#4です。回答をありがとうございます。
他の人への回答を読み再回答させてください。
被災者でしかも原発事故も経験されているとのことで、同じ状況なのでお話しさせてください。
とても不謹慎ではありますが、自分が被災者になるまではテレビで報道される災害の画面も「他人事」でした。各地の避難所で肩を寄せ合っている姿に「気の毒だな」と思いつつも、心のどこかで「自分じゃなくて良かった」とさえ思っていました。
阪神淡路の震災も「大阪のほうですごい地震があったみたいだよ」との最初のニュースに「へえ~」で終わっていたのです。その後の報道にこれはただ事じゃないな・・・と本気で思っていても、やはり実感は出来ませんでした。
そしてこの東日本大震災です。地震・津波・原発事故。その後の避難にしても線量の高い地区ばかりにいてとても不安になりました。そして避難所でやっともらった毛布にくるまった時、三人に一個渡されたおにぎりを子供に食べさせてあげた時、前に座っていた男性が配られたおにぎりを差し出してくれた時(我が家は子供が二人いたのですが一個のおにぎりしかなかったのです)、涙が出ました。津波で流されて死んだ方が良かったかなとも思ったりしました。
でも自殺したくても出来ない状況です。
自殺をした友人も何人か知っています。津波で流された知人もいるのですが、自殺をする人はどんな状況でも関係ありませんよ。
この震災で何をか学ぶことがあるとすれば、天災は他人事ではないということでしょう。その後に関東圏での地震や富士山の噴火予知にあれだけメディアが騒ぐことを見ればわかりますよね?
でも、そんな中でも自殺者はいます。
死を急ぐ必要はなくてもいつの日かちゃんと死ねるのに、その時を待てないだけの何かがあるのだと思います。
共感能力などというものは存在しません。有名歌手が死んだあと後追いするのは自己満足でしかありませんよね?そんなのは負・不・腐の共感でしかありません。
ボランティアの数や義捐金の数字だけで日本人の資質を危惧することはできません。
並んで支援物資を待つ状況を世界の人々が協賛するなか、被災地では泥棒が横行しています。支援物資を一つでも多く貰おうとする人もいます。きれいごとだけではありません。
自殺者を減らすにはどうしたらよいのか・・・・?を考える必要があるのかどうかも分かりません。私としては考える必要はないと思います。勿論助けを求めてきたら受け入れるべきでしょうけれど・・・・。むしろ前を向いて頑張る人に支援や応援をして欲しいと願います。
自分は過去に自殺をしたことがあります。手首にはその跡が何本もあります。ODも何回もして、そのたびに生還しました。
何故?死ぬことができないのか?本気で死ぬ気が無いからじゃないかとも言われました。
それから、死ぬことを考える事はやめました。自分には向いていないと思ったからです。馬鹿だから…・自殺ひとつまっとうに出来ないならほかに何か出来ることを考えても同じじゃないかと思ったのです。
それは自分の教えていた生徒が白血病で亡くなったことが原因です。死にたくない人が死んで、死にたい人が死ねない。
津波で流された人たちも、同じだったでしょう。
あれ?って思っているかもしれませんよね?
それを考えるだけの想像力が減って、生きることの喜びを知らないまま、苦痛だけを感じ、悲観する。
これは満たされているが故の反対現象であると思います。
回答を読んで、非常に浅いなという印象を受けました。
あなたの質問文を読んで「共感」した人がいないことはお分かりですね?
死ぬ自由もあるのかもしれません。死ねるだけの能力があるってことはある意味すごい事なのに。
生きることに精いっぱいだから今はそう思います。
長文失礼しました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 初めに私は被災者ではありません、仕事上で影響を受けたという意味です。 売り上げが4分の1になって頭にきただけの日本人です。 自殺する人間を救うことができるなら、それは生きる人間を救うことにもなるだろうと思うのです。 自殺の理由は様々ですが、個人の問題だけでは済まないはずだからです。 もちろん、貴方が生徒の死から学んだように、個人として深く心に刻むべき出来事もあるでしょう。 良くも悪くも明日は我が身なのですから。