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日本語の無生物主語について質問です。

日本語を勉強中の外国人との会話だと思ってください。 外「『地震が一瞬にして町を破壊した』って言うよね?」 僕「うん。」 外「『地震が私の家を壊した』は間違いって習ったんだよ。」 僕「…言わないね。『私の家は地震で壊れた』って言うね。」 外「どうして?」 答えられなかったので、お知恵拝借です。どうして前者は言うのに後者は言わないのでしょう? 知識でなくても、「こんなんかも?」という思いつきでもかまいません。よろしくお願いします。

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回答No.2

○『地震が一瞬にして町を破壊した』 ×『地震が私の家を壊した』 地震が町全体を破壊することはあっても、 地震がピンポイントで(狙ったように)「私の家」を壊すことはないからでは? ☆『私の家は地震で壊れた』 この場合は、地震で壊れた(多数の)家のうちの1軒=「私の家」 という解釈になるのではないかと思います。

noname#160411
質問者

お礼

>地震がピンポイントで(狙ったように)「私の家」を壊すことはないからでは? あまりに意志的なものが感じられるから、ですかね。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.5

この質問の例文はどれも、文法面での「間違い」との断定はできません。 ただ、より多くの人たちに分かってもらいやすい自然さがいかほどなのかという、日本語としての表現様式の上での対比のレベルや表現のこなれ具合をどう感じるかという問題といえるでしょう。 そのために、幾つかのチェック・ポイントを上げてみます。 1.主格(ガ格)→デ格 指示代名詞や無生物については主格助詞によらずに、意味上での動作・状態の主体や対象をデ格で示す。 「これで会社を辞めました。」←「これが会社を辞めさせた。」 「警察で調書を取られた。」←「警察が調書を取った。」 2.親密度の相対位置関係 書き手から見て、主格の方が目的格よりも親密さが濃い関係が自然。 私があの家を壊した。 象が私の家を壊した。→私の家はあの象で壊われた/あの象に壊された。 (私の飼っている)この象のメリーが(他人様の)あの家を壊してしまった。 3.自動詞の自然性・優位性 動作主がいて、対象に何かを働きかけた場合でも、はっきりとその動作に意思が及んでいるニュアンスでは他動詞遣いなのだが、あえて意志によらないでその動作の対象の変化の結果に焦点を当てたい場合は自動詞遣いとなる。 <地震が家を壊した。> 「(車掌が)ドアを閉めます」…これからドアを閉める行為を予告。 「(車掌が)ドアを閉めました」…ドアを閉めた結果、もう開かない&開けないことを予告。 <地震で家が壊れた> 「(この電車で)ドアが閉まります」…今にもドア閉めが進行しつつあり、すぐにも閉まる結果となることを予告。 「「(この電車で)ドアが閉まりました」…無事ドア閉めが完了した報告と次の発車の予告。 4.動詞の持つ適用の特性 他動詞の対象であっても、その動詞の主たる目的物によって扱いが異なってしまいます。「倒壊」はビルなど建造物、「破壊」は橋など構造物、「壊す」は時計など製品…といった具合です。 特に二字漢語のサ変動詞においては抽象性が高いため、規模の大きい自然現象との相性が取れやすく、他方で和語の方は個別的にして具象性が強いので生物主体には馴染みやすく、従って自然現象や無意志主語とはニュアンスの齟齬が生じやすいきらいがあります。

回答No.4

>地震が一瞬にして町を破壊した この表現は、60代にとっては、十分?な違和感があります。 質問者さまの周囲では、言うのかも知れませんし、マスコミで使われるのかも知れませんが・・・ 地震が一瞬にして私の(住んでいる)町を破壊した は、感覚的にどうでしょう? 無生物が行為者とすることが可能な、外国語の表現借用かも知れません。 「なぜ彼女はそうしたか」を「何が彼女をそうさせたか」と表現する場合があります。 又は、既出ですが「擬人化」?

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 日本語以外の言語、ヨーロッパ系の言語では「名詞」には一人称・二人称、そして「三人称」があります。 質問者様が中学校の一年生の時、英語の授業で初めて耳にした言葉がありますね?。、「三単現のS」です。  これは「一人称」の「ぼく」「わたし」、「二人称」の「きみ」「あなた」と異なり「彼」「彼女」「それ」として、「話の中での対象とされているもの」を指し示す概念です。  こうした人称名詞の概念を持つ文化の方ならば、「地震が私の家を破壊した」との表現をしても不自然とは思われません。  「地震が一瞬にして町を破壊した」と「地震が私の家を破壊した」の文章の違いは、前者で「破壊されたもの」が表面的な意味合いとして「町」であっても、実際は「そこに住む人々の生命とその生活していた住宅などの生活舞台」を含む表現であり、それを話している私(実際には表記されていない)からみれば「三人称の存在」と理解できます。  一方の後者では「話者」と「話の中の主人公」が同一人物です。こうした「話者と話題で対象にされている人物」が同一であるかどうかの違い、があるような気がします。  日本語の文法体系では余り意識していない問題でしょうね。 

noname#160411
質問者

お礼

>前者で「破壊されたもの」が表面的な意味合いとして「町」であっても、実際は「そこに住む人々の生命とその生活していた住宅などの生活舞台」を含む表現であり、それを話している私(実際には表記されていない)からみれば「三人称の存在」と理解できます。 私が住んでいた町だったらどうなるんでしょうね。 回答ありがとうございました。

noname#227653
noname#227653
回答No.1

専門家ではありませんので私見です。 「~を~する」というかたちの表現の場合(目的語を伴った動詞、という表現でいいのでしょうか。英語で言うと他動詞でしたっけ)、人間その他の生き物が意思を持ってその動作をしているように思えますよね。違いますかね。 「(人が)荷物を運ぶ」「(犬が)餌をみつける」など。 だから「(日光が)洗濯物を乾かす」「(おいしいランチが)私の機嫌を直す」というような表現をすると、日光やランチがそういう意思を持って洗濯物を乾かしたり私の機嫌を直したりするように感じます。だからこういう言い方は一般的にはしませんし、同様に「地震が町を破壊した」「地震が家を壊した」とも一般的には言わないのではないかと思うのですがどうですか。地震には意思はありませんからね。 「壊れた」ですと「~を」を必要としないので、主語の意思の有無とは無関係に使えるのだと思います。 そして、地震がまるで意思を持っているかのような印象を与える表現、つまり擬人法的な表現にしたいなら「地震が家を壊した」「「地震が町を破壊した」も使える、ということになります。 あれ、でも「(この物質は)強い放射線を出している」とは言いますね。物質には意思はないのに。 でも「(この物質からは)強い放射線が出ている」という表現に比べると、物質にある意思があって放射線を出している、という擬人法的な表現になっているような気もします。ならやっぱりこの理論でいいのかな。 自信のある回答が書けなくてすみません。

noname#160411
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

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