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人を産むことの素晴らしさとは?
- 人を産み出すことの素晴らしさについて考えてみましょう。
- 子供を産むことは、幸せを感じられることや、子孫を繋げるという本能によるものとも言えます。
- しかし、子供を産むには環境や知識、補助が必要であり、現代の社会ではそれが重要視されています。
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#9、#13です。お礼ありがとうございます。 >回答者様はどうしてこの世を生きようとお考えですか? 人もただそこに生まれたというだけの生き物なので その生が終わるまで生きるという感じです。 自ら命を絶つことは傲慢だと思います。 私は死に向かう生とはいえ楽しく笑って過ごしたいです。 そのために色々考えて行動します。 必要な人間関係は効率を考えませんが さしてそうでもない人間関係は もめないことが一番楽なので合わせます。 生きてきた中で親切な人たちにたくさん会いました。 年齢も性別も全く違う人たちだけど、 周囲に注意を払っている、という共通点があります。 社会がスムーズに流れるように ちょっとだけ配慮するだけのことです。 そんな難しいことではないのですが、そこに意識が行かない人が 増えているのは悲しいことです。 自己防衛に走りすぎると、視野は狭くなり 世界は生きにくくなります。 他人は敵ばかりに見えるからです。 でも実際、そうである人とそうでない人がいます。 それは五感で感じ取ることが可能です。 >足元からでなくて外から見ないといけないことだと思ってしまうんです。 ヒーリング系の資格を取りに、コース参加したことがあります。 その中には「宇宙から使命が降りてくるのを感じる」とか 精神世界に傾倒しすぎている人が混じっていました。 私もそういうの嫌いじゃないんですが 私達が生きているのは現実で、生活があって肉体があります。 だから、現実しっかり地に脚をつけた上での 精神世界でもあると思うのです。 そして 私は必要以上に自分のスピリチュアリティを強調する人は 「特別視してもらいたいが為の詭弁」と思っているので あまり相手にしないようにしています。 実際、その人は私が「すご~い!」ってならなかったのが 気に入らなかったらしく 表面上フレンドリーでしたが、敵意がものすごかったです。 対人に対する意識が高く、これから人を癒そうとする人ですら 言うこととすることが違う場合があるのです。 さらに、それを教える先生の間にも派閥があります。 「人はみんな違って、みんないい」的な教義を掲げているのに それに携わっている人はそうではない行動をしているのです。 だから人間はそもそもそんな強いものでも 正しいものでもない。煩悩は誰にでもある。 というのが30年ちょっと生きてきていま思うことです。 だからこそ、自分で判断して行動したり 危機回避をしたり、が大切になってきます。自分のために。 これは親から教わったことではなく 経験から身につけたことです。 だから衣食住の提供をしてもらっただけでもありがたいと思います。 それが大変なことだというのがわかっているから。 育った場所は田舎で、近くに美術館や図書館、博物館はありません。 そしてあったからといって、行ったからといって 必ずしも芸術的センスが身につくとは考えません。 興味の有無は色々あっていいし、自分で選んでいくものだと思うからです。 >回答者様がどうしてこのような場所で 回答をされているのかは知りませんが まず、文章を書くのが好きです。 そして質問文から、質問した方の状況や性格や いいたいことの本質を想像し 伝えたいことを伝わるように考えるのが好きだからです。 だから「困っている人にアドバイスしたい」という親切心も ないわけではないですが主に脳トレのような感じです。 それが結果として 見ず知らずの誰かの何かのヒントになったり、解決になったりしたら 一石二鳥かな、と思います。 あと、芸術系なら 苦悩は肥やしになります。 満たされた生活とか精神状態からよりも 何かを希求するような 乾いたスポンジ状態のほうが色んなものに意識が行くし モヤモヤした感情を作品として昇華させることができます。
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- LOTUS18
