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オーストラリア先住民アボリジニの悲劇と現状
- オーストラリア先住民アボリジニは白人入植者による虐殺で多くの犠牲を出した
- 現在のアボリジニは絶滅の危機に瀕しており、保護の対象となっている
- アボリジニに対する公的扶助は必要な措置として考えられている
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公的扶助は文化の保護が目的かと・・・地図上では物理的にオーストラリアという1つの国だけど理論上は2つの国が存在するような感じでアボリジニの今までの生活や文化を守るためかと。 簡単に言うとインディオやアボリジニの文化は原始的な生活を好んでいて文明的な生活が逆に彼等にとって過酷な場合が有りますので(言語を使い、学校に行き、システム化された階級社会で生きることなど)。姿形は同じ人間でも文明(養殖種)、野生(天然種)であるかの個体の意思による選択の自由が有るということでしょうね。しかし物理的には同じ土地で文明社会を全く無視することも困難なのでアメリカのインディアンのように居留区が設けられたり国、州の法律とは違ったものが適用されたりするのではなかろうかと。
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- key00001
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> 日本人は日本のことだけを考えていろという意見でしょうか? 違います。 「征服者と被征服者の関係は、当事者が決めること」であり、第三者は基本無関係であると言うことです。 これは歴史的事実・現実であり、第三者が、考えたり言及することは否定していませんが、考察・言及したとても事態は一切変わりませんので、実際上は無意味・無価値と言う意図です。 仮に国際世論が、征服者・被征服者のいずれかを圧倒的に非難したとしても、その非難を受け入れるかどうかは、最終的に当事者によってしか判断・決定されませんので。 「戦後の日米の関係」も、征服者と被征服者の関係に該当します。 征服・被征服は「結果」であり、その「原因(戦争加害側・被害側など)」は関係有りません。 これを生物学的に言えば、人間に限らず生物は、より進化・適応した種が棲息領域を広げ存続し、進化・適応出来なかった種は、逆に棲息領域がどんどん限定され絶滅するのは「摂理」です。 ゾウを見て、「鼻が短い種を絶滅させた悪い動物」と言う認識はしないでしょう。 しかし原因と結果を混同すると、「ゾウは悪い動物」になります。 即ち「白人が原住民を征服して可哀想」「白人が悪いから」の様な短絡的・感情的な結論になってしまいます。 また、そもそもの質問は、たとえばトキの様な絶滅が危惧される動物を、人工的に保護し繁殖に努めるかどうか?と類似していますね。 こういう質問自体も無意味と言わざるを得ません。 それを保護するかどうか?を決められるのは、厳密には「一部の実際に保護活動を行う人間のみ」です。 そういう活動を行えば、概ねの国では、いくらかの公的資金は注入されますので、そういう人が居る限り、公的扶助は、要否に関わらず存続します。 アナタがその活動に賛成しようが反対しようが構いませんが、それとは無関係に、実際に保護活動を行う人によって活動が行われたり、あるいはその人達が活動を止めるかも知れません。 言い換えれば、扶助と言うのは「必要かどうか?」などではないのです。 「その必要性がある」と思う人が、存在するかどうか?と言うことです。 概ねの弱者や被差別者などに対しては、間違い無く扶助の「必要性」はありますので、必ず扶助者・支援者・協力者などは存在し、扶助は無くなりません。 それに賛同する人が多いほど、規模が大きくなるだけのことですよ。 公的扶助が無くなることなど有りませんし、その規模の妥当性については、賛否があって当然ですが、「必要な措置か?」「〇かXか?」と言う様な二択問題ではないのです。 一方、その人工的な保護を受入れて、繁殖するかどうかは絶滅危惧種自体が判断します。 こちらもアナタが賛成しようが反対しようが構いませんが、それとは無関係に、繁殖するかも知れませんし、絶滅してしまうかも知れません。 こちらは更に、公的扶助の規模さえ無関係です。 仮に絶滅危惧種を絶滅させないためには、公的扶助が絶対に必要不可欠であったとしても、それが出来るかどうかは、扶助者側には決定出来ません。
お礼
