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第二の人生は最高に楽しくて、幸せという人いますか?
私は40代の独身、自営業の男なのですが、長年、私が持っている思いについて、まず書きます。 私が住んでいる県は、県庁所在地も小都市で県全体がまんべんなく田舎です。 全国にチェーン展開している会社や店なども私の県にはない事が多いです。 私はこれまで、いくつかの物事に興味を持ち、自分もやってみたいと思った事がありました。 高校生の時は、音楽に興味を持った事がきっかけでギターを始めたいと思うようになり、そして、いつかはバンドもやりたいと思うようになりました。 自分の周りにギターをしている人もおらず、最初は教本で独学で練習していたのですが、独学にも限界がありギター教室に通いたいと思ったのですが、田舎にそんなものありませんでした。 そして進歩もないまま、一人で練習してても面白くないと感じるようになり、いつの間にかギターをやめてしまいました。 そんなある日、隣の県の大都市にある全国チェーンの有名楽器店に行った時、そこにあったオープンスタジオで、自分と同じくらいの年齢の男の子達がバンドの練習をしている光景を見た時、「この子達と自分とでは住んでいる環境が違いすぎるんだな~。」と実感した事を覚えています。 その後もある事があり、マジックを覚えたいと思ったのですが、田舎に教えてくれる所などありません。 他にも、NLPに興味を持ったのですが、田舎でセミナーなどが行われる事はありませんでした。 英語を習っても、「こんな田舎で役に立つ事があるのか?」などと思うようになり、止めてしまいました。 よくテレビや雑誌などで、社会の色々な分野で活躍している人達が紹介されたりしますが、そのような人達の話しを聞いていると、「やっぱり自分とは育った環境が違いすぎるのだな。」と感じる事が多く、気が滅入る事も多々ありました。 このような経緯があり、私の頭の中では、「田舎に住んでいたら何もできない。」という固定観念が完全に出来上がってしまいました。 そのようになってから無気力というか脱力感があるという感じで、何かをしようとか、何か新しい事に挑戦してみようと気すらしませんでした。 私はこれまで 「どうして、自分はこんな田舎に生まれたのか?」と思った事は一度や二度ではありません。 そして、楽しい思い出がなく、悔しい思い出しかない地元も好きにはなれないままです。 しかし最近、このままでは何のないまま人生が終わってしまうと思うようになり、何とかして自分を変えて、「私は〇〇しています。」と誇れる人間になりたいと思うようになりました。 そう遠くない将来、家族が亡くなり、私、一人になった時、地元を離れようと思っています。 そこで、やりたい事をやって充実した第二の人生を送りたいと思っています。 そこでぜひ、私と同じよう境遇だった人や立場、境遇は私とは違ったとしても第二の人生をエンジョイしているという方、こんな私に経験談やヒント、アドバイスをもらえないでしょうか。 よろしくお願いします。
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- rurinohana
- ベストアンサー率37% (860/2316)
こんにちは。NO.13のruinohanaです。 お礼のコメントを頂きまして、ありがとうございました。 確かにあなた様の言うとおり、離婚時は大変でした。 それまで口答え一つしてこなかった、 都合のいい「いい嫁」が強い態度にでたので、 ジジババ、夫は腰を抜かすほど驚いていましたね。 しかし、夫に非があったのと(不倫、借金) 離婚するか、この家に火をつけて無理心中するか 二者択一ぐらいの勢いで行動しましたので、こぎつけました。 ひと月で7キロやせました。 あのときに「人間その気になれば、なんでもできるんだ。」と思いました。 あの生活から逃れることなど、不可能だと自分で諦めるよう 毎日言い聞かせて生きてきたのが、ウソのようです。 田舎のあのシステムは、膨大な土地や財産を、 子々孫減らすことなく伝えるには、いいシステムだと思うのです。 その土地や財産で、一族がしっかり食べられて、 死ぬまで困らずに生きているのなら。 私の前夫の家は旧家で、大変な土地持ち「でした。」 ジジババが100回は繰り返して私に言った話によると、 前夫の祖父の代までは、羽振りが良かったそうです。 しかし、戦後で憲法が変り 家長制度が崩壊すると、遺産も跡継ぎに全部相続するのではなく、 兄弟にも平等に相続することになり、 前夫の祖父は大勢の子どもに、「生前贈与」するために 土地を売り(丁度高度成長期で飛ぶ様に売れた) 夫の父(私の元舅)が継ぐ頃は、畑も田んぼもしておらず、 家屋の建っているところと、借家にしている土地のみ、 前夫の父が相続したのです。(墓仏壇も) 前夫の祖父の代で、土地も財産も100分の一以下になっていたとのこと。 一族が結束して、必死で守るほどのものではなくなっているのです。 それを、祖父以前の感覚はまだ残ったままで 仕事も学校も実家か通える所以外ダメ。 18になったら消防団と青年団に入れ。 近所で火事があったら、職場に行っていても 即帰宅して出動せよ。 盆と正月にきっちり休める仕事に就け。 法事はもちろん、近所の葬儀の手伝いに休める仕事に就け。 親の病院通いに送迎できる仕事に就け。 昼に帰宅して親のご機嫌伺いが出来る仕事に就け。 朝は7時、昼は正午、晩は5時に食事をするから、 必ず食卓にいる仕事に就け。 今時そんな仕事、あるわけないでしょう。 前夫父は、公務員をしてその後、 自営業をしていました。 祖父は農業。 「家の事情で仕事をいくらでも休める。」という世界しか知りません。 結果、前夫は家業を継ぎますが、客観的に見て素質がないので、 今思えば本当に気の毒です。 彼自身には、しっかりした上司の指導の下で、 車のセールスマンなどがあっていたと思います。 人懐こく、明るく、初対面でも会話も弾む人ですから、全国転勤して 人と自分の好きな商品をつなげる仕事などがよかったのでは・・・と思ってしまいますね。 雅子様も、海老蔵さんも、 守るものはあまりにも大きいですよね。 しかしはっきりと守る物があるのは確か。 私がおかしく感じるのは、守る物などすでになにもないのに、 それに囚われて「墓が仏壇が」と縛ることです。 土地も財産も沢山あったことでしょう。 それで、過去の一族みんな、食うに困ることなく 十分そこから恩恵を受けてきた。 今残ったのは残りかすの、何も生み出さないわずかな土地。 尻の下だけの土地。 そんなものにしがみついていては、 新しい芽が出ても、養分がないのだから 育たずに腐っていくだけ。 前夫が今まさにそうなんです。 種は肥沃な土地まで飛んでいけばいいのです。 そこで、根を張り葉をつけ、土地を覆わんばかりに栄えればいい。 「先祖代々の土地だから。」 