パスカル『パンセ』のキリスト教推しについて
私は文学部の大学生です。
パスカルの『パンセ』を読んだことのある方で、キリスト教徒でない人は、どんな感想を持ちましたか?
有名なので一度は読もうと思い、パスカル『パンセ』を前田陽一訳・中公文庫版で読みました。
前半の、キリスト教にあまり関係ない部分で面白いところもあったのですが、だんだんキリスト教推しが「超うざく」感じられました。
私は別に特定の宗教の信者ではありませんが、寺院にも神社にも割とよくお参りします。無神論者ではなくて、なんとなく八百万の神的なものを信じています。仏教にもそれなりに親しみがあります。自分はキリスト教徒ではないと思っているのに、クリスマスにはなぜかケーキを食べます。
パスカルは、哲学者のくせに、人間には原罪があるという根拠のないことを断言しています。
この本が、聖書やコーランなどだったら、最初からその宗教の本として、その宗教の枠組みの中で語られることに全く違和感はありません。
でも、『パンセ』は高校倫理で習う哲学書のくせに、キリスト教推しが気に食わないと感じました。
しかも、「自分の信じる宗教を勧めるだけならまだしも、他の宗教の攻撃するのやめろ」と感じ、パスカルにげんなりしました。(私は宗教アレルギーではありません。思想や考え方の一つと捉えています。ただ、よく見かける、宗教のいちばん嫌な点は、他者や他宗教をしばしば攻撃する点です。平和や幸福のための宗教なのに他を攻撃するなんてアホかと思っています。)
もちろん、パスカルは神への信仰を説いた人だとは前情報として知っていたのですが、有名なこの本がこれほど宗教色が濃いとは思いませんでした。
日本人がこの本を読むなんて想定すらされていないのだから、哲学書として『パンセ』を読んだ私が悪かったのでしょうか?
キリスト教徒でない方で、パスカル『パンセ』を読んだ方は、どのように感じましたか?
お礼
書評まで調べてくださり、ありがとうございました。どんな文芸誌なのかよくわかり、とても参考になりました。