再度ありがとうございます。 仰っていることの意味は理解しているつもりです。その点については初めから参考になる意見としていただいておりますのでご安心ください。 質問のくくり方が悪かったなと反省しております。本質問の主旨は本件および類似した社会問題に対する取り組みや効果、さらにイデオロギーについて、皆様の知識と理解を分けていただこうというものでありました。そのうえで「どう思いますか?」と議論を持ちかける形にしたくはなかったので、表面上は2択を問うような質問の仕方をしたのです。 他の回答も含めていただいた回答についてはこちらの意図を汲み取っていただいた形になっていると思いますが、回答NO4については文頭の一文のせいで意図が伝わってないような気がしてしまいました。 回答中の表現を引用させていただきますが、「Q.トキを絶滅から救うために人は手を出すべきか?」という質問にたいする回答が「A.部外者がそんなことを考えても無意味です」では、質問者の意図が理解できていないと感じます。冷静に読み返してみればNO4の回答は特に実施的な観点からお答えいただいたのだと判断できました。もちろん結論がそうであるということには異議はありませんし、あなたの場合は文章の構成で結論を文頭にもってきただけだというのも理解しています。 回答NO4に対するお礼文がやや感情的になってしまって失礼な表現になってしまったことをお許しください。
- hekiyu
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1,チャールズブロンソン主演の「ホワイトバッファロー」 という映画にこんな台詞があります。 「白人は、インデアンが神から与えられた土地を 奪った」 「違う。インデアンの土地は、神から与えられたもの ではない。 他の種族から奪ったのだ」 白人がやった行為は腹立たしいですが、程度の差はあれ 人類は、皆、似たようなことをやってきたんですよ。 それを、今更蒸し返すのはどうですかね。 公的扶助などやったら、かえってその民族が堕落 しませんかね。 日本の部落民やアイヌのように。 2,”現在のアボリジニに対する公的扶助というのは必要な措置なのでしょうか? ” ↑ 扶助しないと、社会の秩序が保てない、乱れる、という 関係があれば扶助すべきでしょう。 そうではなく、アボリジニの為に必要か、といえば 必要でないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 大変参考になりました。先祖が行った他民族の排斥が罪ならば地球上に罪のない人類はいないでしょう。現在のオーストラリア人に責任があるわけでないことは確かだと思います。先代のケツを拭うかどうかは各自の倫理観によってくるでしょうね。ここはオーストラリア人の中でも意見が割れているでしょう。 公的扶助が民族の堕落を招くというのは現実的な問題で存在するのですね。 白人が行う公的扶助が倫理観からくる補償としての行為なのか、先住民の文化保護活動なのかよくわかりませんが後者であれば堕落を招くような処置は目的から外れているのであなたが仰るように必要ではないですね。
- key00001
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> 現在のアボリジニに対する公的扶助というのは必要な措置なのでしょうか? 基本的には当事者間で決定されるコトであり、我々日本人が要否を論じても無意味だし、内政干渉でしか無いと思いますよ。 ただ、「白人の入植のおかげで未開の部族が高度な白人文化を与えられたことに感謝するべきだ」と言う部分については、それは白人が「べきだ」と、感謝を押し付けるコトでは無く、「アボリジニが感謝しているかどうか?」で決定されるんじゃないでしょうかね? 実際にアボリジニが感謝している場合に限り、白人の言い分は「一理ある」と言えるでしょう。 それは我々日本人も、近いコトは経験していますね。 第二次世界大戦後、アメリカから扶助を受けると共に、アメリカ文化が多く流入し、一方で多くの日本文化も失ってますよ。 物質的に豊かになり、沢山の感謝もありますが、父権が強かった家長制度が崩壊したり、祖父母世帯との同居が減少し核家族化したなど「古き良き」部分を喪失したことで、弊害なども無いとは言えません。 復興・繁栄し、比較的「文化」も残された日本でさえ、100%感謝だけか?と言うと、そうでは無い部分があるでしょう。 「独自の文化を失う部分がある」「他の文化を受け入れる」と言うことは、半世紀以上が経過した今でも、「必要か不要か?」みたいに、シロ・クロをはっきりさせるのは、難しいと思います。 日本の場合は、比較的ラッキーな例ですが、民族が衰退し、征服者の保護下に置かれたアボリジニですと、「白人文化など要りません。今スグお返ししますので、元の生活に戻して下さい。」と言うかも知れませんね。 少なくとも、アボリジニが独自文化を保持・継承を充分に出来、彼らの尊厳を保つだけの公的扶助は、継続すべきではないか?と思います。 一方では、彼らの文化に影響を及ぼすレベルの扶助は、行うべきではないと言えるかも知れません。 