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日本の英語教育、そんなに改善は必要ない?
よく、日本の英語教育のお粗末さが俎上にあがりますが、私は大幅な改革は必要ないような気がします。 ただ、英語の重要性を過大評価している人多いように思います。というのは、日本にいては英語を使う機会が少ないことです。ですから、学生時代に一生懸命に英語を身につけても、大部分の人はどんどん英語力が錆びれていきます。 そこで質問です。そういう前提で考えた場合、現在の英語教育はどこを少し修正したらいいと思いますか?
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結構考えされられる質問ですね。 英語を使わない人が多いという前提なので、 義務教育期間(特に中学)は、英語の授業を必須 高校からは、ある程度生徒に選択肢をもたせる。 つまり、英語を更に学びたいか、もしくは他の教科に時間を費やしたいかを問う。 (今の理系や文系のような分け方は正直大差ない) このようにすれば、自分の目的にあった道を選びやすいのではないでしょうか? 余談になりますが、 >>英語の重要性を過大評価している人多いように思います これについては私も同意見です。 おそらく、日本の英語教育の目的が曖昧(抽象的すぎる)なのが原因なのでしょう。 過大評価している人たちの意見から察するに、彼らは英語教育の目的として、 日常会話レベル以上のスキルを得ること(あるいはそれ以上) としているのではないでしょうか。 目的によって、英語教育の修正の仕方は大きく変わりそうですね。
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- ID10T5
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>>高飛車な発言の割りには主張が曖昧ですね。 なんだ。それだけ? 質問者に理解能力がないんだ。そういうことね。だったらもうやめたら? ボクは何も主張していないですよ。ただ前提となる議論を欠いたまま、英語の教育の良し悪しなんか語ることに何の意味がないと言っているだけです。 個人のスキルアップを個人の責任でやるのか、国に頼むのか、そんな議論をして何の意味があるの? 大多数の標準的日本人が海外で活躍するにはもっと英語力が必要。会話力も読解力も全然足らない。それは間違いない。センター試験の長文が読めるから十分?あほくさ。あんなの長文じゃないよ。長文っていうのは目を通すだけで30分も1時間もかかるようなものをいうんです。多くの日本人は2~3ページの英文を読んだだけで疲れてへろへろになります。そんなんじゃ全然使い物になりません。 じゃ大多数の日本人が英語を身につけるのに、みんなが個人で費用負担しなきゃいけないとしたらそれは経済的に大損失だよね。公的教育で効率的に行う意味が出てくる。そのときに初めて日本の英語教育の質云々を語るべきなんですよ。 でも大多数の日本人が海外で活躍する必要がそもそもあるのか。そんな必要がないなら公的教育でそんなこと請け負う必要なんかないんですよ。だから海外に行きたい少数の個人が自己責任で勝手にやればいい。それだけのことです。 そこの議論をしないとね、ってことですよね。ボクは別にどっちでもいい。だから曖昧なのは当たり前。あなたの問題意識自体の是非を問うているってことですよ。判るかな?わかんねぇだろうな。
補足
再度ありがとうございます。結局あなたの言っていることは一貫性に欠けるようです。英語も少しばかり出来るようだけどもっと日本語を勉強した方がいいよ。高飛車と指摘されて中身のないことをだらだら口説くのは愚の骨頂。
- ID10T5
- ベストアンサー率31% (732/2312)
教育制度は国の根幹です。教育制度を語るのに個人の経験など話しても何の意味もありません。なんでこの手の話題になると、自分はああだった、こうだった、という話を大勢書きこんでくるのか?ボクにはさっぱり理解できないんですよね。そんな下らなくてちっぽけな話しなどどうでもいいんです。 問題は国のあり方から考えないとね。 日本という国のあり方が現状のままでよいという前提ならば、何も変える必要はないのですよ。それで何の問題もないのだから。必要な人だけが英語を個人的に頑張ればいいんです。それで物事が回っているんだから何も修正する必要はありません。 問題は日本という国がどうありたいか、だと思います。もっと日本人を海外に送り出して活躍させたいのなら、明らかに今の英語力では不足しています。この英語力では安心して外国に出ていけません。 非英語国が興隆してきても、そういう国の人たちとは英語で会話するのですよ。そんなことを議論しても仕方がありません。韓国の人でも中国の人でも英語を話せる人はいます。コミュニケーションが成立します。素晴らしいことです。 フィリピンやインドは人材を世界に送り出して立国しようとしているから英語に力を入れているのでしょう。日本はどうですかね。このままだと少子高齢化で国内マーケットが尻すぼみ。このまま日本のなかでうじうじしたまま、野垂れ死にますか?英語教育以前にそのことを議論しないとね。それなしで英語教育云々の議論などまるで意味なし。
お礼
