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簡単な日本語の質問があります。お願いします。
森は楽しい。 森は楽しい。 水の音が聞こえる。 水の音が聞こえる。 はなをかむ音も聞こえる。 はなをかむ音はどうするんだろう。 森は楽しい。 森は楽しいったら 最後の文章 「森は楽しいったら」ってどういう意味ですか?
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質問者が選んだベストアンサー
恐らくいがらしみきおさんの漫画、『ぼのぼの』が出典ですね。もしかしたら質問者さんは『ぼのぼの』の単行本以外のところでこの文章をご覧になったのかも知れませんが、『ぼのぼの』の単行本第1巻の裏表紙に書かれている詩、というか、主人公「ぼのぼの」の独白のような文章です。 ただ、質問文でお書きになっているのは、原文とは少々違います。原文との異同は以下の通りです。 (1)原文には句点記号(“。”です)がない。 (2)「はなをかむ」は、原文では「ハナをかむ」という表記である。 (3)原文では「ハナをかむ音は/どうするんだろう」と改行が入っている。 (4)原文にある、(3)に続く「これからどうするんだろう」という行が丸々落ちている。 それはともかく、一般的に「~ったら」という表現は、自分が話すことを相手が信じてくれなかったり、同意してくれなかったりする時に、自分の主張を強調して相手を説得しようとする場合に遣われます。とは言え、改まった場で遣われる言葉ではなく、ごく親しい間柄でなければ遣わない表現です。ちょっと子供っぽい感じを与える言葉です。 『ぼのぼの』の主人公であるぼのぼのくんは、他の登場人物とは少し違った感覚を持っています。皆が「そんなこと当たり前だ」と思うようなことについても興味を持って受け止め、考えて皆に話をするのですが、皆の反応はやはり「そんなこと当たり前だ」というものなわけです。この作品の面白いところはそのギャップであったり、ぼのぼのくんの話を聞いて「当たり前だと思っていたけど、言われてみれば不思議だなあ」となったりする登場人物がいたりする点にあると思います。 この「~ったら」という表現は、そうしたぼのぼのくんと他者との関係を端的に表しているものだと思います。すなわち、ぼのぼのくんが「ハナをかむ音ってどこにいっちゃうんだろう。そんな音や、水の音が聞こえたりするから森は楽しい」と主張しても、皆は「当たり前だろ」「そんなことを考えてどうするんだ」という反応なのですね(そういうことを言う代表的登場人物がアライグマくんです)。 ところがぼのぼのくんとしては、「それでも、うまく言えないけれど森は楽しいんだよ!」と言いたいことでしょう。それを表現する言葉が、「森は楽しいったら」なのだと考えます。 もっとも、この詩だか独白だかわからない文章は単行本第9巻まで裏表紙に載り続け、最後の部分はほとんど「~ったら」で終わる形を取っていますが、途中からだんだん形式化していったような気がしますね。何行か文が続き、最後が「~ったら」で終わる文章がいかにもぼのぼのくんらしいという、一種の記号(シンボル)になっていったように感じています。 以上、ご参考になれば。
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- bicamera
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「森は楽しいったら」ってどういう意味という質問の回答は、 「森は楽しいといったら楽しいのだ。」 と自分に言い聞かせている様子を表しています。 だから最後に「。」を使用しておらず、文を完結させていません。 森は楽しい。 森は楽しい。 水の音が聞こえる。 水の音が聞こえる。 ここまではそのまま理解して良いと思います。 はなをかむ音も聞こえる。→この「はな」は森に咲いている花と音が一緒なので 掛詞として使っています。そして、前半の「水の音」にもつながっているとすれば 「水の音」は小川や湧き水の音ではなく、「鼻水」と解釈することも出来ます。 鼻をかむ前の音ですから、鼻をすすっている音ですね。そして鼻をかむ音も聞こえる。 はなをかむ音はどうするんだろう。→これは「どうするんだろう?」と自分の中で 本来は森で聞こえる音ではない鼻水をかむ音を聞いて気分は沈んでしまったが 「この後、森を楽しむのにはどうすれば良いのだろう」と解釈することが出来ます。 森は楽しい。 森は楽しいったら→森は楽しいのだと自分に言い聞かせている。 楽しいったら楽しいのだ。ということを前半の「森は楽しい。森は楽しい。」に 掛けている。 詩的表現なので説明を省いているのです。 国語や日本語の問題ではなく、文学芸術の分野です。 解説: 森はたのしいなあ。 湧き水の音も心地良い。 