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風潮被害から起こる人権侵害
はじめまして。先の国会で[てんかん]患者の自動車運転規制・罰則が盛込まれた法案が可決されました。 「てんかん」という病名が法律上(交通法)の規制に挙がったことにより、「てんかん」患者の方は今後あらゆる場面で、社会的規制を受けるのではないかと、感じます。又この法可決のきっかけとなった、交通事故被害者家族の方々が署名運動により法案が可決に至ったと、私は感じます。 「法律」で「てんかん」患者を規制することは、人権侵害に当たるのではないかと思います。
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てんかんによる無関係な通行人が事故に遭って無くなることこそ人権侵害です。てんかん患者は大人しく運転しなければ人権侵害となりますがてんかんを隠して運転するからこの法律ができたのであって、決しててんかん患者の人権を侵害してはいませんよ。要はてんかん患者が静かに暮らして入れば問題ありません。
kikoritech さんは、ちょっと誤解もあるようです。 盛り込まれたのは罰則です。 私はてんかん患者ですが、これを人権侵害とは全く思いません。 被害者家族の署名運動は、免許を取得できないてんかん患者が運転した場合の罰則の要求であって、全てのてんかん患者への規制の要求ではありません。 ご家族たちの要求は当然のことと思います。 日本てんかん協会(患者の会みたいな協会です)でも、そうとらえているはずです。 規制は2002年に緩和されました。 道路交通法の改定で、てんかんであることが、絶対的欠格事由から相対的欠格事へ変更されました。 てんかん患者とは、抗てんかん剤を服用している者であって、必ずしも意識障害や運動障害を起こさない。 なので、条件を満たせば免許を取得できるようになったのです。 今年加わったのは、法律違反に対する罰則です。 免許を取得できない者が、申請せずに運転した場合の罰則です。 2002年の規制緩和の際、なぜこの罰則も加えておかなかったのか、私は疑問です。 これは国会の落ち度ではないかと思います。 自ら申請したり、免許を取り消す人が増えたのは、クレーン車事故や祇園の事故の後です。 規制緩和と罰則が同時なら、クレーン車事故の悲劇はなかったかもしれません。 また、2002年に規制緩和され、今回罰則が加えられたのは、てんかん患者だけではありません。 てんかんなどの・・・です。 幻覚を伴う精神障害のある者、発作により意識障害や運動障害をもららす病気である者、安全運転に支障を及ぼす病気である者、アルコール・麻薬・覚せい剤等の中毒者なども入ります。 >患者の方は今後あらゆる場面で、社会的規制を受けるのではないかと、感じます。 私は全く逆に感じます。 こうした規制の緩和と罰則を明解に出すことで、すべての患者が発作を起こすわけではない、運転に支障はない人もいるという理解は、以前より進んでいると思います。 まあ、少しずつですが。 追加ですが。 日本は、てんかんへの理解が大変低い国です。 現在の緩和された規制も、世界的に見ればかなり厳しいです。 これ以上厳しくするなら、おそらくWHOからの批判は免れないだろうと思います。 また風潮被害への構えは、ニュースを流すマスコミにはすでに出来ています。 祇園の事故の際、テレビや新聞を見ていて感じました。
「てんかん」患者を規制することは仰る通り人権侵害です。でも規制しなければ無関係な通りすがりの市民に重大な被害を及ぼします。一部の少ない「てんかん」患者の人権を守るより多くの市民の安全を守る、すなわち市民の人権を守る方が必要なのです。「てんかん」患者が大人しく運転せずにしていれば事件は起きません。それを「てんかん」患者は出来ないから規制が強化されたという事を貴方は理解して下さい。
- key00001
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見事に質問が書かれてませんね。 人権侵害(≒差別)かどうかは、合理的な理由の有無で決まります。 また、合理的な理由かどうかの判断は、法案が可決された時点で、まずは違憲立法審査にかけられますし、訴訟が行われた場合は、最終的には司法が行います。 それに対し、「思います」「私は感じます」などは、余り意味が無いですよ。 私個人は、「合理性がある」と思いますが・・。 運転規制は、てんかん患者のみではありませんので。 また法令の要請では無いですが、例えば心臓にペースメーカーを埋め込んでいる方などは、運転しない様に要請されています。 クルマやバイクが大好きなのに、それらの運転を自重している人も、実際に大勢おられるんですよ。 運転適性が極めて低いとか、明らかに欠格者であるにも関わらず、一部の不心得な人によって、この様な法制化が進むことは、残念とは思いますが・・・。 しかし、既に正しく我慢や自重している人にとっては、実害は全く無いのでは?とも思いますし、そう言う「正直者が損をする」社会であってはいけないのではないですかね? 何より、運転免許の欠格が、たちまち社会的規制に繋がると言うのも、かなりの飛躍でしょう。 逆に言えば、法規制に関わらず、一部の病気などに対し、既に「偏見」や「差別」が存在することは、事実・現実です。 履歴書に「てんかん」と書いてあっても、快く採用する既得な企業など、圧倒的に少数派でしょう。 そういう事実・現実を無視して、理想論を語っても、社会は良くならないと思いますよ。 それら事実・現実を直視したり受け入れなければ、障害者などへの各種支援法も作られません。 病気を理由に規制するなら、それとセットで、適切な支援法も考えると言うのが、現実に即した解決策ではないですかね?
お礼
ご回答有難うございます。 大変参考になりました。
お互いの理解を深める一歩と考えられないでしょうか? 先般の事故について考えれば、本人も自分が「てんかん」であり、「クスリを飲まなければならない」「申告しなければならない?」と言った行為を甘く見ていたところもあるようです。 また一般人が、身近にそういった人がいればどう接したら良いかも分からない点が多々あります。使用者側も「聞いていなかった。」としていますし、たとえ聞いていても、何に対して気をつければ良いか分からない事がたくさん合ったのではないでしょうか? 不幸にして犠牲者が出てしまった以上、それを見過ごしたり、知らなかったではすまさない為の方策(法案)と考えます。 最初から完璧なものはなかなか作れませんし、医学も多少なりとも進歩しています。徐々にですが良くなって行くと思います。 事件は事実として存在する訳です(被害者、加害者も存在します)。人権という言葉は、非常に重いものと思いますが、生命はもっと重いものだとも思います。
お礼
ご回答有難うございます。大変参考になりました。
- hideka0404
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ならないと思います。 児童虐待の通報を医者がするのと一緒で、どちらに「公」の正義があるかによると思います。 癲癇であることを隠蔽し、または報告しないで運転業務を行うことの危険性は計り知れませんし、周知の事実です。 これは、視力0.8以下の人に免許交付できないのと一緒で、安全が担保できないからであり、けして人権侵害にはあたりません。
お礼
ご回答有難うございました。 大変参考になりした。
お礼
ご回答有難うございます。大変参考になりました。