- ベストアンサー
死顔を見たいと思う心境は?
- 会社の上司達が亡くなった同僚の死顔を見たいと言って、ご両親の了解のもとで見ていましたが、その心理が理解できません。
- 私は死顔を見てお別れを言いたいと思うのは、近親者か、せめて親友が亡くなった時くらいだと思います。
- 同僚という関係、しかも顔が変わってしまった状況では、見るのは失礼だと思い、私は見ませんでした。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
死顔をみたい=きちんと顔を合わせて最後のお別れをしたい と受け取ります。または自分もそういう気持ちでしています。 事故などでどうしようもないほど変わり果てた姿でない限り、病院なり葬儀やさんなりでお顔が拝見できるよう修復してくださいます。 、 お顔を拝見してお別れをするのがマナーだと思うので(先に家族に伺って了承を頂いたら)必ずそうしています。 そういう意味も含めて、死化粧という行為をするのではないでしょうか。 生きている側にとっては変わり果てた姿は見たくないでしょうが、その方にとってはこの世に存在する最後の姿。きちんと見届け、見送るのが礼儀かなと思います。
その他の回答 (11)
- borg121
- ベストアンサー率6% (363/5466)
会社の上司達は、部下の“最期の姿”を拝んでおきたかったのだと思います。 たとえ、それがどんなに“変わり果てた姿”になっていたとしても・・・ だって、同じ会社でずーっと一緒に働いてきたわけですから。 つまり、上司達はショックを受けるかもしれないことは分かっていたが、それにも関わらず、“きちんとお別れをする覚悟”があったのだ思います。
- kumi-navi
- ベストアンサー率41% (39/95)
こんにちは。 死に顔を見る・見ないについては、個人の気持ちの問題ですから、別にあえて質問者様が理解できなくてもいいと思いますよ。 そして、まず、見る・見ないというとそれこそまるで興味本位で・・・みたいに思えますが、実際は最後に会っておきたいという気持ちなのだと思います。 要は、最後に会うか・会わないかです。 それにお亡くなりになった同僚の方は、お顔が崩れていたとのことですが、もし、万が一亡くならずにずっと同じ職場で働いていたら、質問者様はどう思われますか? 会うたびに「顔が変わってしまったので見るのは失礼」と思われますか?思いませんよね? 生きていても、亡くなった後も、同じ同僚です。 何故そんなにお顔のことを神経質に考えるのでしょうか・・・? 私だったら、生前一緒に働いてきた同僚でしたら、最後に顔を見てお別れを言いたいです。 そして何より、顔自体より、表情を心に焼き付けておきたいのです。 死に顔が安らかかどうかが一番大事だからです。 他の上司の方たちも、顔ではなく表情を見ていたのかもしれませんよ。 同僚の方のご冥福をお祈り申し上げます。
- ok5181103
- ベストアンサー率19% (90/461)
回答4です。再度質問があったので・・・。 小野小町九相図 で検索すればわかると思う。 人間が動物である以上、自然には逆らえない。 命があるうちに出来るだけ頑張るしかないという事を、 人の死から学ぶことができる。 >何の意味があるんですか? 人間が、老いたり、死んだりしていく様子を見る事は、 生きている人の「生きる力」「生きる希望」に必ず繋がっている。 死んだ人の思いや考え方、生きていた頃の様子、わがままな面と良かった面を考えるのは人間として当たり前の事。 ガンなど死期を本人が理解している場合、 残りの期間でワガママを出来る範囲で受け止めてあげたほうがいいと思う。 僕も30代の友人の女性を白血病で亡くしているが、 僕の事を好きでいてくれた為、出来るだけの事はしてあげた。 死ぬ40日くらい前でも女性はちゃんと濡れるんだよ。 別にやらしい意味では無い。 出来ない場合でも「おまえは最高の女だ」くらいの嘘はいくらでも言える。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