地球が宇宙に出現した時から、あんたの先祖がいたんですかってこと。 先祖先祖ってみんなさかのぼれば、海に浮かぶクラゲでしょうが。 数百年ちょっとその土地にいただけでしょうが。 もう十分恩恵は受けたはず。 役に立たない田舎の土地など、お国に返して もっと別の肥沃な土地で、広がる方がいい。(あなた様の弟さんのように) 私はそういう考えに至りました。 (嫁の私には元々関係ない土地ですがね。) 歴史でみても、ゲルマン民族は大移動し、 ユダヤは出エジプトをした。 「ここでは生きられない!」と決心して 先祖の土地を捨てて、新天地へ歩きだす。 これで人類はここまできたんです。 アフリカのどこかで出現した、人類の祖先だって、 より住みよい所を求めて 勇気ある一歩を踏み出した。 それで今の全人類がいるのですから。 山口から福岡へ勇気ある一歩。 それがあなた様の喜びに満ち溢れる 本当に自分のものと言える、人生の初めの一歩になるよう、 祈っています。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
不思議ですねえ。 似た感性の人は、似た本に惹かれる、ということがこれまでもときどきありました。 海外運というのはあるらしいです。インド占星術師さんにあなたは強い海外運がはっきり出ていると言われ、 西洋占星術でも射手座で海外むき哲学系とかかれていたりします。 >自分の居場所、もっと言えば"死に場所"を探していたような気がします。 そうなのですね。 わたしは「息ができる場所」「根付ける場所」をさがしている感じです。 未だに探し続けています。 居場所だけでなく人付き合いでもそうで、 自分が息がつまるような関係の人とはなれ、 もっと自由に話せる人との付き合いに変わって行く時期です。 ブログは不定期更新ですがいつでもお越し下さい。 独り言的なので、のめり込んだ書き方をしていると思いますがすみません。 じつはブログのやり方もよくわからないまま始めたので、 メールの設定もしていなかったと思いますが、見ておきますので。
お礼
ご回答ありがとうございます。 メールを送らせてもらいました。 ぜひ、読んでみてください。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
とても不思議ですね、運命みたいな物かもしれませんね。 わたしのまとまらない思考をそのまま書いてあるブログでちょっとお恥ずかしいですが、 読んでくださりありがとうございます。 書きたいことは山ほどあるので、チョロチョロと気の向いた時に書いて行こうと思います。 「あるヨギの自叙伝」のことでしょうか? わたしの愛読書です。わざわざ日本から輸入しました。 わたしも、実は電磁波過敏症という悩みで、合う感じのHPを見つけたことがあり、その人がヨガナンダのSRFの会員だった、ということがあり、衝撃的でした。 だから最初から、何か通じる物があったんです。 過去の自分と同じ悩みに苦しんでいる人のためにたくさんの情報をまとめたHPで、懇切丁寧です。 わたしもインドのスピリチュアリティに惹かれるものがあり、今はとくに考えていませんがいつかは訪れるかもしれません。 同じ臭い、やはりあります。 >同じ日本人でも都会と田舎では人種が違うのではないでしょうか!? >そして、広義では日本自体が世界の中の田舎だと言えると思います。 その通り、と思います。 私は日本では富山県と石川県にしか住んだことがありませんが、同じ北陸地方でもおどろくほど価値観の違いがあり、富山県の方が人々の心が10-15年ほど昔な感じがするのです。 広義では日本自体が世界の田舎、その通りと思います。 日本は閉鎖的、排他的社会ですし、日本文化自体が一つの明文化されていない宗教のようになっており、中にいる人は気づいていません。 わたしのいるカナダは、もはや白人の国ではなく、世界じゅうの移民から構成されています。 ちょっと外に出るだけで、インド人、中国人、アラブ人、アフリカ人、韓国人、ごちゃまぜです。 宗教や考え方も、驚くほど多様です。日本人の常識は、通用しません。 なので、「みんな違うからお互いに尊重し合いましょう」という感じになっていて、誰にでも居場所がある感じです。 >私みたいに田舎と相性が合わなくて、都市に移りたいと思うのと、 >日本と相性が合わなくて日本から出たいというのは、話の抽象度が違うだけで同じ事だと思います。 そのとおりと思います。 わたしのブログでブックマークとして紹介している、「瞑想日記」というサイトがあります。 運営者の方は、瞑想教師兼、インド占星術師です。 その方に占っていただいた所、「強い海外運がある」といわれました。 海外運というのは、「生まれ育った土地から遠く離れた所で幸せになる」ということらしく、海外に限らず、国内の遠方ということもあるようです。 また、わたしの場合、「居場所を見つけること」が人生のテーマになっているそうで、そのため海外へ出る気持ちが人一倍強かったんだろうと思います。 わたしは、6歳ぐらいからすでに環境に違和感を感じ、自分が宇宙人かなにかのような気がしていて、「ここは自分の居場所じゃない」と感じていました。 変わった人に惹かれる傾向があり、変わり者または外国人と結婚するという運命も言い当てられました。そのとおりで、それで苦労していますが(苦笑) また、子供をもつ縁は薄い、可能だけど不妊の可能性もある、と言われ、なんとなくそんな気がしていました。 その先生はとても真実な方で、千里眼のような物を持ち合わせていらっしゃるようにさえ感じます。 自分の星回りを見ていただくと、驚くほどその通りと思って、自分らしく生きることにさらに前向きになれ、自分らしくない執着や迷いから自由になりました。 foq7vsdさんも、似たような星回りをもっているのかもしれませんね。 加藤嘉一さん、効いたことありませんでしたが、検索してみました。もうちょっと読んでみようと思います。 わたしはスピリチュアリティや心理系一辺倒だったのですが、 現実的思考が足りなかったので、取り入れてみたい内容かも知れません。 >私は、人口に占める地元民の割合が高い県ほど、保守的な傾向があると思います。 なるほど・・・そのように深く考えてはいませんでしたが、その通りだと思います。 富山県は、地元民だらけです。よそから来た人は少ないし、風当たりも強いです。 カナダは逆に、都市の方では地元民なんてほとんどいません・・・ 白人でさえ、数百年前に移住してきた人の子孫です。 私の住んでいる都市は、白人が2、3割、アジア系が3、4割、(東南アジア系も含む) 残りがラテン系や黒人系という感じです。 「自分の常識が通用しなくて当たりまえ」が前提の世界です。 Multi-Culturism といいます。 国際結婚もすごく多いですし、たとえば日系2世カナダ人と、中国系2世カナダ人が結婚、みたいに、異文化結婚もあります。 やっぱりアジア人はアジア系の人と仲良くなる傾向があります。 