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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:趣あった国鉄)

旧国鉄と現在のJRを比較してみた

このQ&Aのポイント
  • 現在のJRと昔の国鉄を比較すると、鉄道の進歩が明確に感じられます。
  • 首都圏ではスイカやパスモを利用して改札がスムーズになり、駅舎も近代的で明るい雰囲気となりました。
  • また、特急車両も快適で美しい車両が登場し、JR九州などではアニメや建築デザイナーとのコラボ車両も運行されています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kuma-gorou
  • ベストアンサー率28% (2474/8746)
回答No.2

学生時代。暇は有っても金がない(ー_ー)!! 新大阪から西鹿児島(現鹿児島中央)まで、急行「しろやま」で旅した事があります。 新大阪を14時ごろ立って、翌日の9時前の着予定が、八代辺りから遅れ出し、単線の悲しさ。列車交換待ちの繰り返し。結局、西鹿児島に着いたのがお昼前。 その時、乗車した客車は忘れもしないスハ33。昭和40(1965)年の話です。 他にも、SL終焉期(昭和40年代)は、東西奔走。 駅の待合で一夜を過ごし、駅員さんからお茶の差し入れが有ったり、北海道では、海が荒れ青函連絡船が運休。丸2日足止めで返るに返れず。 矢張り、北海道は地の果て、現地の人々が本州を内地と呼ぶのもうなずけます。勿論、昔の話。今時通用しませんね。

YOWARIKI
質問者

お礼

回答有難うございます。 お宅様のお話は鉄道史の証言として、資料的価値ありますね。急行「しろやま」って、当時急行「雲仙」や「かいもん」って列車が走ってたあのシリーズですよね。また海が荒れた時に青函連絡船が欠航して足止めをくったのは私も高校生の頃に旅行して経験ありますが、今の若い人にしたら青函連絡船ってもう過去の遺物なんでしょうね。いや、青函連絡船そのものを今の若い人知らないんじゃないですか。

その他の回答 (1)

noname#251407
noname#251407
回答No.1

JRは運搬・搬送 国鉄は「旅」 基本姿勢が違い、比較は出来ません 長距離鈍行列車の「旅」は昔の話し   東京→下関 48時間   停車駅で各地の情緒と人情を感じた旅でした  

YOWARIKI
質問者

お礼

回答有難うございます。 東京→下関が48時間もかかったんですか。停車駅ごとに乗ってくる人の訛りが違ったでしょうから面白かったでしょうね。

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