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子供を産むのは親のエゴか

子供を産むのは親のエゴなのでしょうか? 私の個人の考えとしては、子供を産むのは本能行為であり、エゴかどうかなどという倫理では問題にされえないと思っていますが・・・。果たして正しいのでしょうか? 論理的にお答えください。

みんなの回答

回答No.6

一つの命がこの世に出ることがエゴでしょうか? これから楽しいことも苦しいことも一杯経験して 一生を過ごしていく新しい命が、エゴだけですかね? 僕もあなたも。親のエゴで生まれたと思いますか? エゴではない 望まれて生まれてきたんだと、望まれて生まれて来るんだと そう思いますが あなたの言うエゴとは エゴイスト - 利己主義者。他の人のこうむる不利益を省みず、 自らの利益だけを求めて行動する人のこと の事でしょうか? 僕は論理的に考えて、エゴの意味が今一分りません もし、エゴイストのことなら、生まれ来る子どもは多大な迷惑を被ることになるのです まったく意味が違いますよね 確かに、我が子をペットでも可愛がるような馬鹿親もいますが 普通、一般に考えてエゴではないでしょう 僕の両親ですが 結婚して3年間子どもが出来なかったそうです 望んでも望んでも出来なくて、不妊症かと泣いてたころに兄を授かったそうです 両親の喜びは物凄かったと思います 望んでも子どもが出来ない夫婦も多い中で 論理的に考えても、エゴというのは間違っていますね

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noname#175120
noname#175120
回答No.5

産む事自体はエゴでは無いでしょう。 問題なのは産もうと思わないのに産んでしまうこと。 産んだ以上は成人するまで育てるという義務が生じます。 これを放棄する事はエゴ以外の何物でも無いですね。 産む事が本能だとしても育児を放棄する権利はありません。 これは義務ですから。

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  • Sengataki
  • ベストアンサー率18% (27/144)
回答No.4

二人子持ちの男性です。 論理的な答えということですが、難しい命題ですね。 一応、小生なりの感想を述べたいと思います。 <子供を産むのは本能的な行為である> その通りだと思います。生物として数億年、ヒトとして700万年の 歴史があります。遺伝子変化と適者生存で生き残ったわけです。 「合目的」という言葉があります。行動や現象のメカニズムは 証明されなくても、そのように考えることで納得できるという、見方です。 例えば、悲しい時に悲しい表情になります。なぜ、そのような表情になるのか、 なぜ、表情筋がそのような配置になるように収縮するのか、はわかりません。 しかし、合目的に考えれば、悲しい時に悲しい顔になり、それを、他人が「悲しい 気分になっているのだな」と認識できなければ、その人が悲しい状況から脱却すべく、 援助が受けられないなど、不利益になるからだと、納得できるでしょう。 「子供を産む」ことも合目的に考えると、種を保存することによって、自分の身を 守るための行動と言えるでしょう。老後の心配だけをしているわけではありません。 自分一人だけの社会では、米も、魚も肉も食べられないし、家に住み、 蛇口をひねって水を出すこともできません。 時々「子供の世話にならないから子供はいらない」という言葉を聞きますが、 我々は皆、例外なく、誰かの子供です。他人の子供がいなければ、日々の生活を 維持できません。一人では布切れ一枚を作れないし、犬や猫がパンを作ったり テレビを造ったりできませんから。もっとも、犬や猫も、彼らの子供ですが・・ 「子供を作る」ことは、合目的に考えて、自分の生活を続けるためにも、 人間社会が続くためにも、必要な行為である、と思います。

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回答No.3

おはようございます。 子供を産むと捉えるのでエゴのように感じるのではないでしょうか? 子供は普通分娩の場合、子供が生まれ出てくるのです。 当然、母親の力も必要になりますが、母親が今産みたいと思っても子供に生まれる意思がなければ生まれてきません。 今は子供を作ると言われる方がおられますが、昔は授かると言いました。 作るは親の力で作るということです。 子供がほしいと思っても出来ないご夫婦も多くいらっしゃいます。 繁殖能力が弱いとかいろいろ言われていますが、タイミングがぴったり合って受精しなければ子供にはならないのです。 人間の意志で確率を上げることは現代では可能ですが、それでも難しいのです。 やはりこれは授かるものなのでしょう。 親のエゴではないと思います。 生まれた子供を親の希望通りの道に進ませようとするのは親のエゴでしょう。

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  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1223/4397)
回答No.2

 私たちがこの世に生きているということは、生命がこの世に誕生してきてから連綿とつながっているものです。質問者さんも私ももちろんこの世の中すべての生命あるものの、祖先の誰か一人が欠けてもこの世にいないわけです。いわば生物的にも強い遺伝子を持ったものだけが後世にその生命を残すことができたわけです。  なので私たちは次の世代に生命のバトンを渡す義務があります。

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

確かに本能に基づいていますね。 しかし、その本能は理性でコントロールできる 本能です。 結局、子供を造る、産む、という選択は 理性で判断している訳です。 そして、子供を産むのは親が一方的に決めます。 産まれてくる子供に相談などしません。 従って、親のエゴです。 ただエゴだから悪い、というつもりもないです。 子供を造るということは、子供に人生を与え、喜びを与え 社会や文化を再構成することに繋がります。 親のエゴで造ったのだから、親は子供が素晴らしい人生を送れるように 最善の努力を尽くすべきです。 場合によっては我が身を犠牲にしてもです。

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