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魂の乞食よ 欠席裁判ほどみにくいものがあるか。

 魂の乞食よ 欠席裁判ほどみにくいものがあるか。  そこに参加する者も 主催者と同罪ではないか。  相手と向き合い堂々と話をすることをしないで いったい社会人として生きて行けようか。  精神錯乱に落ち入るのは自由だが ひとに迷惑をかけるのは自由ではないであろう。

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回答No.1

ぶらじゅろんぬさん、 ちょ、ちょっと待って、 今日はちょっと反抗的かもです。 >ひとに迷惑をかけるのは自由ではないであろう。 :ぶらじゅろんぬさん、 勝手に迷惑をかけられちゃあいけませんって。 殴りまくられて蹴られまくられて 血だらけになったのですか。 衣服に火をつけられて火傷したのですか。 なにか盗まれたのですか。 縄で縛られて動けなくされたのですか。 仮に、ぶらじゅろんぬさんに迷惑をかけてやろう、 という悪意を持って行動する人がいたとしても、 その方の悪意はその方の問題ですから、 ぶらじゅろんぬさんが受け取らなくちゃいけない、 というわけでもないんぢゃないですか。 ___________ >相手と向き合い堂々と話をする :もちろん、できるだけ、そうなんですが、 世界中の人を相手に話をしていたら、 (ぶらじゅろんぬさんはそうでもないかもですが)、 わたしはぶっ壊れちまいます。 ___________ 会社などでは 気に入らない同僚上司がいても、 その場から退散することはできませんが、 お互いフリーという状況では、 話が通じ合わない人とは係わらない、 という自由もあるのとちがいますか。 ____________ 他のスレッドではご返信ありがとうございました。 ご質問の意図を理解しないまま あれこれとしゃべってしまったようで、 わたしに話せることはあまりないようです。 しばらく沈黙します。 日本語は、流動的な!あまりに流動的な! と不思議に思いつつ感嘆しつつ、 面倒くさいなあと思いつつ、 外国在住の方のご意見を しばらく眺めることにします。 あまりお気に召さなかったかもですが、 思ったことそのまんま書きました。ではでは。                       