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#9,13,14,15です。こんな感じでやりとりしているのは規約的に 大丈夫なのか?とビクビクしつつお返事です(笑) 本を読むことが苦ではないなら ジャンルに拘らず色々読んでみるといいと思います。 文章から音とか色とかのイメージが浮かびやすいのは 「銀の匙」とか「百人一首」とかかなあ。 シェイクスピアの戯曲は言葉がきれいだし 人間のドロドロが「昔もそうだったか~」と思ったり 人間関係を楽にこなしたかったら 「人たらしのブラック心理術」は実用的です。 最近は「世界で一番美しい元素図鑑」が好きです。 >他の人の感動した文句を聞いても、 体がムズムズするだけでよくわかりません。 他人の感動話はあくまで他人のものなので それがしっくりこなくて当然と思います。 御自身がいましていることにイマイチ自信が持てていない のではないですか。 他人を認めてしまったらおしまい。という かたくなさの中にいませんか。 絵画の誰のどんな作品にも心が動かないのなら それは御自身でブロックをしているのではないかと思います。 私含め私の周りのそういう人は 学生時代集団生活に違和感が絶えずあり(笑) そこそこの人間関係はこなすけど 誰も自分をわかってくれない、っていう心境でいる人が 多い気がします。 その表現の手段としての絵だったり音楽だったり。 「自分は人と違う」「自分を認めて欲しい」と静かに主張するのです。 でも、職業として考えた場合、他人にも好みがあるので、 そこにシンクロする人がいなければ 自分の好きなことだけを発信し続けて食べていける、 という状況は生まれません。 私は小学校の中学年ぐらいだったと思いますが 父の部屋でピカソの全集を見て 「青の時代」の作品群に驚いたことを今でも覚えています。 描かれている人の人生とか悲哀とか 背負っているものが見えた気がしました。 そのころはこどもだったし写実的な作品に惹かれて ピカソは子供のころのデッサンが凄く上手なのに、 何でこんな絵(ゲルニカとか)描くようになるんだろう、と思っていました。 その後少し年をとってからキュビズムの作品群を見たとき 全然違う印象を受けたのです。 「泣く女」のなんだかわからないけどものすごいエネルギー。 美しいだけが芸術ではない、と思いました。 文学でいうと 太宰治を中学の時に読んで何となく惹かれていましたが 高校でもう一度同じものを読んだら 「何甘えたことを(怒)」「こんな男ヤダ」と思いました。 同じ作品でも、読む自分の状況や心境で感じ取るものが違うのです。 あと、マンガの影響は大きいです。 水木しげるの点描、井上雄彦の背景の緻密さ。 変態(いい意味で)じゃないと描けない作品です。 挙げた人物・作品は私が感じたものですので やっぱりピンと来ないかもしれません。 自分にハマるものは やはり色々探して見つけていくしかないのです。 でもなんとなく素直にその作品と向き合ったら いままでにない感情が勝手に湧き出ることがあるのでは?と思います。 私は身体がざわざわと泡立つ感じになったり 寒気がしたりします。心臓を鷲掴みにされた感じになったり。 最近では「怒り新党」で 青森大学新体操部の演技、をみてぞわっときたし WORLD ORDERのPVで なんかよくわからんけど号泣しました。 >こういう知識は経験を生かした結果ですか。 リラクゼーションサロンで働いていたことがあります。 人の身体には性格とか生活が出ます。 話す内容も、声も言葉もしぐさも、その人を形作るピースであり その人がなぜそうなのか、のヒントになります。 そう考えて人を見るとすごく面白い。 当たりがきつい人ほど自信がない、とか 穏やかだけど目が笑ってないのは人を信用していないから、とか 人間観察が娯楽になりました。 知識ばかりたくさんある人はそこで張り合おうとするので 話しているうちに余裕をなくしていくのが判るし 知識の有無で人を判断しすぎるので、 自分より知識があると思われる人に出会えば 途端に綻んでみっともないことになります。 知識はあって悪いものじゃないけど 私達は現実世界を生きているので 知識ばかりもっていてもそれを使わなかったら それは何も持っていないのと同じなんじゃないでしょうか。 >もちろん、これは必要ないだろ!