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会話は大阪弁、文章は標準語。なぜ?

普段大阪弁で話しているのに、 なぜ文章は標準語なんでしょうか? (チャットとか見てもそうだし・・・) また上記のことからして、標準語で会話することができるんでしょうか? まあこれは大阪の人だけとは限らず、普段方言で 話している人にも言えることですが・・・。 変な質問ですいません。

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noname#2509
noname#2509
回答No.6

私は普段は大阪弁をしゃべっています。 文章の時は、相手次第で変えます。 近所の友達にメールするときは大阪弁やし、 大阪弁が好きやから使ってーって言われれば大阪弁で書きます。 でも、大阪弁が分からないかもという人を相手に書く時は できるだけ標準語で書くようにしています。 それにチャットも私は大阪弁でガンガンしゃべってます(^^ゞ ただ、変換しにくいのが問題。 多分、標準語でチャットをする人達は、 1.変換しにくい 2.相手に大阪弁が通じるか分からない という状況からじゃないかな?と思います。 あと、文章は標準語で書いていても、 私の頭の中では大阪弁のイントネーションで流れています。 だから、会話をしても、言葉は標準語なのに イントネーションは大阪弁という とっても気持ち悪いものになっています(-_-;) 結局、標準語がしゃべれてないんかもしれません(^^ゞ

ishmaster
質問者

お礼

ありがとうございます。わかりやすいですね。 関西の人のチャット仲間は多いのですけど、みんなして標準語(希に方言が出る程度)だったもんで気になってました。 変換しにくいといえば、標準語の口語(というより東京弁)自体もそうですけど、相手に通じやすいようにって方が大きいんでしょうねえ。

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noname#2543
noname#2543
回答No.9

 前の方も指摘されていることですが、「話す」という行為と「書く」という行為との間には、思いがけないほどの隔たりがあるのです。  つまり、発音器官があるだけでは話せないように、文字があるだけでは書けないのです。いづれも、お手本が必要なのです。すなわち、現代でいえば、両親の話し言葉を真似、教科書の書き言葉を真似、「話す」あるいは「書く」ための思考回路を形成するのです。  ある言語が、書き言葉を獲得するのは一つの文化的な革命です。  例えば、中世ヨーロッパでは、まともな文章は全てラテン語で書かれました。しかし、ダンテがイタリアの俗語を文学にし、シェイクスピアが英語の名文を示すことによって、それぞれの言語に書き言葉が発生したのです。  だとすると、誰かが大阪弁で名文を書き、それを多くの人が真似れば、大阪弁文学も成立するはずです。  なお、標準語内部でも、書き言葉の語彙・文法と、話し言葉の語彙・文法が異なるのはすでに指摘されたとおりです。

ishmaster
質問者

お礼

ありがとうございます。 中世ヨーロッパでは、文章はラテン語で書かれていたとは知りませんでした。

  • nabayosh
  • ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.8

まあ、会話は相手が何者であるかわかっているから地方語で話せるけれども、文章はどんな相手にいつ読まれるやらわからない。わかっている場合もあるけれども、チャットなどは日本人に限らず外国人も見ているかもしれない。その場合、やはり標準語を使った方が訴える力が大きいというのはありますね。 標準語で会話することができるか、ですが、やはり訛というのは抜けないと思います。ただ、標準語の表記にのっとった文章を訛をつけて読む、ということはありえると思います。

ishmaster
質問者

お礼

ありがとうございます。 TVとかで普段標準語を聞いていても、訛りだけはどうにもならない。逆に言えば、東京の人間が大阪訛りで話すのも無理があるということと同じなんでしょうねえ。

  • ajaja622
  • ベストアンサー率11% (19/165)
回答No.7

大阪ではないですが、地方出身者です。 田舎の友人には手紙もメールも方言で書きますが、自分と同郷でない人には標準語で書きます。 理由は、意味が通じないことがあるのと、メールとかだと変換が面倒くさいから。 同郷の友人でも、メールの変換が面倒くさいから標準語で出す人もいます。電話だと標準語です。

ishmaster
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり下記の回答と同様意味が通じるようにってのがポイントなんですね。

