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中学の時の実力テストについて 

中学の時の実力テストにについて 友人に、中学の時の英語で毎回、100近くとっていた、友人がいます。 彼は、高校になってからそれほど勉強していなうようですが、 進研模試や全統模試で、偏差値60前半はとっています。 中学の時の英語力が、高校でも生かされているからでしょうか。 英文にも慣れていて、分構造を見抜く力や、基礎的な単語なども しっかり固まっているからだと思います。                     自分は、実力テストは60、70点くらいでした。 高校に入ってからは、おそらく彼より勉強しているとおもます。 違いはなんでしょうか。 ご回答お願いします

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回答No.1

色んな可能性が考えられます。 才能・素質の差、というのは、嫌な言い方ですが、 例えば、小さい頃から本を読むのが好きで、早熟気味の子だと、言葉に対する感覚も鋭い傾向があり、それが英語の習得を助けている可能性があります。こういうのは、才能・素質というよりも、そういうことも含めて、かけてきた時間・努力(必ずしも、苦しんでやる必要はない、というより、面白がってやれると、その分、効果が出やすかったりもします)の差、といった方がいいかもしれません。 物まねが得意で、それを人前でやるのを嫌がらない子の場合、そういうことは、男の沽券に係わるなどと考える子に比べて、外国語が身に付きやすい傾向があります。理由は、言うまでもないでしょうが。 単語を一つ教わったとき、それをそのまま覚えようとするんじゃなくて、必ず、辞書を引く、ついでに、周りにある単語も見てしまうような子は、最初の内は、一つ覚えるのに、周りより時間がかかったりしますが、何か月・何年単位で、身に付いた単語の量で、周りの子をう~んと引き離していたりします。文法なども、中には、グダグダどうでもいいことを考え過ぎて身に付かないタイプもいますが、ある程度までは、ほどほどに考えて納得した方がよく覚えられると思う子の方が、結果的には、よく身に付いたりします。 こういうことは、期間内に習ったことだけで勝負する定期テストよりも、入試や実力テスト、それ以上に、実際に英語を使わないといけない現場に立ったときに、より大きな差として現れます。 質問者さんのお友達は、質問者さんに比べて、例えば、上に挙げたようなことが優れている、それを認めたくないのなら、少なくとも、そういうところで、質問者さんより余計に時間をかけてきている、努力をしているのかもしれません。 根っ子の段階で、時間をかけ、努力をしていると、ある程度から先は、しばらくの間、人より時間をかけなくても、同じくらい進歩することがあります。あるいは、努力が余り苦痛でないため、傍から見ると、大して努力をしていないように見えても、それなりの努力になっているのかもしれません。 努力や勉強の質については問題にせず、時間だけの話をした場合でも、中学のとき、お友達が、ほぼ100点をとるために費やしていた時間と、質問者さんが、60~70点とるのに費やしていた時間には、ハッキリ差があったはずです。質問者さんのとっていた点数が、8割後半以上であれば、まだしも、高校に入って、1年ほどで、お友達が、例えば、1日平均30分くらいしか勉強しないのに、質問者さんが、その3倍勉強している、くらいでは、中学のときにかけた時間の差は、また埋めきれていない、というのが、おそらく、正確なところだろうと思います。 質問者さんが、今高校で習っていることだけで、精一杯の場合には、特にそうです。おそらく、中学の実力テストでとれなかった、3~4割分の穴は、高校の勉強で、埋まった分もあるでしょうが、それはせいぜい半分かそこらで、やはりそれなりの穴が残っていると考えられます。そこを埋める勉強もちゃんとやらないと、今習っていることで、努力している分が、全部身になってこない恐れがあり、いくらやっても、差は広がるだけ、ということもありえます。 勉強、特に語学の勉強には、意地をはるだけではダメで、ある種の素直さ、というものも必要です。俺の方が勉強しているのに、と悔しがっているだけでは、なかなか、前進できません。そのお友達の方が、少なくとも、現時点では、優れている、ということを認めて、どう勉強しているのか、どう考えて問題を解いているのか、教えを乞うような姿勢をとることができると、それだけで、いきなり前進ができることもあります。質問のような話をくよくよ考えているヒマがあれば、そういうこともやってみてはいかがでしょうか。

roto6takarakuz
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました 少し意地をはっていました。 素直になって勉強がんばります