小川の音も心地良いのに 鼻水をかむ音も聞こえる。 鼻水をかむ音が聞こえて気分は台無しだけど この後、森を楽しむのにはどうすれば良いのだろう 森は本来楽しい場所だから 森は楽しいのだと思い込もう。 ということになります。 絵本やマンガの文章か何かでしょうか? 挿絵がありそうな文章ですね。 しかし、これを現代詩と捉えるならば、もっと深く解釈することも出来ます。 日本人はイギリス人と同様に古来から森を神聖な場所と考えていたので、森に ピクニックのような楽しい感覚で出かけたりするようになったのは最近のことです。 したがって、作者が日本人で文学的表現が豊かであれば「森」という表現の 別の意味合いとして女性の性器を表しているのではないか? という解釈も出来ます。 森=茂み、隠語として良く使われます。「茂みは神聖な場所であるけど楽しい」 という解釈をすれば性交を連想させているという説明が出来ます。 水の音とは「濡れている音」も聞こえてるのに鼻をかまれては雰囲気がないけど 行為自体は楽しいのだからそのまま続行しようという意味でも捉えられます。 そして最後に「森は楽しいんだぞ」と相手を説伏せているように表現している ようにも感じられます。 このように二つの意味を持たせることを「Double meaning」 または「両義語句」と いいます。 また、「はな」とは「先っぽ」、「最初」という意味もあります。 はなをかむ音→先っぽを噛まれて漏らしてしまった声 はなをかむ音はどうするんだろう→先っぽを噛まれたときの声を他人に聞かれたら どうするんだろう。別の解釈では→他の先っぽを噛んだときはどんな声を出すの だろう?とも捉えられますね。 質問者さんは一般的な日本語が出来る外国人さんか中高生かと推測しますが いかがでしょう。質問だけでなく、自分がどのような立場でなぜ質問したのか 簡単に書き込むと観覧した人も的確な返答しやすいです。他の質問から マジメに質問しているのだという印象を受けたので私もマジメに回答致しました。 的外れな回答ばかりだったのでわざわざ書き込みたくなった次第です。 日本人全般が無知だと思われたくなかったのです。
- bicamera
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「森は楽しいったら」ってどういう意味という質問の回答は、 「森は楽しいといったら楽しいのだ。」 と自分に言い聞かせている様子を表しています。 だから最後に「。」を使用しておらず、文を完結させていません。 森は楽しい。 森は楽しい。 水の音が聞こえる。 水の音が聞こえる。 ここまではそのまま理解して良いと思います。 はなをかむ音も聞こえる。→この「はな」は森に咲いている花と音が一緒なので 掛詞として使っています。そして、前半の「水の音」にもつながっているとすれば 「水の音」は小川や湧き水の音ではなく、「鼻水」と解釈することも出来ます。 はなをかむ音はどうするんだろう。→これは「どうするんだろう?」と自分の中で 本来は森で聞こえる音ではない鼻水をかむ音を聞いて気分は沈んでしまったが 「この後、森を楽しむのにはどうすれば良いのだろう」と解釈することが出来ます。 森は楽しい。 森は楽しいったら→森は楽しいのだと自分に言い聞かせている。 楽しいったら楽しいのだ。ということを前半の「森は楽しい。森は楽しい。」に 掛けている。 詩的表現なので説明を省いているのです。 国語や日本語の問題ではなく、文学芸術の分野です。 解説: 森はたのしいなあ。 湧き水の音も心地良い。 小川の音も心地良いのに 鼻水をかむ音も聞こえる。 鼻水をかむ音が聞こえて気分は台無しだけど この後、森を楽しむのにはどうすれば良いのだろう 森は本来楽しい場所だから 森は楽しいのだと思い込もう。 ということになります。 絵本やマンガの文章か何かでしょうか? 挿絵がありそうな文章ですね。 しかし、これを現代詩と捉えるならば、もっと深く解釈することも出来ます。 日本人はイギリス人と同様に古来から森を神聖な場所と考えていたので、森に ピクニックのような楽しい感覚で出かけたりするようになったのは最近のことです。 したがって、作者が日本人で文学的表現が豊かであれば「森」という表現の 別の意味合いとして女性の性器を表しているのではないか? という解釈も出来ました。 森=茂み、隠語として良く使われます。「神聖な場所であり、尚かつ楽しい」 と性交を連想させる補足されているという解釈が出来ます。 水の音も聞こえてるのに鼻をかまれては雰囲気がないけど 行為自体は楽しいのだからそのまま続行しようという意味でも捉えられます。 このように二つの意味を持たせることを「Double meaning」 または「両義語句」と いいます。 質問者さんは一般的な日本語が出来る外国人さんか中高生かと推測しますが いかがでしょう。質問だけでなく、自分がどのような立場でなぜ質問したのか 簡単に書き込むと観覧した人も的確な返答しやすいです。しかし、真剣で マジメに質問しているという印象を受けたので私もマジメに回答致しました。 忠告ですがこのようなサイトで質問しても的確な回答なんかしてもらえませんよ。 私は後日、別の方が観覧されて参考にされることもあるでしょうから、マジメな 回答が必要と思いましたのでわざわざ書き込みたくなった次第です。 日本人全般が無知だと思われたくなかったのです。