と 思うような仕事は世の中にたくさんありますが、 どういう仕事を想定しておっしゃっているのか わからないのですが 需要があるから、 仕事として成り立っているのではないでしょうか。 少し前まで「愚痴聞き」がビジネスになるなんて発想 なかったと思います。 もっと遡れば、掃除がビジネスになったり 引越しがビジネスになったりするのも そういうのない時代からしたら 「それでお金が儲けられるのか(*_*)」って仕事だと思います。 ブランド物にしても、本物が何が何でもいいっていう人もいれば 見分けがつかないなら偽物でも安いほうがいい、っていう人もいます。 ですから、 >同じような作品を大量生産して 家具屋へ売りに行って芸術家ですという人だってたくさんいます。 これもあり方です。 効率はいいので、収入は得やすいでしょうから 当たれば生活の安定は望めます。 またそうやって名前を売って、 自分のしたい方向性を発信しやすくするのも手段でしょう。 あるいは最初から曲げずに自分の作りたいものを作る、のも やり方としてはあるでしょう。 色んなやり方がある、のをまず認めてみるのもいいのでは。 自分が何にどれくらい時間と労力を割きたいのか またどういう生き方をしていきたいのか 少し先の目標を意識してみるといいかもしれません。 自分がやりたいことだけをやって食べていける人は一握りだけど そこを目指すか、 ジャンルはそこに拘りたい、なら量産型のものを作る傍ら やりたいものを作っていくか そこまでしなくてもと思うなら普通に仕事は別で持って 副業的に作品を作り続けて細く長くやっていくか などなど色々あると思います。
お礼
ひやひやさせてしまってすいません;; でも本当にありがとうございます。読み進めていくうちに狭い視野がどんどん広がっていくような感覚に襲われます。この質問をしたカイがあったなあと素直に思えます。規約は危ないのかなあ。。でも本当に本当にありがたいんです。 今日たまたま作家の方と食事する機会がありました。話していて、私の固定観念の強さにショックを受けています。LOTUS18様のご意見と合わせてさらに私に変化をもたらしているようです。本当にありがたいことですし、感謝しています。なぜかというと、昨日までの心持がウソのように胸が軽いのです。 >文章から音とか色とかのイメージが浮かびやすいのは 「銀の匙」とか「百人一首」とかかなあ。 シェイクスピアの戯曲は言葉がきれいだし 人間のドロドロが「昔もそうだったか~」と思ったり ↓ 私は昔の書物とかって変に抵抗感を抱いて観ていなかったんですけど、頑張って取っ払って観てみます。 シェイクスピアは英語でですかね。 以前の人たちの書物を大事に捉えられるようになりたいです。 >人間関係を楽にこなしたかったら 「人たらしのブラック心理術」は実用的です。 ↓ 早速AMAZONで注文です。 最近は「世界で一番美しい元素図鑑」が好きです。 ↓ うわあ。おもしろそう。元素図鑑???興味津々です。LOTUS18様、もう弟子にしてください。笑 >御自身がいましていることにイマイチ自信が持てていない のではないですか。 他人を認めてしまったらおしまい。という かたくなさの中にいませんか。 ↓ 図星です。自信が無い中で、認めてしまったらおしまいという気持ちで毎日生きています。でも作品に関しては、周りを否定するというよりも、自分の希望と照らし合わせた結果、認めてはいけないなと結論付けているのだーーーーと思いたい。笑 一方では頑なかもしれないけど、認めちゃいけないものがあると! >絵画の誰のどんな作品にも心が動かないのなら それは御自身でブロックをしているのではないかと思います ↓ ああー。本当にそうです。ライバル視に似た感情で見てるかもしれない。 うーーん >その表現の手段としての絵だったり音楽だったり。 「自分は人と違う」「自分を認めて欲しい」と静かに主張するのです。 ↓ 素敵な感覚です。美術ってそういうものっていうことを随分忘れていた気がします。 そういう人が私のそばにもいてくれたら。や、私がブロックしていただけという説が有効みたいです。 >でも、職業として考えた場合、他人にも好みがあるので、 そこにシンクロする人がいなければ 自分の好きなことだけを発信し続けて食べていける、 という状況は生まれません。 ↓ 需要と供給!職業として考えると人の多い少ないに頼るしかないのかな・・。あんまり少なすぎると食べていけない。。