  • Naka
  • ベストアンサー率44% (527/1181)
回答No.5

◆Naka◆ 私は専門家ではないので、素人考えですが… それは、方言云々という話よりも、口語と文語の違いから来るものではないでしょうか?? 標準語を日常的に会話で使っている人も、実際に話している言葉と書いている言葉にはかなりの差が認められますよね?? (確かに方言の方が、その差は大きいですが…) その原因がどの辺りにあるのか考えてみたんですが、文章の中では普段会話に用いている言葉のイントネーションや強弱、感情が直接的には伝わりにくい、という特性があるからではないでしょうか? そのため、最大公約数に対してなるべく正確に伝わるようにする必要性から、標準語がポピュラーになっているものと思われます。 また、もう一つの理由として、口から出る言葉は、全て頭の中で文として構成された後に出てくるものではない、ということも挙げられると思います。 そういった意味からも、文語をそのまま会話のセリフにするのは困難ですから、特に通常方言で話している方が、標準語で会話を続けるのは、疲れを伴うかもしれませんね。

ishmaster
質問者

お礼

ありがとうございます。 逆に文語をそのまま会話にするってのは無理がありますね・・・。

  • yoyoyo
  • ベストアンサー率22% (133/601)
回答No.4

だってー 「わからへん」って変換すると「輪から変」とかなるし 「なにいうてんねん」を変換すると「奈に言う天然」とか なるんやもん~~ いちいち直すのめんどくさいやん? その点標準語やったら楽やしね。

ishmaster
質問者

お礼

ありがとうございます。 やっぱ、変換がめんどくせーってわけもあるのか・・・。 確かに関東の人間も普段話している言葉そのまま文にする時の変換もめんどくせーっすけどね(笑)

  • n_kaname
  • ベストアンサー率22% (694/3099)
回答No.3

学校教育では標準語で指導する事になってるのではなかったかな・・・ だから授業で使用する教科書は標準語。国語ももちろん標準語。 なので必然的に書き言葉も標準語になるわけです。 まー本当のところは文章を関西弁にすると読みにくい、の一言なのかも知れませんが。

ishmaster
質問者

お礼

ありがとうございます。 前に関西弁で書かれたページとか見かけたんですけど、 やっぱ読むのは大変でしたねえ(笑)

  • ametsuchi
  • ベストアンサー率31% (81/257)
回答No.2

基本的に、話し言葉と書き言葉は違います。「言文一致」などと言って日本でも、中国でも文語体が廃れましたが、大阪だけではなくて東京でも実際に話されている言葉と文章の言葉は全く違います。英語でも基本的に同じでしょう。 大阪弁をそのまま書き言葉にした「怪人21面相」は、善悪は別とすれば、画期的な試みでした。助詞の「へ」や「は」も「え」、「わ」となってました。ある意味革命的なことです。あの脅迫状の名文句はいまだに頭にこびりついております。

ishmaster
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに文語と口語は違いますけど、 東京のようにその差が大きくないとあまりその点気になりませんねえ。 文章書くときもお堅いものでなければ、普段話しているような言葉で書いてますし・・・。

noname#24736
noname#24736
回答No.1

大阪弁に例を取ると、周囲の人も大阪弁なので、無意識のうちに、順応しています。 会話の時は、頭で考えた言葉が、意識しなくても口からでますから、当然、大阪弁になります。 一方、文章に書く場合は、頭で考えたことを整理しながら文字にします。ここで、ワンクッション有りますから、標準語に変換して書くのだと思います。 また、文章の場合、誰が読むかも分かりませんから、意識して標準語にする。 こんなことでは無いでしょうか。

ishmaster
質問者

お礼

ありがとうございます。 誰が読むかも分からないということで、標準語ですか。 確かに方言で書かれた文章は読みにくいですからねえ。

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