英語がうまくない人も多いのは承知の上なので、お店の人などもその点忍耐や理解があります。 (英語ネイティブばかりの英語圏だと、相手にしてもらえないなど、かえって差別対象になりやすいそうです。) 外国に来ると、日本が大人気なのに驚きました。 寿司などの食べ物や、家電製品、アニメ、ドラマ、マンガ、古い日本文化など。 日本食は、ほかよりも一段高い高級食あつかいです。 外国人の日本好きは、どこか今の本当の日本を見ていない感じもしますが、 わたしの故郷の国を好かれて、悪い気はしません。 わたしは海外に来てから、日本の好きなところが見えてきたし、故郷のことも遠くからなら愛することができて、幸せです。 故郷でのつらかった思い出も、遠く離れると冷静に見られるというか・・・。 過去の心の整理にもなったと思います。 わたしは、一つ困難をのりこえるたびに、どんどん心が軽くなって行き、気持ちよく生きられるようになっています。 むかしはもっと、引きずるように生きていて、泥沼の中にいましたが、今はまるで羽が生えてきたかのようです。 それでもたまにボチャンと泥沼にまたおちるんですが・・・もう、これもまた一興、と2、3歩ひいて見る感じになりました。 そこから上がれば、また軽くなるのが分かっているので、ありがたい成長の機会だと思っています。 人生の困難が、だんだん、困難ではなくなっていき・・・汚れおとしのチャンスのようになっていきました。 ああ、ありがたいです。 あなたとお話しできて、わたしもうれしいです。心から応援しています。
お礼
kanakyu-さん、ありがとうございます。 「あるヨギの自叙伝」はまだ読んでいないのですが、私は少し前にニルバーナのプロセスとテクニックという本を買って読んでいました。この本の一番最後のページに「ある、ヨギの自叙伝」という本の紹介があり、ギョロ目のインド人の顔が載っていて印象的でした。 それで、この本に興味を持って読んでみようかな。と思っていた矢先にkanakyu-さんのブログでも、「あるヨギの自叙伝」の本のタイトルを見かけ、「あれれれ・・・。」と思った次第です。(笑) 私は占いとかは信じない方なのですが、"海外運"というのがあるんですか? なんとなく思うんですが、地元を嫌えば嫌うほど、遠くに行きそうな気がします。 私はこれまで、アジアを中心に十カ国くらい行っているのですが、その度に自分の居場所、もっと言えば"死に場所"を探していたような気がします。 10年くらい前は海外に移住する事も考えていました。 なんだかんだと言っても生まれ故郷や日本とは縁が切れないと思いますが、適度な距離を置きたいと思います。 これから、ちょくちょくとkanakyu-さんのブログを見させてもらいます。 そして、いつになるかはわかりませんが今度、ブログの方にメールでもさせてもらっていいでしょうか? 何度も、回答してもらってありがとうございます。
- rurinohana
- ベストアンサー率37% (860/2316)
こんにちは。40代既婚女性です。 田舎の旧家の長男の嫁として、15年同居経験があります。 あなた様は、田舎の長男として育てられたのですね。 親御さんから「家を離れるな」「墓の世話、仏壇の世話をしろ。」と言われてきた。 分かります。 私は嫁でしたが、前夫も、嫁の私もそう言われてきました。 当人の人生など微塵も考えないのです。 生まれてきた役目は、墓と仏壇の世話のためだけなんです。 そこには、ギターを弾いて、バンドを組むとか、 英会話を上達させて、世界で活躍することは求められていません。 ギターを弾く暇があれば、庭の草を引け。 英会話をする暇があれば、お経の一つも覚えろ。 先祖の戒名をすらすら言って、命日も全部覚えろ。 命日の月参りの坊さんとの会話術を覚えろ。 親戚の付き合い方を覚えろ。 世界に羽ばたくな。一生この町から出ることならん。 盆と正月は、仏壇の世話、神棚の世話。 神官か、坊さんのようなことを求められます。 電車に乗ってギター教室に行くぐらいなら、 街に出たら仏壇に供える物を買え。 自分を研鑽したり、趣味で楽しむ必要はありません。 そこには人権思想は無いです。 ただの墓や仏壇の木の札(位牌)を半永久的に現状維持するためにのみ、生きている。 あなた様は生家の墓、仏壇ですから ご自身の先祖です。まだいい。 嫁の私にとっては、何のかかわりもない 血も繋がっていない人の墓と仏壇です。 それに縛られ、全ての行動を制限されてきました。 理不尽さを夫に訴えても、夫は洗脳。 「そういうものだ」 ええ、離婚して今前夫は60前になっているはずですが、 あなた様のような気概はないですね。 あのまま一生墓と仏壇の前で座っているだけでしょう。 それで本人が満ち足りているならそれでいい。 あなた様は「家族がなくなって」ということですが、 それを待っていていいのですか? あなた様も年が行きます。 母上はあなた様だけが頼りでしょうが、 弟さんにも生家を見る義務はある。 財産や土地、きょうだいで平等に分けるなら、 あなた様だってもう家を出てもいいのでは? 田舎では「親不孝もの」とそしられるでしょう。 でもその世間が、あなた様の人生に責任とってくれますか? 私はあなた様と同じく、自分の人生これで終わりは嫌で、 離婚しました。 今は、全く180度前夫と違う立場の男性と結婚して 最高に幸せです。 前の結婚では、私は「嫁」以外を求められなかった。 嫁には人権は無い。 子孫を作る機械、仏壇と墓の世話、親戚付き合いの執事、家政婦、 老人の介護士。 発言権も一切無しです。 「嫁など飼っている牛馬以下なんだから。」と義親に言われていました。 もちろん嫁の実家など、軽視です。 今の結婚では「嫁」は一切求められません。 夫は「君は嫁ではない。嫁は奴隷だ。君は俺の妻。人生のパートナーだ。」と 尊重してくれます。 盆も正月も、夫婦で遊びに出かけます。 美味しいものを食べても、綺麗な服を着ても にらまれません。 実家の親に親孝行することもOKです。 前の結婚では電話一本かけられませんでした。 不夜城の街に住んでいるので、 最前線の時世を体験できます。 休みの日に外を歩いていても 「○○の嫁がどこそこでフラフラ歩いていた。」と ただ外を歩くだけでとがめられることもないです。 化粧をしても、美容院へ行ってもいいし、 夫は綺麗にしていてと言ってくれます。 前の結婚では、朝顔を洗うよりも トイレ掃除をしろといわれ、口紅など塗るのは 水商売の女のすること。 スカートやヒールのある靴も禁止でした。 21歳で下着は老婆用のババ下着をつけるよういわれ、 日曜朝7時に「いつまで寝てる!」と義父に怒鳴られました。 離婚して下着を全部捨て、綺麗でレースや色の鮮やかなものに、変えました。 自分の好みの服を、デパートのバーゲン初日に、徒歩で買いに行きます。 世界中の美味しいもの、美しいものが集まり、 買えなくても好きなだけ見て廻れます。 あなた様はもう、十分に頑張ったでしょう。 そろそろ自分のわがまま通していいのでは?