変えられるだけの説得力が私にあるのかというと・・・、まだまだ努力の余地がありそうです。 >美しいだけが芸術ではない、と思いました。 >同じ作品でも、読む自分の状況や心境で感じ取るものが違うのです。 ↓ うーーーん。LOTUS18様は本当に物事の捉え方が素敵ですね。素直に尊敬です。こういうふうに意見をもらえる機会があることが嬉しくてならないです。 >でもなんとなく素直にその作品と向き合ったら ↓ この言葉にすごく温かみを感じます。すなお素直。。 >私は身体がざわざわと泡立つ感じになったり 寒気がしたりします。心臓を鷲掴みにされた感じになったり。 ↓ 気持ちいいですよね。須藤元気さん、いい感じがちらほら。 > リラクゼーションサロンで働いていたことがあります。 人の身体には性格とか生活が出ます。 話す内容も、声も言葉もしぐさも、その人を形作るピースであり その人がなぜそうなのか、のヒントになります。 そう考えて人を見るとすごく面白い。 当たりがきつい人ほど自信がない、とか 穏やかだけど目が笑ってないのは人を信用していないから、とか 人間観察が娯楽になりました。 ↓ そういうきっかけから面白さを発見できる価値観に憧れます。 人間て私が思いこんでいたよりも単純で複雑みたいです。 自分でさえ単純で、だけど見えなくなるのに。 人間観察を突き詰めることも、スポーツのように楽しめそうですね。いいこと聴いたなあ。 >知識ばかりたくさんある人はそこで張り合おうとするので 話しているうちに余裕をなくしていくのが判るし 知識の有無で人を判断しすぎるので、 自分より知識があると思われる人に出会えば 途端に綻んでみっともないことになります。 ↓ こういうことを認識できていたら。。言葉で認識しようとすることの大きさが身にしみます。 > 需要があるから、 仕事として成り立っているのではないでしょうか。 ↓ むう。私は一方的に自分の思い込みを社会にさえぶつけているのですね。 どんなことも、多数の人間に認められるということさえクリアすれば、社会では生きていける。。悲しいーーーーーーーーーーーー > 色んなやり方がある、のをまず認めてみるのもいいのでは。 自分が何にどれくらい時間と労力を割きたいのか またどういう生き方をしていきたいのか 少し先の目標を意識してみるといいかもしれません 。 ↓ こここそ私がかたくなになっちゃってたところなんですね。 未来が恐くて今ずっと先の生き方を決めようとしていたこと。。 足元ってこういうことですか! 色んなやり方があることを私は一つしかないように思っていたようです。 うまく言えないけど><; LOTUS18様、本当に本当にいろいろありがとうございました。 心が軽いです。目先の目標も抵抗しようとせずにできるかもしれません。(まだ試してないけど) この機会に感謝しつつ、また同じような幸運に恵まれることを祈ります。 あーーー、おわりにしてしまうのが残念ですが、一応規約があるんですもんね。泣 でもこういうふうにお答えいただけたこと、すごく嬉しかったです。実際いますごく気持ちが軽いことにびっくりしています。感謝感謝です。 脳トレにはなりましたでしょうか?ありがとうございました。
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
#9,13,14です。何度もお邪魔します(^_^;) >私の環境についてアドバイスいただきたいです。 単純に、大勢の人と同じ価値基準の中にいると 仲間が多く感じられるので安心できます。 そこには正解が共通認識としてあり 人の優劣が判断しやすいからです。 そこにいるほうが楽、なのであればそれで 支障ないはずなので、Shikimushikimu様は 集団の中にいる安心感はありながらも そこでの価値観の設定が腑に落ちないので 何を優先すれば自分が楽になれるのか 袋小路に入っているところだと思います。 優劣をつけたい、ということは 自分で自分がしていることに自信がなく 大勢の中で味方を得ることで 自分が優れていると思いたいわけです。 おそらくそういう価値基準じゃないところに身を置けば 途端に態度が変わったり小さくなるでしょう。 そして保身のために 「でもあの子ブスだし」とか「オバサンだし」と 相手を劣っているかのように言って 自分の優位性を確認します。 