高飛車な発言の割りには主張が曖昧ですね。
- wy1
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私は100%の日本人ですが、小学校時代から”日本語”を”言葉”として教えてもらった気がしないのです。漢字の書き順などは うるさく言われたのですが、”、”の使い方は決まりがあるのかどうか良く分かりません。 英語ですが、中高を通じて”点稼ぎ”の科目でしたが、ネイティーヴの言うことも一回では良く分かりませんでしたし、こちらの言うこともなかなか理解してもらえなかった記憶があります。 小学校の英語が始められていますが、近所の小学校では日本語の通訳付で行われています(その通訳は英語の教育者ではないので生徒たちと先生との仲をちゃんと取り持つことが出来ないようです)。その上、英語の先生として来られている方が日本語ができないので、生徒が英語嫌いにならないか心配ですね。小学校の英語は不要だと思います。 私は喋ることは、ネイティーヴに高校生時代に学外で教わったのですが、話が互いに何とかできるまでには、半年ぐらい掛かったでしょうか。 私は今は英語にそんあに触れることは有りませんが、仕事で書く、翻訳することなどを長年やってきました。それでも、誤訳や勘違いで大問題を起したことは無かったと思います。 中学、高校で英語のみを教えるので、多くの人は英語が”ヨーロッパ語としての標準的な姿”を持っていると勘違いしているように感じておりますし、外人と思うと誰でも英語を喋っていると勘違いしがちの様です。 日本人の英語の教員は”国内で良いから” 正規の対外国人に英語を教える資格を持ったネイティーヴの講習会を受ける義務を負わせること、を望みます。
- ucok
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こんにちは。公立校を含めた各中高校に部活動としてESS(English Speaking Society)を設けるよう、文科省が促すといいと思います。なんなら設けるのを義務付けてもいいでしょう。英語が堪能な顧問や先輩などは居なくてもいいです。 私立校などで英語を話す機会を得られた生徒たちの多くは、留学が一般的でなかった時代から、英語が堪能でした。ESSならば、英語に興味がない生徒が、押し付けられて英語嫌いになることはありませんし、一方で、英語が好きな生徒は存分に力を伸ばせて、その生徒たちが、より興味のない生徒に教えることも可能になります。
- jama2299
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日本の大学受験に向けた英語教育はかなり高い水準だと思いますが、多くの方々が英語をコミュニケーション・ツールとして使いこなせないことに悩んでいる事実もあります。 例えば「英会話」、例えば「ビジネス・コレスポンデンス」、これらに対しては日本の中学・高校で教わる英語授業では何の役にも立ちません。 自身の経験では、21歳で米国の大学へ編入して2年間勉強しましたが、やはり、英語を話すと言える段階までには8ヶ月程度を要しました。その後はおもしろい様に上達出来ましたが、当初の障壁が日本で学んだ「英文法」であったことにも気付きました。 社会人となってビジネス英語の世界に身を投じて、今後は米国の英語のみならず世界に通ずる、所謂「ビジネス・コレスポンデンス」の習得で新たな試練に出会いました。 その時も、更に、日本の受験英語の無力さをしみじみ感じました。 ご指摘のように、英語環境の有無によってはその必要性は人によってマチマチでしょうけど、多くの若い方が「英会話」に励んでいる状況を見ると、やはり、この国の義務教育の英語環境の充実が不可欠ではないかと思わざるを得ません。 フィリピンは、元々スペイン系移民で始まった国ですが、国民の英語教育ではアジアNo1.と言えるでしょう。高校卒業して直ぐに、医療・介護やあらゆる国を支える産業分野で英語で教育を受ける能力を身に付けるまでの実践的教育が施されております。 日本も、そうあるべきであると、つくづく思います。
- williumblake
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英語が必要になる時代が来るのはこれからではないでしょうか。 現在の文法中心で全く会話の役にたたない英語よりも、会話を重視して意思の疎通をはかる勉強、実際の生活やビジネスの基礎となる会話力をこそ身に着けるべきだと思います。 大部分の人が学校で習ったのに会話できないのは、英語の発音を聞き分ける能力と、日常の言葉を英語にする能力が欠けている(学校で重視していない)のと、文法にこだわりすぎるからのように思います。 国内で英語を使う機会が少ない、というのはそのとおりでしょうが、道を聞かれて教えるくらいのことはしたいものです。
お礼
ありがとうございます。 >英語が必要になる時代が来るのはこれからではないでしょうか。 今や、ブラジルやロシアなど非英語圏の国が急成長していますし、横ばい状態が続くでしょう。 >国内で英語を使う機会が少ない、というのはそのとおりでしょうが、道を聞かれて教えるくらいのことはしたいものです。 日本にいる外国人の大半は英語を話しませんし、日本に来たら日本語で尋ねるのが礼儀かと思います。
