツの様な分割占領を避け 日本はアメリカの一国占領にしたかったのが真意でしょう しかもドイツとは違い日本はアメリカに直接戦争を仕掛けてきた国です 戦争を仕掛けてきた国に他の国家の介入なく完勝するのは苦しい戦いを耐え忍んだ国民に対するアピールでもあるわけです トルーマンは容共的なルーズベルトとは違い スターリンが具体的に留萌~釧路以北の北海道分割(恐らくスターリンの意図はオホーツクの完全内海化)を要求してきた時 トルーマンは断固拒否しました トルーマンの心内は日本の一国占領で決めていたからでしょう あとドイツに投下しなかったから人種差別的攻撃であるという主張はとんでもない全くの誤解です 既にドイツに対する投下爆弾総数は日本に対するそれの実に11倍です 特に欧州戦末期の無防備都市に等しいドレスデンに対する無差別爆撃での死者は14万人 原爆被爆犠牲者とあまり変わらない数です ドレスデン爆撃の後、連合国はもはや爆撃できるドイツ都市はないと判断されたぐらいです もう一つ 1942年6月ルーズベルトはある警告を日本に発しました 日本が中国大陸で化学兵器を使用していることを中国から知らされ ルーズベルトは米陸軍の化学戦専門の将校を派遣し調査し日本の化学兵器使用を確認したため ルーズベルトは 「日本が化学兵器の使用を続けるならば我が国もそれに準ずると同様の兵器を使用する」 と警告を発しました この警告後、日本は大規模な化学兵器使用を控えますが 小規模には使用を継続し太平洋戦域も化学弾の備蓄をしていたのは紛れも無い事実です 長文失礼致しました
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- asasinn1234
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1の回答ですがウランの原子爆弾は作りやすいがプルトニウムの原子爆弾は作るのはむずしいからと威力の違いを知りたかったんではないでしょうか 3の回答、本土決戦か反乱がおきたのかのどっちかかもしれないです トルーマンが原爆を投下した理由は日本が降伏せず戦争が長引いて自国の被害が大きくなるのを防ぐためでないでしょうか
- hekiyu
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1,実験だからでしょう。 ドイツに落とさず、日本に落としたのは人種差別の思想が 根底にあったからだ、という意見が強いですね。 東洋人で人体実験をしたのだ、というのです。 2,これも人体実験だからでしょう。 尚、南京を30万にしたのは、これと数字を合わせるためだ という説があります。 3,解りません。 4,ハルノートで有名なハルは、日本人のことを「人間ではない だから、殺しても良心を痛める必要はない」と明言しています。 ちなみに、ドイツイタリアに対しては、あいつらは米国に来られな かった臆病者だから、殺しても、と言っていますね。 5,何か、誘導されているような気分になりました・・。 社会主義国であるソ連が日本を侵略したら困る、という計算が あったのでしょう。 6,実験とソ連の侵略を懸念したのだと思います。 原爆投下が無かったら、日本はドイツのように二分されて いた、という説もあります。 尚、天皇を残したのも、社会主義に対する防波堤の役割を 担わせるためだ、という説があります。 天皇制と社会主義は相容れませんから。
- m-jiro
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(1)広島は質量起爆型、長崎は密度起爆型です。密度起爆の方が少ない核物質で大きな爆発力となりますが、構造は極めて複雑です。トリニティーで密度起爆型の爆発に成功してはいますがたったの1回だけです。広島に密度起爆を投下してもし不発だった場合そのノウハウが流出してしまうことを恐れたといわれています。このノウハウは最高の国家機密でした。 質量起爆型は構造は簡単で米国は確実に起爆させる自信があったし、もし不発でノウハウが流出しても機密というほどのものではなかったのです。 (2)実験だと考えていたからでしょう。それに米国はこれほどの被害が出るとは思っていなかったようです。その後ビキニなどでも原爆実験をやりますが、随分近くで見学させたりしています。放射能の影響も軽く考えていたようですね。 (3)小生にはわかりません。 8月15日に降伏したのは原爆よりソ連の参戦の影響が大きかったでしょう。