きれいな上っ面だけでなく、すべてを見ておいて、その故人を見収めたいと思って見る。そして、死んだことを自身に納得させる。それだけ、惜しいって事。 自身の死に顔は、見る見ないは自由だが、「崩れた顔など見たくない」って避ける友達は俺にはいないと友達の質に自信を持って思う。
こんばんは!No.1です。 補足的なお礼頂きましたので再回答失礼します。 >すいません、「見て上げたほうがいい。」には違和感を覚えます。 それはどちら側の意見ですか? 亡くなった側?参列者側? 言葉足らずで申し訳ありませんでした。 参列者側としてです。 他の回答者様も仰ってますが、最後のお顔を目に焼き付けるため、思い出に残すためにです。 自分は今年の一月に父を亡くしました。親戚は勿論ですが、友達、職場の方々、近所の方々、皆さん父の顔をみてくださり、 「○○さん(自分です)にそっくりですね」と言って下さいました。 死顔と捉えずに旅立ちの顔と捉えられたら如何でしょうか?自分はこれからも今のスタイルは変えずにいこうと考えてます。
- nabituma
- ベストアンサー率19% (618/3135)
もう会えないのだから、最後に顔を見ておきたいというのが人情でしょう。 事故などであまりむごい場合は近親者から遠慮をしてくださいと言われることもあるかもしれませんが。 普通はたいてい死に顔はきれいにしていることが多いですから大丈夫です。
お顔を拝見するのは、きちんとお別れさせて下さいって意味だと思います。 別に、好きで見たいという理由ではないような…。 ご遺族の方も嫌ではないと思います。 例外として、親族などの方から顔を見るのは控えてほしい等と言われた場合は見ません。
- ok5181103
- ベストアンサー率19% (90/461)
興味本位で見たいわけじゃないよ。 その女性の死が惜しまれるから目に焼き付けるんだよ。 失礼な行為には当たらないと思う。 人間の死に様、老い様を見ることはちゃんと意味がある。 東京に居ると、何かと葬式は多いし、自殺や事件、事故が多い。 それほど老いることなく病死して、死後処理して死化粧したのなら、 人間として見届けたほうがいい。
- rockfish
- ベストアンサー率18% (117/643)
身近に接した人なら最後にひと目、会いたいと思う でしょうね。 会いたいのであって、見たいという感覚ではないです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 見たいでなく、会いたいですか・・・ 参考になりました。
- Tori_30
- ベストアンサー率27% (653/2415)
僕なら、死んだ後の顔なんかわざわざ見せたくないし、見られたくない。 どう考えたって、悪い顔じゃん。見たって良い事あるって思えないじゃん。 だから、他の人の死に顔だって見ない。見たくなんかない。 近親者だろうが、赤の他人だろうが。それは同じ。 とは言っても、葬儀の関係上どうしても見なければならない場面はある。 お別れを言う時。ワタを詰める時。どうしても、直視して、そして行わなければならない。 そういう「どうしても」という時はある。それは仕方ないと思うけどね。 「どうしても」という時だからこそ、死に顔を見る事に対する申し訳なさとかそういうのは薄れるし。誠実に接する事が出来る。 それ以外は、「死に顔を見る」とかしたくないな。なんか興味本位な感じがどうしてもするし、見たくないくせに徒に見るのも失礼だと思うし。誠実じゃない。 で、やっぱどうしても見る必要に迫られるのは、近親者だけじゃない?葬儀を行うのは近親者なんだからさ。あと、坊さん。これくらいだろ。 その他の大勢が見ていいもんじゃないと、僕はそう思うんだけどね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も死顔はできれば見たくないほうです。 笑顔を思い出したいと思うのが普通であって、 死顔を記憶に残したくないと思いがあります。
- 1
- 2
お礼
ご回答ありがとうございました。 見ることにどんな意味があるのですか? そこを教えて頂けると助かります。 目に焼き付けると、それまで記憶にあったその人の 笑顔とかと一緒に記憶されるので、 あまりいい気持ちはしないのですが・・・