- oakbow4490
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単純に「ありゃしない(ありはしない)」を省略することで強調しているんだと思います。 詩の形をとっているから冗長さを避けたんでしょう。 同じ言葉。音を重ねることで、リズムをとるのでしょうが、最初から最期まで同じではなくところどころ変化を加えることでいっそう同じリズムを際立たせる手法でしょう。 2人(心の中の自分)の対話形式となっているのかもしれません。この場合、 <森は楽しい。 は心の中で、「森は楽しい?」のニュアンスが含まれていて <森は楽しいったら と強く反論の形にしたのかもしれません。
- osakajapan2001
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回答致します 日本語では 強調したい表現の場合には 言葉を重ねて使う重複表記がありますが 例えば とても綺麗で綺麗で それはもう それはそれは とか 嫌なものは 嫌で嫌でしようがありまねんよね の様に言葉を二度重ねて使う事がしばしばあります この文章は 所謂散文形式の詩でしょうか 言い方を変えて表記してみましょう ※ 森は楽しくて 楽しくてもうそれは 水の音が聞こえるね 水の音も美しく聞こえるね 鼻をかむ音もするね 鼻をかむ音は如何するのかな 本当に森って楽しいものね そうだね 本当に森は楽しいっていったら それはもう楽しいね---ーーー 森は楽しいったら は 森って楽しくって楽しくってもうそれはねーーー という感じでしょうか この様に強調することで森の持つイメージを拡大させようとしてはいますが 最後の結びの言葉で す―――と抜ける様に終了する事によって それまでの強調のイメージから少し和らげた表現へと移行しながら 諄くなく 上品に思いの程を昇華させているのです 想像をより一層喚起する様に作者が意図的に言葉を途中で切っているのです 日本語は感覚の言語ですが擬音の言語でもあります 音の持つ意味を言葉ではなく風景からもさえ思い起こさせる様に 表現しているのです この詩では音はありません(擬音としての音です) 例えばさらさら とか 浪々とか さやさやとかの擬態表現がありません しかしながら 読み手の感覚を総動員してその音を感覚として感じる様に 作者は意図的に音を使わず表現しています そして最後に 森は楽しいったら という言い回しを使用することによって この森の持つイメージとどれだけ楽しく爽やかのものなのかを 読み手に届けようとしています 色々な日本語の表現方法の中でも 最近はあまり使用されてはいない方法ではないでしょうか 貴方は ※簡単な日本語 と表記されていますが 貴方は回答者を試しているのではありませんか 詩的な感覚は日本語の特徴ですので 全く簡単な と言う様な表現ではこの散文形式の詩を理理解する事はまず無理ですが 意味は誰にでも理解できます 日本人ならばね 貴方は外国の方でしょうか それとも 現代国語の問題を質問したのでしょうか どちらでしょうかね これがわたしの答えです
- lions-123
- ベストアンサー率41% (4360/10497)
>最後の文章 「森は楽しいったら」ってどういう意味ですか? ↓ 作者の表現の意図や狙いは分かりませんが・・・ <私見> 「森は楽しい」と「森は楽しいったら」を繰り返す事で重ね&かぶせ効果で強調したり、同意を促し求めている。 また文末のきり方&止め方からは余韻を残し後に続く言葉は、読む者の主観や感性に委ねるような効果を生んでいる。 ex、「森は楽しいったら、そう思わない?」、「森は楽しいったら、ありはしない」、「森は楽しいったら、想像以上よ~」
- one4all
- ベストアンサー率28% (171/594)
何かの詩(詞)でしょうか? 童話からの一説? 「はなをかむ音はどうするんだろう。」という下りなど、これだけ読んだら日本語としたらかなり特殊な表現に聞こえます。 さて、「森は楽しいったら」。 この部分だけ、相手にうったえる様な響きを持っています。この文の前に、「そんか事言わずに、一緒に行ってみようよ ~ 」、と付け加えてみると、「森は楽しいんだから」、と同義語に聞けます。 この後に何か文章が付くのかな? 気に成ります。