日本は降伏後の国体(天皇の地位)にこだわっていました。ポツダム宣言を無視したのもその保証がなかったためです。一部の米国高官はトルーマンにそれを進言したようです。これが通っていれば7月中に降伏していたかもしれません。もしそうならその後の日本は現在の日本とは相当に様子が違っていたでしょうね。 (4)持っていなかったと思いますね。米国人は「米国が存在することそのものが正義」と考えていますから米国に楯突く者は皆賊軍です。 (5)原爆。しかしスターリンは最初は原爆の威力を理解できなかったようです。ですが間もなくソ連も原爆を開発したので睨み合いになったのは御存知のとおり。 「冷戦の開始を予測していた」というより冷戦の原因を作ったのは米国だと思っています(ヤルタの密約が原因)。 (6)以前同じような質問がありました。小生の愚考をご覧ください。http://okwave.jp/qa/q2608936.html この11番です。
- mekuriya
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(1)実験だからです。もしセシウム型原発なんてものがあったら、3発落としていました。 (2)実験だからです。データを取ることに意味があったのです。 (3)同じです。日本はソ連の対日参戦を知ってポツダム宣言受諾を決めたのです。ソ連の対日参戦はヤルタ会談の密約にとってルーズベルト・スターリン・チャーチルによってドイツ降伏の3ヵ月後に決められていました。アメリカはソ連が対日参戦する前に2発の実験を完了させる必要がありました。そのような密約の存在を知らない日本はポツダム宣言に加わっていないソ連に一縷の望みを託して講和斡旋を依頼していたのです。その一縷の望みはソ連の対日参戦によって打ち砕かれた。 (4)いいえ、敵意を持っていました。第一次世界大戦によってロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア帝国、オスマン帝国の4つの帝政が崩壊し、英仏も戦勝国になりながらも荒廃しました。大戦後、一挙にのし上がったのは大日本帝国とアメリカです。アメリカが世界覇権を確立する為には日本だけが目障りだったのです。戦後アメリカは真の敵が共産主義であることに気づきました。しかしルーズベルトは狂信的な人種差別主義者であり日本を憎むあまり、スターリンと手を結んでしまったのです。 (5)朝鮮戦争とベトナム戦争への介入です。それはソ連・中国の共産主義陣営も同じです。 (6)原爆実験の準備ができた時にまだ降伏していないのは日本だけだったからです。他に選択肢はありませんでした。ネバダ砂漠で実験をするなら平時でもできます。生の人間、生の都市施設で実験できるのは、あの時がラストチャンスだったのです。
- kuni-chan
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(1)核実験だからです。2種類作ったのですからどちらも威力を確かめたいでしょう。 (2)日本人の命は考えていなかったでしょうし、治療法がわからない状況では誰が行っても同じでしょう。 (3)アメリカに戦争を終わらせる気があればもっと早い時期に終結していました。 (4)思っていないでしょう。 (5)核兵器を使う事により、「アメリカに対して戦争するとこうなるぞ」と見せるのが一番です。 (6)巨額の費用を投じて開発した核兵器の威力を確かめるのに自国民に対して人体実験は行えませんからこの機会しかありません。あと、未使用で終わったら国家予算を浪費した責任を追及されます。
あくまでも推測ですけれども、 1)ウランとプルトニウムではどちらが効果的か知る為(かな?) 2)原子爆弾による実害被害の調査の為(かな?) 3)日本は一時「ポツダム宣言」を黙殺しました。宣言が成されたのが7月26日。素直に受け入れていれば、8月6日以前に降伏していたと思います。 4)それは分かりませんが、終戦後の占領軍の日本人に対する態度を見れば、日本国民に対しては比較的優しかったと思います。 5)それこそ原爆投下じゃないでしょうか 6)ポツダム宣言13か条最後の条文はこうです。「全日本軍の無条件降伏。以上の行動に於ける日本国政府の誠意について、同政府による保障が提供されること。これ以外の選択肢は、迅速且つ完全なる壊滅のみ」。トルーマンは日本が言う事を聞かないから「迅速且つ完全なる壊滅」を実行したまで(?)