- SPS700
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僕は、1対1でも学校方式でも外国語をやったことがありますが、僕は、言葉というものは、基本的に1対1で身につけるものだと思っています。 ですから学校教育で外国語が身に付くと思うのも、学校教育で外国語を教えることが可能だと考えるのも、非現実的だと思います。 まあ、究極的には生徒の暇つぶしにしかなりませんから、○国の○○語教育がよくても悪くても「別に」痛痒を感じておりません。
お礼
ありがとうございます。 要するに学校の英語教育はそんなにいじる必要もないようですね。
- KappNets
- ベストアンサー率27% (1557/5688)
確かに幾ら英語の勉強をしても学卒の就活では英語の力は(一部の企業を除いて)見てくれません。大学で最先端の研究をするのに英語の論文が読めないなどというのはお笑いですが、それで通っています。日本では学力はすべて自己責任なのですね。むろん英語など要らないという仕事は多いですし、そういう人と本当に英語が要るという人が同じ学校で学ぶ不合理はあります。 こういう土壌で英語の必要性を説いても詮無い部分はあるのですが、さりとて企業の幹部も語学が不要とまでは言っていません。外国との関係は深まるばかりですし、いままであまり要らなかったからといって何時までそうとは限りません。韓国や中国では小学校の教室でも英語で討論が行われているそうです。ちょっと心配ではありますね。 私が思うに日本では昔から漢文を日本語として読むクセがついていて、それが日本言語の独自性を養ったポジティブな面もあります。困ったことに日本では英語についても同じことをしようとしているのですね。その証拠に日本の学校で教えているネイティブは英語の授業が日本語で進められ、自分の出番は極めて限られていると指摘しています。 言い換えれば「和訳」しつつ理解するというクセです。たしかにこれでも読むことは可能ですが、英語で読んで英語で考えるようでなければ、諸外国で考えているような英語力にはならないと思います。英文法にしても日本人の学者が書いた文法書をもとに教えていますが、ネイティブが首をひねるような学者っぽい小難しい論理が展開されています。減点法で採点する受験が妙に小難しい論理の学習を優先させるのですね。私は仮定法や分詞構文でつまづくのは参考書が悪いのだと思います。さらにS+V+O なんて役にも立たないことをこまごまと教えている。 童話などでも良いから実際的な英文を読むことを教えることと、受験用の英文法ではなく、英文を読む中で遭遇する言い回しをもとに英文法を教えていく、そういう教育的配慮の出来る英語教員を育てねばならないと思います。受験の問題小難しい論理よりももたとえばTOEICのように英語の基本的な理解を優先するように変えていく必要があると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >こういう土壌で英語の必要性を説いても詮無い部分はあるのですが、さりとて企業の幹部も語学が不要とまでは言っていません。 専門の養成学校があればいいと思います。英語以外の外国語の需要も増えていることだし。
とりあえず、学生時代に334年とやっても、 その時点でさえ、英語をしゃべる外国人と ちょっとしたコミュニケーションさえとれないんだから、 根本的に考え方を改める必要はあるでしょうね。 とりあえず、いきなり海外単身赴任を言われたとしても、 困らない程度の語学力をつけられるくらいには するべきでしょう。
お礼
ありがとうございます。 >その時点でさえ、英語をしゃべる外国人と ちょっとしたコミュニケーションさえとれないんだから、 これは普段英語を話す機会がないからです。そして、たまに英語を使う機会が出た時にそう思うからです。英語なんて、普段から話さないと忘れるだけだと思いますが。 >とりあえず、いきなり海外単身赴任を言われたとしても、 困らない程度の語学力をつけられるくらいには するべきでしょう。 これは一部の人たちだけです。全員に押し付けるんじゃなく、必要な人が必要に応じて学べる環境が大事だと思いますが。もっとも、海外と言っても英語を話すとは限りませんし。
- under12
- ベストアンサー率12% (202/1670)
複数の言語を扱える最大の利点は、海外の文化などを学ぶきっかけにもなる事であり、 官民関係なく、国際外交には重要なファクターと言える。しかし、中高の6年間を通して 得られるのは、受験としての英語だけですので、意味がない。 まあ、どんな外国語であっても、国語であっても対話方式を採り入れないといけない。 やらされる側からしても時間の無駄でしかない。 まあ、日本は複数の言語を使う必要性が稀な国だが、母国語の日本語すら 運用の危うい者が多い。まずは、そこから修正しないと外国語どころではない。
お礼
ありがとうございます。 >まあ、日本は複数の言語を使う必要性が稀な国だが、母国語の日本語すら 運用の危うい者が多い。まずは、そこから修正しないと外国語どころではない。 英語教育を疑問視する人は多くとも、国語教育を疑問視する人は少ないです。 まあ、敬語の使い方もきちんと教えず、文学ばかりやっていますかたね。
お礼
ありがとうございます。お礼が遅くなりすみません。