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【自我が芽生え始めた私】

自我についてですが,30歳にして初めて【私にとって私だけが私である】事に気がついたのです。 本当に怖いです。 私はすでに30歳ですが自我の確立は出来ますか。

みんなの回答

noname#194289
noname#194289
回答No.6

kaitara1ですが、付けくわえてみます。余裕がない人(人間以外の動物も)には自我というものは存在しないと思います。余裕というのはそれ自身は何の役にも立たないものです。余裕自身が自我ではないでしょうか。自我の確立というのは30になって余裕が生まれたということだと思います。ところがこの余裕というのはとらえどころがないものですから不安の源泉にもなります。等身大の生き方というような言葉が不安を消すヒントになるかもしれません。

noname#149448
質問者

お礼

素の私を大事にしたいです。 ありがとう御座います。

回答No.5

これは議論ではありません。追加的な回答です。 >怖い理由は【私の人生を私が負っているという重い責任に耐え切れないため】 たぶん、あなたは小泉政権下で行われた「格差による労働意欲の増強」という幻想にとりつかれている。経済的な成功者を宣伝し「そうなるべき」と人々に先入化させたのです。それは成果主義であり、アメリカ型の格差社会化、です。よって、日本従来の家族的な企業経営は崩壊し、個人主義的な「責任」が生まれました。こうした経緯が無ければ、あなたも「責任=失敗をつぐなう事」とやらにおびえる必要も無かったでしょう。 >自我の確立とは人格や性格の形成の意味でした。 自我の確立とは「自他の客観視」であり他人からの評価に依存せず自制ができることを意味します。 >社会生活を切り離して私を見つめた時,苦しみが生まれました。 私の場合は社会に組み込まれているので切り離して考えた事が無いに等しい。しかし、友人と高尾山に登って下界を見下ろすと、人間社会を客観的に見ているような不思議な気分になります。 >自我とは社会生活において【関係】のなかで形になるものなのでしょうか。 社会性の低い人間は「自我の目覚めが浅い」と言えます。たとえビジネスという争い(金の奪い合い)が意識の上にあったとしても、そのビジネスで結果としては助け合っているのが現状です。そうした争い(出世競争なども)だらけの現代において、事業に失敗した人間は家族を養えなくなり、日本の社会保障は薄いので頼れず、結果的に自責の念から「自殺」することが多いのですよ。

noname#149448
質問者

お礼

社会のなかでも【私は私】でいたいです。 自殺は避けたいものです。 ありがとう御座いました。

回答No.4

「自我の確立」とは、自他の客観視の事であり、 無意識から全宇宙の情報の処理(不可能)までの、 認識の連続的な深まりであって、どこかで突然 免許証が出るものじゃない。

noname#149448
質問者

お礼

自我は深まっていくもので,私は苦しみ続けていくのでしょうか。

noname#194289
noname#194289
回答No.3

私の勝手な考えですが、自我というのは自分の頭の中の神経回路で現在何の役にも立たない部分ではないかということpです。つまり暇な神経回路が仕方なく自我というものを作っているということではないでしょうか。何かをやっているとき、特に何か新しいことを始めようとするときには自我は全くなかったかのような状態になります。自我が洗われるのは何もやっていないときです。自我が表れwるのはまだまだ自分には新しいことが可能であるということを意味しています。だから自我が何か恐ろしいもののように思われるのは新しい回路を使わないうちに死んでしまうのが普通であるということに気がついたからではないでしょうか。私から見ると自我の確立というのは、実体がないもののように思います。自分は常に変わっていきます。それこそ自我が存在しない人だけが変わらないままでいるということです。自我は確立といっても不変のものではないはずです。

noname#149448
質問者

お礼

私は考えなくてよい事を考えてしまったのでしょうか。 そして,今まで感情や考えなど他人の操り人形であった私には自我が存在しない様に思います。

回答No.2

その「怖い理由」は「孤独感」のような物でしょうか。 「自我の確立」とは何でしょうか。 「自我の目覚め」なら度合いがあり「目覚めの浅い人」~「はっきり目覚めている人(覚者)」まで、多様に混在しているようです。覚者とは、自己の生存を成立させている「助け合いの姿=社会生命性」を自覚している者の事です。身近な例では、コンビニで物を買う際、お金を「感謝のしるし」として店員に「ありがとう」と言う例である。お金の向こうで価値を生む「生産・物流・販売」等に助けられ、また同時に己も会社等で社会貢献という「他人への援助」を行っている、そうしたビジョンが常に見えている状態を「自我の目覚め」と表現すべき、と考えます。

noname#149448
質問者

お礼

怖い理由は【私の人生を私が負っているという重い責任に耐え切れないため】だと思います。自我の確立とは人格や性格の形成の意味でした。 社会生活を切り離して私を見つめた時,苦しみが生まれました。 ですが,自我とは社会生活において【関係】のなかで形になるものなのでしょうか。

  • k_mutou
  • ベストアンサー率12% (101/783)
回答No.1

“確立できる”と思います。 年齢は関係ないと思います。かなりのご高齢になってから気づく方もいるのでは?また、もっと低年齢で気づく方もいると思います。

noname#149448
質問者

お礼

お答えいただいてありがとう御座います。