• 締切済み

現代文 こころ

萩原さくたろうのこころという詩なんですが.その中にあるこの文語はなんていう意味なのでしょうか? *悲しめども *かなしめどもあるかひなしや わかる方教えてください(>_<)

みんなの回答

  • kenchin
  • ベストアンサー率56% (398/700)
回答No.1

悲しんでも、甲斐の無いということがあるだろうか......。 直線的に訳すと「悲しんだところでもう戻らない」という意味になりますが、最後の一文字「や」を、どう解釈しするか?と、前段後段の部分が意味するところをどう感じるか?でしょうかね。 「や」を係助詞(語を強調するもの)として捉えるより、「甲斐があるのだろうか.....」という、逍遥とした心持で疑問を抱く、ある種の述懐というか、そういう意味で捉えると、前段の「こころはまた夕闇の園生のふきあげ、音なき音の”あゆむひびき”に」で流れる物が、より心に落ちてきて、後段の「こころは二人の旅びと」がより浮かび上がって来るかと思います。 □ 我流解釈の意味ですが。 人の心には楽しい記憶も悲しい記憶も存在する。 中でも悲しい記憶は、理性や意識の上では忘れ去ったように”考えて”いても、音の無い音が立てる、そこはかとない、捉えようの無い響きのように心に迫り、悲しみを生み出してしまうものだ......。 (でも)悲しんでもかいのないことがあるだろうか.......。 心は私とあなたの二人の旅路である記憶(思い出)が宿るところ。(楽しさと悲しさの二つの記憶) あなたがもうここにはいなくて何も語りかけてくれないなら.....(残るは思い出だけなのです。) 私の心はこのようにさびしいものなのです。(でも、思い出だけは残っていて、私の心は生きているんですね。) □ なんというんでしょうかね。 悲しみの奥底まで読みとれる詩として捉えると楽しいですよ。

関連するQ&A