お礼
rurinohanaさん、ご回答ありがとうございます。 rurinohanaさんが書かれておられる通り、私は"ど田舎"の旧家の長男です。 この古い体質を引きずった、現代の封建社会で私はこれまで生きてきました。 いや、生きていたと言うと何か主体的な感じがしますが、正確には"生かされてきた"と表現するべきでしょう。 私がこれまで置かれてきた状況はまさしく、rurinohanaさんの言われる「当人の人生など微塵も考えないのです。生まれてきた役目は、墓と仏壇の世話のためだけなんです。」の通りです。 それにしてもrurinohanaさんは、旧家の長男さんの所に嫁がれながら離婚されるとはかなりの勇気をもっての決断をされたのでしょうね? 私は感受性が強いのか、rurinohanaさんが離婚を決断される時の心境を感じ取ってしまい、こうして文章を打っている間にも胸が苦しくなって、涙が浮かんできます。 このような事は以心伝心といいますか、非常に不思議なもので、理解してくれる人は、私が多くを語らなくても瞬時に理解してもらえるのですが、私が言っている事が理解できない人は私がいくら事細かく具体的に説明しても理解してもらえません。 私は質問文で田舎と書きましたが、この事は本当は田舎だけの問題でなく日本全体の根幹の問題のような気もします。 例えば、日本の伝統を継承させられるような世界、"歌舞伎"などでも、歌舞伎役者の家に生まれた子供は子供の時から意思とは関係なく芸を仕込まれます。 私は歌舞伎役者の"海老蔵さん"をテレビなどで見るにつれ、その表情、言動、しぐさなどから、「俺は本当は歌舞伎役者なんかしたくないんだ。」という感じを受けます。 他には政治の世界で政治家を稼業にされている方々の"安倍晋三、麻生太朗、福田赳夫"などの面々を見ると、「本当は政治家になんかなりたくなかった」という印象を受けます。 そして、もっともご不憫だと思うのが、天皇家の嫁がれた雅子様です。 私は雅子様がご病気になられる理由が自分の事のように理解できます。 雅子様のご苦労は私などとは比較できないものでしょう。 私はこれまでの経緯を経て、これまでのしがらみを絶ち、新天地で新しい人生を出発する事を決意しました。 私はとなりの県の福岡に移住しようと考えています。 当面は福岡にアパートを借りて、週末だけあちらで生活し、地元と福岡の二重生活をしようと思っています。 そして、徐々に軸足を福岡に移していき、最終的には完全に福岡の方に住むつもりです。 私は実はrurinohanaさんのような方の回答を内心、期待して待っていて自分の背中を押してほしかったのかもしれません。 rurinohanaさんの回答が助けになりました。 なんだか心が軽くなりそうです。 ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
日本人は、何か人に評価されること、豊かになること、 といった“変化すること”に価値があると考えています。 ところがブータンは、つい20数年前まで鎖国していた ために、集約農業のジャポニカ米農耕を核とした自給 自足社会=濃密なコミュニティの助け合い社会のまま 現代に到っています。 田舎といっても、主な車道は、国内を東西に貫通する 1本だけで、車で行けない(徒歩2日)県庁所在地が あるわ、僕が3年いた東部の中心地(タシガン)から 首都まで、唯一の交通機関であるバスで3日かかる わ(空港は首都だけ)、電気は来ているけど夜になる と電灯がつかないわ(電圧不足)で、海外コンサルと して途上国慣れしていた僕も、ちょっと呆然としました。 そこで彼らは数百年同じ暮しをしており、また留学し ても必ず帰って来てブータンで働きたがり、「この国 がいい」と言います(例外は日本人女性と結婚する ケース。ブータンは母系社会で女性が家を継ぐので、 婿入りしないと実家の下男扱いになるから)。 要するに、濃厚なコミュニティの人間関係、しかも 農閑期に村人が集まって互いの家を建て合うような 助け合いの意識の中で育った意識にとって幸福は、 名声や物欲ではなく、愛する人たちと日々を生きる 事なのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ブータンの田舎に3年間、住んでいたとはすごいですね。 現在のブータンは日本の昭和30年代くらいの生活レベルだと思えばよいのでしょうか? 私は以前、ネパール人の友人がいたのですが、彼が言うにはネパール人はチャンスがあれば海外で働きたいと思っているようです。 ネパール、チベット、ブータンなどはなんとなく似てそうな感じがするのですが、実際は結構違うのでしょうか?
