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助動詞「り」の用法について

 土佐日記の末尾近く、帰京の場面、 「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」 の「預かれるなり」の中の助動詞「る」の用法は、存続なのでしょうか、それとも完了なのでしょうか?  どちらでも解釈可能な気がして悩んでいます。  助けてください!

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  • iktmth
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回答No.3

No1 iktmthです。 No2では、勝手にご質問の内容を変えてしまい申し訳ありませんでした。 「預かる」については、(1)預かるという契約をすることと、(2)預かる行為そのもの の2通りの解釈があると思います。 (1)は、「預かってあげるよ」「じゃあ、よろしくお願いします」の時です。 (2)は、(1)の時から始まってそれが終了するとき(「土佐から帰ってきました。今まで預かってもらってありがとう」「無事でお戻りになられてよかった」)までのことです。 今回の「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」については、私は(2)と考えます。 なぜかというと、直後の文章に「さるは、便りごとに物も絶えず得させたり。」とあるからです。 「便りごとに物も絶えず得させたり。」ということは、自宅を預かってもらっている間の継続した状況であり、「さるは」という接続詞でつながっていますので、前の文章も同じ時のことと私は見ました。

noname#240050
質問者

お礼

なるほど。 とは言え、(1)でも取れるような気もします。 他の方の意見も聞きたいんですが、誰も来そうにないですね。

その他の回答 (2)

  • iktmth
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回答No.2

No1のiktmthです。 「貸借契約は紀貫之の離京前に完了したと考えられるからです。」と書かれていますが、「離京前」では土佐に赴任するために京都を出発する前となってしまいます。「帰京」と入力されるところをKとLの入力ミスされたのではないでしょうか。 その前提で、勝手に「貸借契約は紀貫之の帰京前に完了したと考えられるからです。」と変えさせていただき、以下私の意見を書きます。 隣人には、自宅を留守中貸すというよりも、保守管理を依頼していたものと思われます(保守管理を引き受けてもらう代わりに、自由に使ってもらってかまわないとの条件で)。 事前に京都に帰るという連絡がこの隣人にきていたとしても、それは予告なだけで、自宅が紀貫之の管理下に置かれるまで隣人は紀貫之の自宅の管理を引き受けています(結果として松を枯らすなどたいした管理はできていなかったけど)。 自宅を管理しておくという契約(賃貸契約ではなく寄託契約だと思います。)は、紀貫之が帰京していない状況では完了していないと思います。 ※ この時代に、事前に手紙を送り帰京予定を隣人に知らせるということはできなかったのだと思います。たまたま、京都へ行く人があればことずけるという程度だと思いますので、隣人への帰京予定の連絡はなかったのだと思います、 ※ 賃貸契約なら、自宅に到着する何日か前に契約解除しておく必要がありますが、自宅を適切に管理してもらうための寄託契約なので、自宅の管理を紀貫之が引き継ぐまでは隣人が管理する必要があります。 当日の夜には隣人に会っていないと思われます。翌日に腹の内とは違うけれども「無事土佐から帰ってきました。留守中お世話をかけてありがとう(「庭に池まで造ってくれて」といやみを付け加えるかどうかはわかりませんが)」と言うことで、隣人は初めて隣家が紀貫之の管理下に入ったことを認識し、管理責任を解かれるということでしょうから、寄託契約は翌日の挨拶時に完了すると私は見ます。 紀貫之が寄託した当日の夜は、寄託契約は継続しているので、「り」は「存続」ということになります。 前回紹介させていただいた国語の先生のブログにあったように、「存続」も「完了」も両方の要素を含んでいるというのが私の考えなのですが、テストでどちらかに必ず分類しなさいとなれば、「存続」を選びます。 なぜかというと、寄託契約が終了している場合は「完了」、寄託契約が終了していなければ「存続」という点で考えて、寄託契約の終了を他人がどのように認識できるのかにあると思います。 自宅に帰った夜の段階で寄託契約終了とみる根拠は、紀貫之の気持ちの上では「もっとちゃんと管理してくれると思っていたのに」と隣人への信頼の思いがなくなったという点で見出さないといけません。一方、「いとはつらく見ゆれど、志はせむとす。」とあるので、明日には預かってもらていた隣人に挨拶にいくのでしょうから、その時点で寄託契約が終了することが外見上明らかになります。 完了と見るには内心が根拠となり、存続と見るには外見が根拠になるので、テストではわかりやすい外見が根拠の「存続」を選択します。 ただ、この意見は、「よる夜ふけて来れば、ところどころも見えず。」とあるので、隣人へのあいさつができていないという前提です。 ※ 土佐を出発する前には、夜通し宴会をしていたようですが、電気もなく、油も貴重品であった時代なので、夜には帰京のあいさつはしていないと思います(もちろん、下人には伝えているのでしょうが)。すでに隣人への挨拶が終わっているのなら「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。さるは、便りごとに物も絶えず得させたり。」と過去のことだけを書かずに、会った時にかけられているであろう「無事で帰ってこられましたな。長い間ごくろさんでした。」などの紀貫之の苦労をねぎらうやさしい言葉との対比で「家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり」と書くのではないかと思いました。 ですから、隣人へのあいさつはすでに終わっており、謝礼を渡すことだけが後回しになっている状態なら、「完了」に意見を変えます。

noname#240050
質問者

補足

僕の書き方が悪かったんでしょうが…。 「離京前」で間違いありません。 紀貫之が隣家の人に「家を預けますよ。」 隣家の人が紀貫之に「確かに預かりました。」 という貸し借りの契約締結作業が離京前に完了していた、という意味です。

  • iktmth
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回答No.1

私もご質問を見て悩んでしました。 どちらが正しいのかわかりませんが、回答がついていないので、参考になればと思い書きます。 よく、直前の動詞が、状態であれば存続で、動作であれば完了だと言われます。 預かれるが状態か動作かということですが、これも両方取れます。 次のブログを見つけました。 http://yoshiharama.seesaa.net/article/245731894.html そこには、 「現代語の感覚で用法を二つに分け、区別して訳し分けることをしているわけですが、そのようにスパッと分けられない言葉がたくさんあるので、そのような場合には、両方の意味を含むということを意識しないといけないということです。 (途中省略) また「たり」という助動詞に関しても、文脈に応じて完了と存続とに訳しわけるわけですが、「~た」と訳す方が適当な場合であっても、やはり存続の意味が含まれていると考えたほうがいい場合が多くあるのです。」と書かれています。 まさにこのように両方の意味が含まれているものもあるということでしょう。 ご質問の土佐日記の場合は、京都に帰ってぼろぼろになっている我が家を見たショックの時の気持ちです。 帰ってすぐで、我が家を預かってもらった隣の人に会う前で、自宅を預かってもらう契約の解除ができていません。契約解除は、翌日の謝礼を届けた時だと思いますので、「存続」ということになります。 しかし、自分の気持ちの中では、「こんな人とは思わなかった」ということで信頼関係がなくなっており、自宅を預かってもらう契約は破たんしているので、「完了」の意味合いもあるということだと思います。

noname#240050
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 よくよく考えてみると、完了でいいような気がしてきました。 貸借契約は紀貫之の離京前に完了したと考えられるからです。 iktmthさんはどのように思われますか?