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てんかん患者の事故について
京都でてんかん患者が自動車運転事故を起こしました。 まだ解明されていない部分もありますがおそらく引鉄になった ことは間違いないですね。 てんかん患者は自己申告すれば自動車運転免許を取れるし 更新もできるそうですがそれは自己申告だそうですね。 やはりまだ差別が現実にあるしそれを踏まえての申告は難しい と思います。しかし今回の事故や前回のクレーン車の事故も そうですが自己申告せずに免許を取る人が増えそうですね。 それを防ぐ手だてはありますか。また国会でてんかん患者の 免許を全て取りあけるような法案が出る動きがあるのでしょうか。
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#2です。 他の回答者さんも回答されていますが、てんかんの患者さんだけが、という 問題ではありません。 更新の書類の既往症?あたりの記述する所には、どの病気のことでも 書けるようになっています。 ただ、もし、例として「てんかんだけ」規制をすることがもしあったとしたら、 国は、てんかん患者の方が、今まで免許を取得してきて、利用してきたが 利用できなくなった所を補てんしなければならない部分があるでしょう 一例として、有効な運転免許を所持しているてんかん患者が10万いたとして、 そのうちの1割(そこまでいないはずですが)が、車を使用した職業に ついていると仮定すると、 年間240億円以上(1人月20万の補てんと仮定)を国が補てんとして 支払わなくてはならなくなります。 てんかんの患者さんが、車を使用して生計を立てるのも、訳がありますので。 てんかんといいましても、発作はほんとうにいろいろな種類がありますので。。。 ※うちが倒れる現象は、医者によるとてんかんではないそうです。 p.s.前に住んでいた所のタクシーの運転手さんが、てんかんの患者さんということもありました。
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度々の回答、ありがとうございます。 >いえ、配慮が足りません。 確かにそうなんですが。 でも今回は、前代未聞のことが起きたんです。 まず、事故の直後に、放送で病名を流すべきだという声が上がったのは、おそらく患者達の側からです。 日本てんかん協会からだと、私は見ています。 てんかん学会が動き出したのも、結構早かったかもしれません。 放送局はその意図を理解し、受け入れたからこそ、今までの決まりごとを破って、放送することを決めたのです。 決めてから実際に放送されるまでにも、その内容について、放送の仕方について、相当の話し合いや打ち合わせがなされただろうと思います。 私は最初に聞いたNHKのニュースでは、肝心なことを視聴者に聞き逃してもらっては困るという、キャスターの思いも感じました。 たった一日・・・その動きの早さ、決断の早さには驚きました。 寝る暇のなかった人もいたんじゃないでしょうか。 国会も見習って欲しいです(笑)。 患者への非難の声が高くなればなるほど、その反論の声も高くなります。 協会も学会も、すでに承知済み、覚悟も決めているようです。 長い間関わってきた者には、それが短いニュースからも見て取れます。 お解かりいただけますでしょうか。 まあ、これからどんな方向に行くかは、まだ予想の段階ですけどね。 私はそれほど悪くは考えていません。 39425971さんの声も、良い方向へ向かっている兆しのように思います。
- nabeyaki
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なんでも差別差別って騒いでたからこんなことになってると思います。 差別だと主張するのは、差別を盾に言いたいことを押し通すだけにすぎない。 以前から、事故も起きていて管理されているから安全というわけでもない(薬の飲み忘れや飲まないこともあり得る)ことが今回で明白になったのではないでしょうか。 障害者の人権ばかりを主張するのは、健常者を死傷させてなお果たして本当に良いことなのか? そして、てんかんは起こそうと思って起こしていない。だから、罪が軽いというものこそ差別。差別を主張するなら、特別処遇に対する区別にも主張すべき。 それに、チェック機構も甘い。 この類いは、罹患者だけが悪いわけではなく乗せてしまう環境を作る側にも責任がある。既往歴のチェックなどなどが甘い。
お礼
あなたは差別を知らない。以前映画館でてんかんを起こした人に 持っていたポテトチップスを投げて「気持ち悪いな、早く出て行けよ。 そんな病気持ってんなら映画なんか見るな」 「やーねぇ、泡吹いて倒れているよ。なんかやだ。こっちまで気分が 悪くなるからやめて」 「こっちは映画を見ているんだ。邪魔するな」 こういう差別の言葉をどう思う。