たくさん回答ついてますので、これ以上は不必要でしょうけど、 ちなみにですが、ブータンはあえて真の幸福を求めて、ああいう古き良き時代のような生活をしていこうと 決めた国ですので、あなたの田舎の不便さとは全く違います。詳しくはないですが、 一時都会化のようになって国民が不幸せになってきたので、昔の幸せだった頃に戻ろうってことで ああいう国になって国民が幸せ度ナンバー1になったんだとTVで観たことがありますよ。 田舎=不幸せでは必ずしもないってことですね。 あなたは都会に産まれたかったという方なんでしょう。 それぞれの回答者さんが言ってることはどれもいいことを言ってると思います。 ただ、あなたの育ってきた環境からは受け入れられないんだろうなーと思います。 でも、頑なに、自分の酷い環境はわかってもらえない!じゃなくて、少し頭をやわらかくしてから 考えると皆さんが何を言いたいのか伝わると思いますよ。 それも踏まえて、kanakyu-さんのように、悩みつつもわくわくした気持ちで前へ進めるといいですね。 私の父は還暦すぎてから、ハワイで生活しはじめました。楽しそうです。第2の人生過去のことで後悔したって、田舎や他人のせいにしたって仕方ないです。これからは、楽しんで過ごせるよう頑張ってください。
お礼
よく知らないのなら語らない方がいい。 幸福度世界一と言ってもブータン政府や国王が勝手に言っているだけのことかもしれません。 国民は全然、違う事を思っているのかもしれませんよ。 ところで私がどこの部分で、田舎=不幸せと書いていますか? 田舎でも幸せだと感じて生きている人はいますが!? ただ、私自身が田舎と田舎の人間と相性が合わないと言っているだけです。 一体、それのどこがおかしいのでしょうか? 私は質問文の中で子供の時からのいろいろな経緯を経て、家族が亡くなれば移住しようと思っていると説明しています。 今の私は過去には拘っていません。将来だけを見つめています。 過去の事をどうのこうのと言っても意味のない事です。 そこのところをご理解されない方々が回答で質問の趣旨とは見当違いな、「やろうと思えばやれたはず。」などと回答されています。そんな事を言われても、今さらどうする事もできるわけがありません。 時計は巻き戻せないのです。 人間一人一人、境遇が違うのです。 ですから、私は現在、第二の人生を歩んでいる人の経験談を聞かせて欲しいと質問したのです。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
>「家の周りは田んぼばかりですが、車で一時間も行けば、大きい街があります。」というのは、 >私にとって田舎とは言えません。 >それは私に言わせれば、大都市郊外に住んでいるという事で、完全な田舎とは言えません。 まったく同意です! あなたも同じような苦しみを味わっているんだなあ、と思いました。 わたしの出身県は、富山県です。 大阪へは車で6時間、それが一番近い大都市です。東京へは8時間、 仙台へは行ったことないですが7時間ぐらいではないかと思います。 大都市郊外の田舎とは違う、その意味がわかります。 わたしの親や祖父母世代は、大都市に行くなんて、一生に数回もあるかないか、という感じです。 だから大都会は全く別世界というか・・・。遠い世界の話です。 海外旅行に毎年行くような人はほとんどいないですね・・ 私の同世代の人では、1、2回行った経験があるのが平均な気がします。 そもそもすごく堅実に節約する県民性なので、旅行とかにお金を使うなんてもったいない、 それなら貯金して家や車を買おう、という感じです。 盆地ではないですが、山や海に囲まれて孤立している県なので、 ここだけ1980年代ぐらいで価値観が止まっているんじゃないの?と思うこともあります。 隣の石川県の人は、ぜんぜん違うので。 >その時、知り合いを介して知り合った日本人やその他の国出身の人達は、 >夢を追いかけていて、目が輝いていて、生き生きとした人達ばかりでした。 わかります! わたしも海外在住の日本人は全然ちがうって思うので。 すごく話しやすいと感じます。 外国人の人も、カルチャーギャップはありますが、本音で話せるところが楽です。 秋葉原のその事件は、わたしは知らないと思います、すみません・・・ 人は精神的においつめられると絶対後で反動が出るとおもうので、 みなできるだけ自分らしく生きてほしい、と思います・・。 わたしも、親をたいへん恨んだ時期がありました。 いろいろありすぎて、筆舌に尽くしがたいです・・・ でも、自分らしく生きる道をすすんだことと、 親と遠く離れたことがきっかけになり、むしろ和解の道が開けました。 昔はホントに悪い関係だったんですが・・・今は遠くからお互いを思いやる、縁は薄いけれどいい関係です。 いろいろしがらみがあって苦しいのわかります・・ 「出る杭はうたれる」 「でも、出過ぎた杭はうたれない」 という感じではないでしょうか? わたしは、やっと出過ぎた杭になることができたので、助かりましたが、それまでは打たれつづけました。 というか出過ぎてしまうと自分も何か言われても割り切れます。 留学の猛反対があったので、 渡航前に、日本で勉強して英検準一級をとったりして、やる気を見せて理解してもらおうとしました。 いまいちそれも理解してもらえなかったみたいですが、頑張ってよかったなあ、と渡航してから思います。 渡航後1年弱で、TOEIC920点をとって、結果を出すととたんに見る目もかわったみたいです。 親も、地元の友人も。 むしろ、私の子供(友人)は英語できるんですよ、みたいな鼻高々で、 なんなんだ以前とのその違いは?という感じです。 まあ、うれしいですけどね、その前は風当たり強かったので複雑な思いはしました。 実際は私の中身はなんにもかわっていないんですが・・ そういう世間的に認められる数字を出すと、とたんになんか違うみたいです。 根本的に合わない人種だなあ、と思います。 そこに至るまでは、一人で地道にやってきました・・・ 向かい風の中、孤軍奮闘するのは、ハンパじゃなく辛くて、海外に渡って辛い思いするたびに、くじけそうにもなって。 もし、当時、誰か夢に向かって本気で頑張ってる仲間がいたら、 応援しあったり、辛い時に支え合ったりできて、もっと楽だったろうな・・と思います。 海外に来るときも、だめだったら日本に帰ろうって気持ちは、少しはありました。 逃げ道を断つような感じではなく、残しておいて、「試してみる」つもりで来たのもあります。 いつでも帰国できるんだ、と思う気持ちが、余計にここで頑張ろう、って思えたと思います。 わたしも、今人生の岐路にあって・・ 旦那と、離婚が決まったので、 これからこの国での自分の身の振り方を考えているところです。 日本に帰国するつもりは今のところありません。 住んでいる国はカナダです。 フランス語を習いに、別の州にうつろうか、なんて考えています。 昔の夢をほりかえしてみようと思いまして。 でも、見知らぬ土地に移るのは勇気もいるし、最初は3か月か半年ぐらい、留学するつもりで行こうかな、なんて思っています。 今のところにいてもいいんですけど、やってみたい気持ちは、ずっと消えないと思うので。 思っているのと違っていたら、戻ってきてもいいですし。 家族もいないし、寂しいですが、その分身軽です。 あまり多くをもっていない分、失う物もすくないというか。 決して軽く考えている訳じゃなく、決心つかなくて半年ぐらい悩んでいました。 4月ぐらいに出発できたら、と思っています。 あなたの夢、応援しています。 それに、わたしの悪戦苦闘の経験が、参考になるなんて、うれしいです。 当時は、そんなこと夢にも思いませんでした。