それと日本の場合は、もうアメリカなどの責任は無いと言って良いでしょうけど、アボリジニの場合、「現在では絶滅の危惧がある民族」と言う状況であるならば、未だ責任は免れないのではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございました。 日本人は日本のことだけを考えていろという意見でしょうか?国際問題のカテゴリにある質問に対してそのような考え方をされるのはナンセンスだと思います。あなたが日米関係を引用しているように我々日本人の問題に置き換えてこの件から学べることがいくらでもあると考えます。 しかしながら回答内容は非常に参考になりましたよ。あなたの意見に賛同する点は多いです。 ひとつだけ、質問の本題から外れた部分だから突っ込むのよそうかと思いましたが「日本は比較的ラッキーな例」「アメリカなどの責任は無いと言って良い」ってのは本件の話と状況が違いませんか?だってアメリカは日本に侵略戦争を仕掛けたわけではないですよ。
- trajaa
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この辺の考え方はとっても政治的な要素を孕んでいると思います。 米国のアファーマティブアクション然り、南米諸国での先住民への補償問題(土地所有権利用権の簒奪に対する補償)も然り そしてアボリジニやマオリの人々への優遇策も然り。 何れも賛否両論です。 働かなくとも生活できる制度があるお蔭で、かえって自立という意識が生まれなかったり。 酒びたりや不健康な生活で早世する人々がいたり。 でも、世代が違うからって完全に自己責任として突き放すのも倫理的に問題があるんじゃないのか?と考えます。私は。 何もしなくても生活できるような扶助は、結果的に悪影響もあるので必要最低限に止め 努力を後押ししたり、報われるような支援制度というのが理想だと思う。 理想論かもしれないが。 なお、中には昔ながらの先祖がしていたのと同じような、自然のままの暮らしをしたいって心情の人もいるから 強制的に都市住民にして現代社会に適合させるって画一的なものは一方的だと思う。
お礼
回答ありがとうございます。 大変勉強になります。賛否両論なのですね。 気になるのは否のほうの理由です。悪影響があるから別の方法を模索するべきだという意味での否なのか、支援制度自体を不要だと考えて突き放す意味での否なのか。 世代が違うからと突き放すことが「倫理的」な問題であると考えられていることもポイントに感じました。私が特に気になっているのはこの点です。 我々日本人の第三者的な立場から見れば先住民を虐殺したことは今の倫理観で判断すると非道だと感じますが、当事者同士がこの問題をどう捉えているか疑問なのです。要するにオーストラリアに住む人が先代の非道行為の代償として倫理観から支援をしているという意識があるのかということです。どうも違うように思えてならないのです。
- 風車の 弥七(@t87300)
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タスマニア島の先住民族「タスマニア人」は虐殺のために絶滅しています。 過去の事と言うのは白人の身勝手です。 パレスチナの地を追われたユダヤ人は2000年後に戻ってきてイスラエル国を建国しました。 2000年後に戻ってきて国を作るとはなんと身勝手なのかと、ユダヤ国が滅亡後に住み着いたパレスチナ人は思うでしょうね。 アボリジニの公的扶助は必要です。 なぜなら彼らアボリジニは仕事を与えてはもらえないからです。 オーストラリアは過去に「白豪主義」と言う人種差別を行っていました。 アボリジニは自然の中で生きる人達で、文明や文化など関係ありません。 先に述べたタスマニア人も急激に減少し、あわてたオーストラリア政府が白人の文明・文化の なかで保護をしようとしてかえって逆効果となり、「ビッグ・ジョー」と「トルカ・ニーニ」が亡くなり絶滅したのです。 白人ていったい何様なのでしょうね。
お礼
回答ありがとうございました。 私の読解力不足かもしれませんが結論が矛盾しているように思います。 タスマニア人が文明・文化の中での保護が逆効果となって絶滅したのであれば、仕事を与えられないから公的扶助が必要というのはおかしいのではないでしょうか?この場合アボリジニに必要な保護は公的扶助ではないとするのが結論になると感じました。 イスラエルの件もなのですが、この場合は1000年前にパレスチナ地区に住んでいたという過去を持ち出しているのはユダヤ人側ですからオーストラリアの話に直すと過去は関係ないという白人の主張が正しいことになりませんか?
お礼
回答ありがとうございます。 大変勉強になりました。文化保護目的とあれば納得です。 であればなおさら公的扶助で白人社会の中で特権や優遇を受けさせるより、あなたがおっしゃるとおり先住民に自治区なり居留区なりを与えるような対応が望ましいように感じました。ただそれをなすためにオーストラリア国民の税金が使われるのであれば納得しない国民も多いでしょうね。