※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自分の評価は他人がするのに人生だけは特別?)
自分の評価は他人がするのに人生だけは特別?
このQ&Aのポイント
「他人がする自分の評価」が「自分でする自分の評価」よりも正しいということはこういうことからも明らかです。
年収や学歴、資産額など他人が評価する指標があるのに、なぜ「人生」とか「人間の価値」になると自己評価が強くなるのでしょうか?
客観的な評価指標で他人に評価してもらった方が人生も妥当な評価できると考えられます。
自分の評価は他人がするものなんでしょ?
「俺はこんなに優秀なのにボーナスが30万円とか安すぎる!」って言ったって評価する上司や担当者が「いや、お前の価値はそんなもん。」と言えば、後者の方が正しいと当事者以外の誰もが支持するし。
「こんなに尽くしてるのになぜ分かってくれないの?私めっちゃ優しいじゃない!」って女がいくらわめき散らしても、男が「いや、お前重いねん。」と言えば、その優しさはクソ以下だと誰もが支持する。
「他人がする自分の評価」が「自分でする自分の評価」よりも正しいということはこういうことからも明らかです。
にも関わらず、 「人生」とか「人間の価値」みたいなものになると途端に自己評価が強くなるのはなぜ?
「人間の価値はそんなことでは決まらない!自分で良いと思っていればそれが良い!」みたいな綺麗ごと言う人がめちゃ出てくるし。
年収とか学歴とか持ってる資産額とか職業とか家族構成とか 他人が評価してくれる指標がたくさんあるじゃないですか。
「25歳、現在の年収450万、大卒、現在所有している総資産額500万円、会社員、独身、これらの要素から、あなたの現在価値は900万円です。このままいくとあなたの人生は8000万円の人生になる可能性が高いと言えると思います。」
客観的な評価指標で他人に評価してもらった方が人生も妥当な評価できそうじゃないですか?