- ベストアンサー
牧師や坊主は、なぜ、カネを欲しがるのか?
レオ10世いわく、 寄付金箱にチャリーンと金貨が鳴れば、 天国にビューンと飛ぶであろう。 とか。 本願寺顕 にょいわく、 免罪符を買えば、すべての罪は許される。 極楽浄土する。 ぼく、いわく 金の亡者ですか?教祖わ。 詐欺としか思えない。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
教祖、いわゆる宗教宗派の創始者は、貧しい布教の旅で施し・寄進を受け、彼を信ずる者たちは、彼を敬い寄進をつづけたのでしょう。 人には皆、そういう心があります。 ときが経ち、お互い、その行為を自分自身の欲望とし、豪華な衣をまとい、うまいワインを手にする豚のように太った司祭が現れたり、自身の栄達、栄耀栄華を極めることしか考えない僧侶が現われたのでしょう。 自身が天国に、極楽に行きたいがために、搾取し、貧しいものから、さらに盗み続ける者たちが現われたのでしょう。 人には皆、そういう心があります。 だます方も、だまされる方も悪い!
その他の回答 (11)
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
聖職者という目で見ているから、普通に生活費が必要であっても、 そういう厳しい目で見られるのでしょうね。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
カネ使って得る快楽の方が、成仏目指して修行つづける快楽よりも好きなんじゃないかね。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
托鉢において、お米を出すのと、お金を出すのとで、何か 違いがあるのでしょうか? そもそもそれは、インクで汚れた紙切れや手アカで汚れた 金属片に過ぎず、貨幣は、物々交換の延長として、遠くで 間接的に「交換」するための、“助けてもらった感謝のしるし” あるいは“この人は他人の役に立つので助けてあげて下さい” という助け合いの情報こそが本質なのです。 ところが、その汚れた紙切れに独立した価値があるように 考えて奪い合い、助け合いの心を見失う、その心の在り方 こそが悪なのです。 もし宗教者が過度にお金を求めれば、それは悪だし、 信者の方も、金を欲しがるのは悪だといって、適度な喜捨を 惜しむのもまた悪です。
どちらかと言うと信者の方から 喜んでお金を差し出す事が多いです 信者は何故お金を出したがるのか? その分の見返りを期待してしまうからなのでしょうかね 貢ぐためにお金を稼ごうとする事は生きる力にもなりますので 悪い事ばかりでも無いです
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ★ カネを欲しがる ☆ のは 《牧師や坊主》に限らないと考えます。誰れもがです。誰れがこう彼れがこうと言っても始まらない つまり 五十歩百歩だと見るべきでしょう。 ★ レオ10世 / 顕如 ☆ が何を言ったとしても それに従う人間がわるいでしょう。 一人では人間が弱いとすれば 力を合わせて間違いをただす手立てを考えて行くべきでしょう。 組織宗教に対する弾劾は 人間の歴史として遅れていると思います。 万人が司祭という方式を取ったとしても 組織は存続しましょう。 みなが互いに同朋という考え方は まあまあいいのではないでしょうか? 信仰者の集まりであるけれど 互いにその主観を自由に発言し合い 向上を期すというのみの寄り合いであるのならば。 組織宗教に対しては 自己解体を勧めましょう。
- mijinco
- ベストアンサー率25% (87/346)
「牧師や坊主は、なぜ、カネを欲しがる」 とうのは、ちょっと長く書き直せば、 「牧師や坊主という立場になる人は、誰一人としてカネなど欲しがることは無いはずなのに、カネを欲しがるような牧師や坊主もいるのはなぜか」 という意味ですよね。 牧師や坊主ですら、そういう人がいるのですから、いかに、自分を見つめ、自分を知り、自我を乗り越え、自分を高めるのが難しいかということです。 もう一つ、組織になってしまっているという問題があります。 そして、その組織を守ろうとするとカネが必要になることが多いです。 組織というのは、常に気をつけないと「腐敗」する方向に向かいます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
世の中のことを、つまり人間をよく知って いるからだと思います。 パクリですが、こんな話しがあります。 ○ ある所に、若いお坊さんがいました。 そのお坊さんは真面目な人で「悟り」について 一生懸命考えていました。 あまりに根を詰めて考えていましたので、 師匠である偉いお坊さんが、心配して、こう言いました。 「寺で座禅を組んでいても、何も解らぬじゃろう。 旅に出てみないか」 その言に従い、若いお坊さんは、旅にでました。 旅は言語に絶するほど辛いモノでした。 雨の日も、風の日も、雪の日もありました。 犯罪にも遭遇しました。 そうやって苦節30年。 若いお坊さんは、身も心もボロボロになり 這うようにして、お寺に帰ってきました。 そして、師匠のお坊さんに、告げました。 「遂に、悟りを開きました」 「おお! で、悟りとは何かな?」 「はい。金が総て、です」 師匠のお坊さんは、はたと膝を打ちます。 「偉い! よくぞ悟りを開いた!」 その後、二人は金儲けに邁進し、幸せな一生を 送りました。 メデタシメデタシ。
- reohakase
- ベストアンサー率0% (0/3)
生ぐさ坊主は昔から定番です。
本願寺は金の亡者というか、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗は、それが教義ですよ。 えげつないぼろもうけや詐欺まがいのことは、どうかと思いますが、牧師さんもお坊さんも生きていかなければならないし、維持費もかかるのだから多少は仕方ないのではないでしょうか? 別に信者ではありませんけど。
- 山田 太郎(@testman199)
- ベストアンサー率17% (438/2463)
牧師や坊主に限らず 政治家も公務員も貧乏人も無職も。。。俺だって金を欲しがりますけど
- 1
- 2
お礼
パンを1日に1個しか買えない者から、金をむしりとる牧師は、どうゆう感情なんですかね。 麦めしすら食えない農民から金を騙しとるサマは、鬼畜に思える。