でも問題の本質はそこにはありませんし そういって相手を落としたところで、自分が必ずしも周囲から 優れた人間であるという評価をもらえるわけではないです。 だけどそういう生き方を選んでいるのですから それはそれでその人にとっては 居心地がいいのです。 >いわゆる容姿にどっぷり浸かっちゃってる人が多いんです。 一番わかりやすいですからね(^_^;) あとお金(財産)を基準にする考え方もわかりやすいですね。 優先順位を考えるといいです。 同じ金額、何に変わると自分はハッピーなのか。 そして選んだ方と、選んだ自分を大切にすることです。 そしたらけなされても(集団だったらちょっとキツいですが(^_^;)) 「まあでも使えるお金は限られているし」 「手に入れたものは私をハッピーにしてくれるし」 って思えます。 ジャケット10万とか化粧品10万、よりも 初心者用フルート10万、の方が私は満たされます。 あと、その価値基準じゃない友人は大事です。 今ある人間関係はそれはそれとして 新しい人脈を広げていく時期なのかもしれません。 >気づいたら自分を肯定しようとする言葉ばかりで吐きそう。。 自分を肯定することはいいことだし、 自分の価値基準は当然あるものです。 ただ、自分を守るために相手を否定する、のはちょっと違う。 自分の主張も大事ですが 相手がどのような価値基準なのかを知ろうとすることも大切で それを否定するのではなく 「そういうのもあるんだ」って思うといいです。 向き合っているその人は 集団からはじかれないために その価値基準を掲げているのかもしれないし そういうの関係なくそうなのかもしれないし。 その人によって色々思うところがあります。 同じ選択をしていても。 >親になるみなさんはもう少し人として ちゃんとしてくれないかなーと思ったのは本音ですよ。 これは私も思います。 道にゴミを捨てる人のこどもはそれを見て育ちます。 どこかで「それはいけないことだ」って思えばいいけど そうではない親が身近にいたら、出発点としては 「道にゴミをすてていい」からなので 最初から「それはいけないこと」という親に育てられるのと比べて 社会に対する意識は違ってくると思います。 親はこどもを「1人の人間として、1人で生きていけるように」 最低限のルールやマナーを教える必要があると思いますが 親自身がブレていると なかなかそれも難しいことです。 >作品として「昇華」させるということによって、 どういう心の変化または、周りの反響があると思いますか? その他にもどういう現象が起こると思いますか? 好みがあるので、はっきり「こういう効果が」っていうのは いえないとは思いますが むき出しの感情を作品にしているものの方が 作品として勢いとかエネルギーを感じられます。 例えば歌。 ある一定水準を超えたら上手下手ではなく 人の心に響くかどうか、ではないでしょうか。 絵もそうです。上手に描く人はすごいけど ただ上手なだけだと「上手だな~」で終わります。 足が止まったり、息を呑んだり、涙が出たり、 そういうのはまた別のところにあると思いませんか。 例えばピカソはそのときの生活や思想が画風に反映してて わかりやすいんですが 私生活ごちゃごちゃしてるときの絵のほうが なんか私は好きです。 メリット、デメリットは 何でもメリットって考えたらいいんじゃないでしょうか。 転んでもタダでは起きない、とおもってたら 失敗したり、思い通りに行かなかったとしても そこからなにか学ぼうと考えられるからです。 あとは自分ぐらいは自分を大好きでいることです。 自分に向けてストレスを発散しなくても (くだらない悩み、とか、○歳なのに、とか) 知らなかったことは知ればいいし 知る姿勢でいればいいのです。 知らなかったということを知ってよかったね、自分。と思えばいいのです。 でないと必要以上に理論武装をして柔軟性をなくしてしまいます。 そしたらそれを守らないといけない意識が働くので 結局自分で自分を苦しめることになります。 対処法のバリエーションが増えないからです。 目的地に行くのに、一つしか道を知らないより いくつかルート知ってるほうが 何かあった時柔軟な対応が出来ます。 人生もそうなんじゃないかと思います。
お礼