お礼
再々回答ありがとうございます。 kanakyu-さんは富山県出身なんですか? 私は山口県在住です。 一概に田舎と言っても、人によって田舎の定義が全然、違います。 そして、田舎にもその度合いがあって田舎度の高い所もあれば田舎度の低い所もあり、それに合わせて人間の意識、価値観も違うと思います。 同じ日本人でも都会と田舎では人種が違うのではないでしょうか!? そして、広義では日本自体が世界の中の田舎だと言えると思います。 結局、私みたいに田舎と相性が合わなくて、都市に移りたいと思うのと、日本と相性が合わなくて日本から出たいというのは、話の抽象度が違うだけで同じ事だと思います。 現在、中国で一番有名な日本人で中国のメディア等で活躍されているコラムニストの"加藤嘉一さん"という方がおられます。 最近、日本のメディアにもちょくちょく登場されるのですが、この方が少し前、NHKの番組に出られていた時、「子供の時から、長いものには巻かれろ、出る杭は打たれるという日本の風潮に息がつまり、とにかく日本から脱出したかった。」と言われていました。 そして、何でもはっきり言い、たまには殴り合いのケンカになる中国人の方が日本人より付き合いやすいと言われていました。 私が長年、抱いている気持ちや考えも加藤さんと同じです。 ただ、加藤さんは日本から脱出で、私の場合は地元から出たいと言うだけの事です。 kanakyu-さんも加藤さんと同じタイプの人ではないですか!? 私は、人口に占める地元民の割合が高い県ほど、保守的な傾向があると思います。 そして、同じ背景を持ち、何世代にも渡って隣近所で顔をつき合わせて生きてきた集落のような所にはこれ以上、絶対に私は住みたくありません。 多様な価値観を持った人達が集まっている場所の方が私にとって住みやすいです。 カナダやアメリカのような国に行けば、もっともっと多様な価値観の人達が集まっているわけですよね。 人間は臭覚を持っています。臭覚と言っても"くさい"とか"いい香り"とかを嗅ぎ分ける能力の方ではなく、多くを語らずとも、直感的に「この人、私と同じタイプの人」だと嗅ぎ分ける能力です。 もし、間違っていたらすいませんが、私はkanakyu-さんに自分と同じ臭いを感じました。 でも、本当にkanakyu-さんみたいな人から回答を頂いたという事が、私にとっては大変な救いになりました、kanakyu-さんの経験談が私にとって心強い後押しになりそうです。 ありがとうございました。。。
補足
kanakyu-さんのブログを見させてもらったのですが、私が現在、読んでいるヨガ関係の本と共通性があったので驚きました。 それから、私の仲のいい友達でインド好きな奴がいるのですが、先週、その友達と友達の知人のインド人とで食事に行きました。 まさか今日また、kanakyu-さんのブログでインドと遭遇するとは思いもよりませんでした。 もしかして、私はインドに呼ばれているのでしょうか!? (笑)
- runleo
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2回目です。 えーと、あなたの目指すところは、仕事ができるレベルではなくて、もっと特別なプロフェッショナルのレベルまで極めたい…ということですかね。 例えば、野球やってる人が社会人チームや地域密着プロ野球チームのプロになった…では駄目で、やるからには日本のプロ野球チームか大リーガークラスにならないと!と思ってる。そのくらいじゃないと意味がないってことですね。うーん、今の年齢からそこ目指すのは凄いですね。 家族のせいで、(例えば長男とか?)で大人になっても田舎から出れなかったのですか? 「俺は環境さえ違えば特別な存在になれたはず。」って思い込みが激しいんではないかと思います。 今40代、50代60代で一体何を極めたいのか知りませんが、とりあえずあなたが田舎を憎んでるのなら、新たな地で頑張るのはいいことだと思います。気持ちもガラリと変わって、ラクになるかもしれませんね。 でも、「極めなければ意味がない」みたいに思ってるなら、目標が高すぎて、「都会に出れば何もかも上手くいくはず」って思ってた現実の自分とのギャップが大きすぎて疲れちゃうかもしれませんよ? 今ある自分を変えたいのはわかるけど、もっと「楽しんで」新たな人生歩んだほうがいいかなと思います。現実は甘くないので、「楽しむ」という気持ちは大切ですよ。
NO2ですが、少し訂正させてください。あまり個人情報書くと駄目かなと思って書いてませんが、私の知人がピアノの先生になった…は、小学生に教えるような先生ではなく、地元の大学で教えています。海外でのコンクールにも入賞している方ですし、ピアノ協会?のようなものでいろいろ講演などもしている方です。プロになろうと思えばなれるレベルだと推測します(そのへんは私は素人なので、もっと現実は難しいのでしょうけどね) 「もし音楽の環境が整った街にでも住んでいたら」彼女は元々は住んでなかったけど、子供の頃努力したから、大人になった時に活躍できたのだと思います。大人になってからは実際に先生に教えてもらっていたからずっとではないですけどね。 あとヨコですが、NO5さんは「独学でWEBの勉強をしました。ウェブデザイナーに就職」なのですから自己満足レベルではなく、プロとして活躍できるレベルまでなってるじゃないですか。やはり人それぞれ出来る人はどこででも頑張れると思います。 あなたは「田舎」がとても嫌なんでしょう。 あなたの環境を見てないからどれだけ大変かはわかりません。「今の自分は本来の自分ではない」そう思って生きてきたんでしょうね。 でも短い人生なんだから、好きな場所で好きな事をして新たな人生を送るのはいいことだと思いますよ。逆に都会の人が田舎暮らしに老後は農業をして暮らすとか、沖縄の島に移住してみるとかも多いし、みんな無いものねだりなんだと思いますよ。都会には都会の喜びがあり悲しみがある、逆に田舎は田舎でそうでしょう。 全く別の生き方をしてみるのも、いいと思います。それで変われるか変われないかはあなた次第だしね。けど、「田舎のせいで」「家族のせいで」とか他者への恨みつらみは捨てて、自分の夢のために頑張るぞ!という前向きな気持ちで頑張ったほうがいいと思いますよ。誰かのせいにしてたら都会でも誰かのせいにするくせが抜けません。自己責任で頑張ってください。
