- ベストアンサー
常夏のハワイ日記(その39)
- ハワイでの父のエピソードを紹介
- 父がソ連の要請でビザ無しでインフラ整備に参加
- 父の職業的な熱意と体重の変化について
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
1 I told Sato-san that my dad had to participate in building works of infrastructure after the defeat in WWII upon a command by the Soviet union, without a working visa. 2 Saito said to me " Great!! Your dad was really great!" 3 My dad worked seriously and almost to death. As he came back to Japan, he, a man of 170cm in height, was so slim that his weight was only around 45 Kg. So my dad told me. 4 He told me that he swapped his tabacco ration for 5g of sugar with his captive comrades,because he didn’t smoke. 5 All of these were owing to the arrangement by the Japanese-born Russian, Sekijimanskiiiii. 英訳でもロシア語訳でもなんでも宜しくお願いします。日本語はダメざんすよ。 Bitte uebersetzen Sie diese Saetze in eine fremde Sprache, englisch, russisch egar.Aber nicht ins japanisch. 吉里吉里語 斎藤さ、おらえのおどさなんか戦争さまげたあどで、ソ連にたのまっちゃって みじ、線路、はす作りさせらっちゃんだ。すう労許可しょうなんてなくっでよ!! ん~や~まずひどいもんだったそんだって語ってやった。
その他の回答 (1)
- cbm51901
- ベストアンサー率67% (2671/3943)
1 斎藤に、俺ん家の、オヤジなんか敗戦後、ソ連の要請でビザ無しでインフラ整備に携わったんだぞ!!って言った。 I said to Saito that my dad was requested from the Soviet Government after WWII without a visa, to participate in building their infrastructures. 2 斎藤が「すげぇな、お前のオヤジさん」って言った。 Saito said to me that "Wow! your dad was really great!" 3 そうよ、オレのオヤジは仕事熱心だから170センチぐらいあるんだけど日本に帰って来た時は45キロぐらいにスリムになってったって、オヤジが言ってた。 My dad worked soooo hard that, though his height was about 170 centimeters, his weight was about 45kg when he came back to Japan, according to my dad. 4 オヤジはタバコ吸わないから同僚と5グラムの砂糖と交換してあげてたと言ってたな My dad told me that because he didn't smoke, he exchanged his ration for 5 grams of sugar for his co-worker. 5 みんな、ロシア人のセジマンスキー様の計らいですなぁ。 All of my dad and co-worker's devotion was at the discretion of a Russian, Mr.Sejimanskii.
お礼
cbm51901さんおはようございます。 お礼の返事が遅れてしまい申しわけありませんでした。 痔の病院に行って帰ってきたところです。 遺伝ですなぁ。父親も痔主なので(地主ならよかったのですが)中国大陸にいた際は痔で相当苦労したようです。 ま、シベリアインフラ整備に携わってた時にくらべれば、ハエでも触れた感じだったと思いますが、 シベリアでは自分達で地面に穴を掘って、地下マンションを建設して、その中で暮らしてたと言ってました。 多くの本は普通の宿舎みたいな事をかいてるようですが、まぁ、食事は質素だったらしいですね。 死なない程度、生きない程度で強制労働ですからマイナス40度の中で、今の日本人なら生存して 帰る人は皆無でしょうね。 話は横にそれてしまいましたがありがとうございました。 これからも宜しくお願いしますね。 感謝です。
お礼
drmurabergさん、おはようごおざいます。 お礼の返事が遅れてしまいまして申し訳ございません。 それにしても、ドイツ語、そして吉里吉里語!! 最高ですね。 読ませて頂き吉里吉里語にも子音があるんだなぁと思い、吉里吉里国家は母音だけの国かと 思っていたのが、間違いだと気付きました。ありがとうございます。 それにしても、芸達者ですね!!嬉しいかぎりです。 私も、母音子音語でお礼させて頂きます。 まんず、まんず回どば頂きまsで、ありがどごぜますだば。 おらほの、オヤzも、いz番わけどきにせんそにひっぱられで、 今でも、デーエヌエに刻みこまれでるだば、どんだげくろうしだが おらほにはわがんねだ。同年兵が次々と死んでぐ知らせる手紙っこ 受け取るおやzの哀しそう顔ばみるのはしのびねです。 だがら瀬島のやろば、おらは死んでもゆるせね。 本当にありがとうございました。 これからも宜しくお願いいたします。 次回からは、温和な英訳はやめて元の過激な英訳依頼になると思いますが 宜しくお願い致します。 感謝です。 谢谢你的帮助!!