再々。 >しかしてんかん患者の事故も続いているのも事実。それを >どう防ぐかも考えなくてはいけません。 そうです。 でもそれを考える前に、多くの人はあまりにも知識が足りないのです。 意見書が出されたのも、そのためです。 事故のニュースは、その点も配慮して流されているのです。
お礼
いえ、配慮が足りません。差別をする人間からすれば 「それみたことか。運転免許なんか取らせるな」と言わ せるものばかりです。 その連中からすれば事故にあった人間は健常者で てんかん患者は障害者。人間として同等に見ていない んです。
再度。 >一概に規制してもいいのでしょうか。 いえ、していいとかしてはいけないの問題ではなく、規制は出来ないんです。 交通事故につながりかねない病気は、他にもたくさんあるからです。 てんかん患者だけを規制するということは、てんかん患者を差別することと同じです。 そんな法案が上がることは、今の日本にはあり得ないのです。 意見書が出たとの事。 被害者の方の心情は理解できます。 出ても当然なんですが、それが通ることもあり得ないです。 そのような意見書が出る根本原因は、てんかんに対する誤解、無理解だからです。 被害者のご家族への批判ではありませんよ。 これが日本の現状です。 >実際に差別をする人間はこれ幸いに声を上げるでしょう。 >しかも差別とは無縁の被害者の家族も巻き込んでの大合唱となるかもしれません。 このことを避けるために、相当の配慮をしながら、ニュースは流されています。 惨事を伝える時、常にてんかんへの理解も得ようという姿勢です。 その影響も見て取れます。 ですから、多少の声が上がることはわかりきっていますが、ここまでの憂慮は、多くのてんかん患者もあまりしていないと思います。
お礼
そうですか、法は立法府である国会で法案を審議して裁決 となりますね。もしそんな法案が通ったら大問題になるでし ょうから。 しかしてんかん患者の事故も続いているのも事実。それを どう防ぐかも考えなくてはいけません。
問題を見間違えないで。 事故を起した人がしたのは、法律違反。 そんな動きは、あり得ないです。 http://okwave.jp/qa/q7417907.html
お礼
先日、クレーン車の事故で子供を失った親の方が 国土交通相に意見書を出しました。やはりてんかん 患者への法規制が主な内容だったようです。 被害者の心情からすれば当然と言えるでしょうが 一概に規制してもいいのでしょうか。疑問も残ります。
- 春原 なの(@ymda)
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てんかん(+@)持ちですが、普通に、大型車の運転を医者から認めてもらっています。 (今後使うかはわかりませんが) むしろ、病気持ってからは、うちが運転する車では、無事故になっています。 ただ、ニュースから写したのですが・・・ 「てんかんの症状で通院し病院からは運転を止められていたということで、」 ということで、その方が、本当は、無資格に近い状態での運転になるのでは?ということが 考えられます。 危険性をその方が(車の)運転手が認知してればいいんですが、 実際に、免許の更新講習で、「てんかんは・・」というようなことを、1度も言われません。 (ただし、受ける前の書類には、記載されています) これらの事もあったり、その方が通っている医者の方が、車の運転は危険と 言わなかったせいも一理あるかもしれません。 そういう意味で考えると、もし、加害者が、こういうことで無知であれば 部分的ながらも、免許の更新を受け付ける警察にも、お医者さんにも、責任があると 感じられます。 ちなみに、てんかんの場合、正規には免許センターに、医師の所見書の 提出が、てんかんと診断された時の初回の更新の時に必要になります。 (診断書までは不要です) p.s. 教習所で、てんかんが・・というふうに、習った記憶がないとは思いますが・・・ いかがでしょうか?
お礼
実際に差別をする人間はこれ幸いに声を上げるでしょう。 しかも差別とは無縁の被害者の家族も巻き込んでの大合唱 となるかもしれません。 それにどう対応するかでただ権利だけを主張してきた患者側 も規制を受けるかもしれません。 自己申告制度ではなく医師からの通達で強制的に免許を剥奪 されたらこれまでのてんかん患者や支援者の活動が無意味 になってしまうこともありえます。 現状はあなたの言われるとおりですがこれからどうなるのかが 問題なのです。
- yasuto07
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何のために、あり得ないのでは。
お礼
そうですね、要は行政のフォローが足りないということですね。 てんかん患者に運転免許を与えるだけでは片手落ち、医師 から運転を止めるように言われた人には行政がそれを確認 できるシステムが必要になる。ということですね。そして免許 の更新を諦めさせるか返還させるかを促すことも必要でしょ う。実際に高齢者はそうなっています。運転に適さない条件 の人は仕方が無い決断と言えるでしょう。