お礼
再回答、ありがとうございます。 私は、これまでも同じような内容で何度か質問してきました。 その度にたくさんの回答を頂くのですが、それぞれのみなさんが思ってらっしゃる田舎のイメージと私の田舎のイメージが違うので、話しが噛み合わなかったりします。 そして、現在の田舎と数十年前の田舎ではこれまた、まったく違います。 ayumu_0205さんのご友人の方はすごいと思います。 ご友人の方は、かなりの田舎にお住まいだったようですけど、身近なところにピアノの専門ではなくても、音楽大学で音楽を理論的、体系的に勉強され教える事が出来る先生がおられたんですよね!? 私の場合、ギターを独学で練習して壁にぶつかった時、先生を探しましたが見つかりませんでした。 どんなに熱意があったとしても、いないものを出現させる事はできません。そして、どんなに熱意があったとしても、"一人ではバンドは出来ません。" そして、ayumu_0205さんはピアノの先生になられたご友人とNO.5さんさんを例に出されていますが、どれも基本的に一人でも出来る事ですし、田舎だろうが、都会だろうが場所を選ばないものです。 もし、田舎者が場所を選ばないと出来ないような分野の物事をやりたいと思った時、田舎者はどうすればよいのでしょうか? やりたい事をあきらめるしかないのでしょうか? バンドやダンス、マジックなど、自分の部屋で練習をしている時はうまくできるのに、人前でやるとなるとまったく出来ないという人がいます。 中には、自分一人だけで独学でやっててもしょうがないものもあるのです。 それともう一つ、言いたい事があるのですが、もし、あなたのご友人が私の立場だったらピアノの先生にはなれなかっただろうな!?と言う事です。 ピアノの先生になりたいと言った途端、「家を継がなくてはならないからダメ」と言われたと思います。 ayumu_0205さんもいろいろ反論があると思いますが、ここでもやはりayumu_0205さんが思っている田舎と田舎者についての考えが私と食い違っているから話しが噛みあわないと思います。 現在は確かに教材の種類も豊富ですし、インターネットを活用して勉強もできます。 その感覚でですよ、つまり現代の感覚で数十年前の私が子供の時も出来たはずなどと言っても意味はありません。そして、私も年々、歳をとって変わってくるわけですから興味を持つものだって変わってきます。 長々と書いてしまいましたがここらへんにしときます。 ありがとうございました。
補足
ayumu_0205さんもそうなんですが、現代の感覚で過去を語ってませんか? この前、ブータン国王が来日され、日本のテレビなどが、さかんにブータンの光景などを番組内で紹介していましたが、私はそれを見て数十年前の日本の田舎とたいして変わらない!?」と思いました。 数十年前はメディアも今ほど発達していなくて、田舎のテレビ局2チャンネルとNHK、後はラジオと新聞しかなく、通信手段も電話と手紙くらいしかありませんでした。 当時は情報が本当に少ない時代で、まず情報を求めてもその情報にたどり着くまでが大変でした。 もし、今、ブータンの人でフランス語を勉強したいと思ったら簡単にできるのでしょうか? ストリートダンスが習いたいと思ったら先生は見つかるのでしょうか? 実際にやるとなるとかなり難しいはずです。 まず、フランス語の先生やストリートダンスの先生に関する情報にたどり着くまでが大変だと思います。 情熱的になんとしてもやりたいと思う人はどうにかしてやるかもしれませんが、ほとんどの人は途中で諦めるでしょう。 ayumu_0205さんが何歳くらいの人かはわかりませんが、現代の感覚で過去を語り、当時でも「やろうと思えば出来たはずだ。」などと思っていませんか?
- kanakyu-
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#3です。お礼文ありがとうございました。 そうです、わたしの所も田舎なので、集落の中で国際結婚して海外移住したのは、わたしがはじめてなのではないか?と思います。 田舎はうわさが早く、帰郷すると私が海外留学したことは知れ渡っていました。 親には「海外留学なんてキチガイのすることだ」など、数知れぬののしりや反対をうけました。 高校生のときからずっと夢見ていたんですが、22、3歳ごろから留学資金を貯め始め、 24歳から情報収集や準備をしていました。 ずっと節約生活でしたが、留学資金と思えば苦になりませんでした。 いま海外の大都市で、わたしの出身県の人には、まずお会いしません。 東京や大阪など、大都市の人が9割ぐらいで、地方出身の人は本当に少ないんです。 やっぱり地方出身の方が、しがらみやハードル、文化的な違い、家族の理解、情報などが困難な状況なのかもしれません。 外国人も、都会よりずっと少ないですし。 あなたはきっと、田舎で価値観的な孤立を経験していませんか。 それは、私はとってもつらかったです。 外国人の友達がいるの、いいと思います。あと、都会の人ともお友達になれたらいいですね。 ただ、日本に住んでいる外国人や、田舎に住んでいる都会人は、 本場の人とは、毛色が違うとは思います。 私も海外に住んでいて、こちらの日本人は、日本にいる日本人とは全然毛色がちがう、話しやすい人が多い、と思いますから。 あなたのご家族が「墓がどう」とか言うのもわかります。 わたしはたまたま兄がいて、先に家を出たので出やすかったのですが、兄自身は出づらいだろうなあ・・と思います。 わたしの地元の友達の親も、「実家から嫁に出なさい」タイプで、一人暮らしができない、とぼやいています。 でも、実際そんなに反対されることもないと思うから、出てみればいいのに、って思います。 私の海外留学は、ホントにたくさん反対されましたが、 親には、「後悔してもいいからチャレンジしたい」「チャレンジしないと一生後悔する」 と言って、それで見送ってくれました。(移住希望は言ってません) 賛成ではありませんでしたが、しぶしぶ。 でも、もし猛反対されたら、こっそり出て行くつもりでした。 それ以前にも反対されて内緒で海外へ出たことがあるので、それを分かっていたんだと思います。 国際結婚も最初は父が猛反対で・・でも写真を見せたり、手紙を日本語に翻訳したりすると、認めてくれました。 