bragelonne
質問者

お礼

 にゅうとらるさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  そうですね。この質問は 基本的に一般論です。しかも同時にそれに劣らず 特定の事件について――そのままそれと分かるように――述べて問うています。  それだけのことなのですが ご批判に答えるなら次のようになりましょうか。  ★ ~~~   >ひとに迷惑をかけるのは自由ではないであろう。  :ぶらじゅろんぬさん、  勝手に迷惑をかけられちゃあいけませんって。  ~~~~~  ☆ この切り込み方に対しては 欠席裁判にかんする《一般論》ですよという答えになります。  わたくしが 迷惑をこうむっているかどうかは――たとえこうむっていても―― すべて抽象化し一般化して 質問として成り立たせています。それだけということになります。    ★ ~~~  仮に、ぶらじゅろんぬさんに迷惑をかけてやろう、  という悪意を持って行動する人がいたとしても、  その方の悪意はその方の問題ですから、  ぶらじゅろんぬさんが受け取らなくちゃいけない、  というわけでもないんぢゃないですか。  ~~~~~~  ☆ これは 一般論から離れると見られがちですが これも一般論で済ませられます。すなわち   ★ その方の悪意はその方の問題で  ☆ あるかどうかを〔たとえ〕別として〔も〕 問題は火の粉が降りかかって来ているかどうかにあります。  降りかかる火の粉を払い除けるのだなと見られたなら それは 一般論ではなく そうではなく 特定の特殊な事件を取り上げているだけではないかと捉えられがちなのですが そうではありません。火の粉が降りかかるのも それを払うのも そのまま一般論なのです。  つまり ここで種明かしをしますと この質問も 日本語の構文と同じように 非線形の二層構造になっています。具体的な事例に触れるかたちの意味関連は――つまりは 格活用をつうじての意味連絡の線形論理は―― 言わばその内側に含まれている。そういう恰好をしています。言いかえると 基本は 欠席裁判という主題を そのまま前面にそして全面に出して一般論として問うものです。  ★ ~~~~   >相手と向き合い堂々と話をする  :もちろん、できるだけ、そうなんですが、  世界中の人を相手に話をしていたら、  (ぶらじゅろんぬさんはそうでもないかもですが)、  わたしはぶっ壊れちまいます。  ~~~~~~  ☆ これも 一般論として《相手と向き合い堂々と話をする》と言っています。それを 特定の事件として扱うと 一つひとつの具体的な事例や場において捉えることになり 《世界中の人》にまで話が広がります。  具体的な場面の問題として扱うときにも まづは いま・ここなる場とその相手というふうに・そしてその場と相手がすべてであり言わば世界なのだというふうに捉えて取り扱うのが よいでしょう。そうすると 肩が凝ることもありません。つまりそれなら 世界中の人びとを相手にすることさえ出来て行きます。  ★ ~~~~  お互いフリーという状況では、  話が通じ合わない人とは係わらない、  という自由もあるのとちがいますか。  ~~~~~~  ☆ 《ある》としても 降りかかる火の粉の問題は残ります。のでは? それを一般的に言えば 名誉棄損のたぐいだと思います。  ★ ~~~  日本語は、流動的な!あまりに流動的な!  と不思議に思いつつ感嘆しつつ、  面倒くさいなあと思いつつ、  外国在住の方のご意見を  しばらく眺めることにします。  ~~~~~  ☆ いえいえ どういたしまして。わたしにもっと話題を広げられる知識とすべが思い浮かぶとよいのですが。  あとは――言いたいことは―― こうです。もし文の構えが 非線形の二層構造から成る《 AハBガC。》構文ではなく ただただ一本の線形論理から成る《 S-V-O. 》文型であったとしたら・そしてそういう文型で考えたり表現したりすること しかも中んづく 人の気持ちや心を伝えようとすること これらのことが 日常生活において慣れ親しんでふつうにおこなわれていたら その思想や行動は どうなるでしょう? 或る程度において 影響を受けるのではないでしょうか?  つまりたとえば 災害が起きたときに 人びとのあいだに暴動や強盗が自然発生するというような振る舞いとしての自己表現に及ぶ。及びがちになる。のでは? といった方面へも伸ばせていけたらと思っています。  (要するに 表現や人間の心境に奥行きがあるか少ないかの問題になりませんか?)

bragelonne
質問者

補足

 お礼欄の最後の 日本語論についておぎないます。  非線形の二層構造を持つ《 AハBガC。》構文に慣れ親しんでいるわれわれ日本人は その構造の中の《意味連絡ないし意味の確定》としての一層のみから成る《 S-V-O. 》文型 このような線形論理一本の表現に慣れ親しんでいる場合にくらべれば 生活のあり方において人びとの心や情感について奥ゆかしいであろうと述べました。    けっきょくそれにもかかわらず 奥ゆかしすぎてでしょうか ことばを用いての意志疎通における自己表現にかんしては きわめて鈍(なまく)らであり 盆暗であります。対話というものが出来ない・ゆえにその状態は 人間以前の状態にある人間にとどまっているのではないかとなじられています。  ここらへんを みなで考えて突き抜けて行きたい。寝ても覚めても この問題です。  われわれ日本人のように互いにゆづりあい助け合って生きている懐の深い人間が コミュニケーションにおいて自己表現のすべを身につけるなら 鬼に金棒 孫悟空に如意棒です。寝ても覚めても こののぞみです。ですから ばかを野放しにさせてはおけません。ヰスキーに酒をくわえて味が分からなくなるほどのチャピンチャピンの水割り これが ばかの文章です。野放しにしたらそのぶん のぞみの実現がおくれます。  わが日本は すでに火がついて燃え始めていませんか? 自信をもってすすみましょう。どうすれば自信が持てるかですって? 何もしない。これです。