「わたしのことはもうあきらめて」と言ったのが効いたようです。子供に自分の期待かけても仕方ないと思ったのかもしれません。 親が病気とかしたら心配だから、連絡するときは、体に気をつけてね、元気でいてね、って言ってます。 なので遠いけど、近くにいた時よりいい関係だなって思います。 夢の準備って、孤独だったな、とふりかえると思います。 反対されることもわかっていたので、一人でこっそり準備を整えて、 いざその時は、期待に添えなくてごめんね、と謝ろう、と思っていました。 でも、孤独や不安に耐えて、けっしてあきらめないことで、前へ進めました。 わたしも、なんども留学あきらめないといけないのか・・と悩んだりしました。 地方や家庭の考え方が、よけいにハードルが高くなるのも分かります。 留学生は、何割かは親の猛反対を押し切ってでてきていますが、 のこりの人は、理解ある親にめぐまれた人たちです。 意外に理解ある親が多いように見えますが、 逆に言えば、理解ある親にめぐまれたからこそ、すんなり来れたんだろうと思います。 留学をあきらめてしまった人の方が、実行した人よりも多いんじゃないかと思います。 わたしのような田舎出身で、親の猛反対があって、それでもひとりで来た、という人はあまりいないです。 田舎から来ている人は、親が賛成してくれた人が多い印象です。 やっぱり田舎で猛反対されると、途中でくじけやすいんだと思います。 考えているだけの時間も大事ですが、踏み出すと何とかなる部分もあります。 わたしも留学してきた時、どうやって移住するのかいろいろ手段をさがし、こちらでカレッジに入学したりもしました。 じっさいに来るまでは、その先のことは見えていなかったです。
お礼
田舎と言っても人によって田舎の定義が違うので、中々、私の言いたい事が伝わりません。 他の回答者の方が書かれていますが、「家の周りは田んぼばかりですが、車で一時間も行けば、大きい街があります。」というのは、私にとって田舎とは言えません。 それは私に言わせれば、大都市郊外に住んでいるという事で、完全な田舎とは言えません。 ですから、私は私の住んでいる県は県全体がまんべんなく田舎です。と書きました。 私は二十代の頃、たった2ヵ月だけですが、ニューヨークに住んでいる知り合いの所に居候していた事があります。 その時、知り合いを介して知り合った日本人やその他の国出身の人達は、夢を追いかけていて、目が輝いていて、生き生きとした人達ばかりでした。 その後、私は地元に帰り周りの人間を見た時、この人達とニューヨークで知り合った人達は同じ人間、人種なのかと感じました。 私はこの私の地元の人達との付き合いなども苦痛でしかありません。 田舎といっても人間もその田舎の一部です。 話しが少し脱線するのですが、数年前の事です。私の県で中学生の少年が祖父を殺害し逃走し、その後、東京の秋葉原で保護されるという事件がありました。 少年は元々、大都市で両親と一緒に住んでいたのですが、家庭の事情で祖父の所に預けられていたのでした。 私はこのニュースを見た時、顔も知らず、会った事もない殺害犯行を起こした少年の気持ちや思いがテレパシーのように理解できた感じがしました。 秋葉原に逃走した少年は多分、大きくなったら、アニメ関係などの仕事に就きたいと夢見ていたのではないか!?その夢を少年の祖父が田舎者の価値観で潰したのではないか!?と私は感じたのです。 私も子供の時から、祖父や母親さえいなかったらどんなに良かったか!?と思った事は何度もあります。 このような事を思うというのは非常に苦しい事です。 ですから、私は自分の心の状態を改善する為にNLPなどにも興味を持ちました。 現在、私の住んでいる所は、盆地で周りは山ばかりです。 私が昔から持っている願望の一つに海辺に住むというのがあります。 海の近くに住んで、近くに大きい街のある所が私の理想の所です。 その条件にあう街といえば福岡が合うので、将来は福岡に住もうと思っています。 そこで第二の人生を送りたいと考えています。 長々としたお礼文になってしまいましたが、kanakyu-さんの回答が読んでいて、私の心境を理解してもらえているようで非常にうれしかったです。 何だか救われた感じです。そして、大変、参考になりました。 ありがとうございました。
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お礼
再回答、ありがとうございます。 家督を繋がせるというシステムは、子孫を奴隷にしていくのと同じです。 もうすでに、亡くなって、この世にいない人達の為に、現在、この世に生きている人間を犠牲にするシステムです。 このシステムを継続させる為に、親は子供の将来に対する希望や夢を早い段階から潰していきます。 子供が「将来〇〇になりたい。」と言っても、「家を継がなければならないからダメ」と言って、将来の夢を潰します。 「ダメ、ダメ」と言われ続けた子供は自分の将来に対して希望を持たなくなります。 そして、そのような子供が成長、結婚した時、rurinohanaさんのような結婚相手もまた不幸のシステムに巻き込まれていくのです。 他の回答者の方が「田舎にいても、やる気があれば出来る。」、「努力が足りないからだ」などと言われる方がいますが、はっきり言って努力する以前の問題です。子供が努力しようとすると親がそれを邪魔するわけですから。 ある回答者の方で、「友達の女の子がかなりの田舎に住んでいたけど、努力して夢が叶いピアノの先生になれた。」と言われている方がいますが、それは女の子だったから夢が叶ったのかもしれません。 もし、その子が長男だったら夢は叶わなかったのでは?と私は思います。 「家を継ぐ、墓を守る」のが当たり前と思っている人達はみんな洗脳されていますから、私のように「それはいやだ。」と反発すると、家族はもとより、親戚、地域の住民から坊さんまでが一丸となって私を説得しようとしました。 そして、これらの人々は私に対して、「そんな事を言うとお母さんが可哀想よ」などとも言うのですが、その度に私は「本当に可哀想なのはどっちだ!!もう死んでこの世にいない人間の為に今、生きている人間を犠牲にする方が可哀想だろ。」と心の中で叫び続けました。 私はこの人達に対して何を言っても無駄だと思っていますから声に出しては言いませんでした。 それから、私はもう長年、墓参りなどもしていません。 墓に行くと胸糞悪い感じがするのです。 親が「家を継ぐのが当たり前」とうまい具合に子供を洗脳できた家だけが、このシステムを未来へと継続させていくことができるのです。 このような悪いシステムは非難されたとしても、どこかで断ち切らなければなりません。 rurinohanaさん、2度も回答してくださってありがとうございました。