おおお。人の話を見てこんなに感動したのは初めてです。 的確すぎです。うーーーん。素直に羨ましいです。一石二鳥どころじゃないですよ。 すごいすごいすごい。 なんでですか!笑 うーーーーーん。こういうのも脳トレ効果ですか?いやあーー本当すごい。 選択されてる知識が無理なく程よい感じですよね。 私も拒否感なく見れているのが不思議なくらいです。それだけご意見が板に付いてるってことなんですね。いいなあ。何かお勧めの本教えてください! >集団の中にいる安心感はありながらも そこでの価値観の設定が腑に落ちないので 何を優先すれば自分が楽になれるのか 袋小路に入っているところだと思います。 ↓ 図星以外の何物でもありません。堂々巡りしていた袋から出れたように視界が 明快になりました。 LOTUS18様はこうゆうことも自分で気づかれたんですか?言葉でこういうことを表現できるって本当に尊敬します。本当にありがたいです、ありがたすぎです。 >ただ、自分を守るために相手を否定する、のはちょっと違う。 ↓ 食道をぶった切られた感覚に襲われました。笑 いやーーーー。たぶんやってたかもしれない。。相手を認めることができなかったかも。がーーーん。 「知らないことを知れてよかった」です。(T_T) 自分にストレスぶつけたくなります。自分にそうだったら周りにもこうしてたのかな、と思うとまたもや 知らないこと知れてよかったです。泣 >足が止まったり、息を呑んだり、涙が出たり、 そういうのはまた別のところにあると思いませんか。 ↓ 思います。どんなに上手な人がいても、上手と魅力は違いますよね。 しかし私は上でも言ったとおり、他人を認めるということをしたことがないので、絵を見て感動したことがないんです。ピカソもミケランジェロもダ・ヴィンチに対しても一緒です。幼い頃から変にそういう環境にいたせいもあって、新鮮さというか、何に対して感動すればいいのかわからなくなっています。 他の人の感動した文句を聞いても、体がムズムズするだけでよくわかりません。 音楽なら違う土俵ということもあって、感動できるのですが。 参考に是非、LOTUS18様が感動する絵を見てどのような感覚に襲われるのかお聞かせ願えませんか? ちなみに私が感動する音楽を聞いたときは、生きてて良かったと思いながら涙がブアッって感じです。 >でないと必要以上に理論武装をして柔軟性をなくしてしまいます。 そしたらそれを守らないといけない意識が働くので 結局自分で自分を苦しめることになります。 対処法のバリエーションが増えないからです。 目的地に行くのに、一つしか道を知らないより いくつかルート知ってるほうが 何かあった時柔軟な対応が出来ます。 人生もそうなんじゃないかと思います。 ↓ 胸が締めつけられます。理論武装して方向性を狭めている真っ只中です。ああああ。 こういう知識は経験を生かした結果ですか。本当に、こういうことを言葉で認識できる人になりたいです。 ご意見くださったこと、本当に感謝しています。 脳トレと思って是非相談に乗っていただけませんでしょうか。お暇があれば下記の方にアドバイスいただきたいです。 ご存知の通り私はいま芸術系で進むような道に立っています。しかし最近、社会の流れからある意味で逸脱しているということに不安と疑問を持ち始めてしまっています。 もちろん、これは必要ないだろ!と思うような仕事は世の中にたくさんありますが、芸術で食べていくということはどういうことなのか掴めないのです。同じような作品を大量生産して家具屋へ売りに行って芸術家ですという人だってたくさんいます。食べるために芸術を選んでしまうと、こういう危険が芸術に混ざってしまうんでないかという不安です。私の勝手な観点からですが。 社会の中で芸術でやっていくとはどういうことなのでしょう 私の癖なのでしょうか、芸術系のほうであまりいいと思う人に出会えないというところからも不安がきています。価値観的な仲間ができないことにものすごく不安を感じます。 あと、大学受験から逃げたいってのもあります。笑 (大学へは技術習得と出逢いのためwanna go です。) お暇があれば是非よろしくお願いします。 とりあえず、LOTUS18様、本当にどうもありがとうございました。こんなに価値観について触れてもらったのは初めてなので、気持ちいいやら恥ずかしいやら。。本当に感謝感謝です。
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
#9です。お礼ありがとうございます。 お礼に関して、補足させてください。 >現実の世界観がヴァーチャル過ぎて、 人類という現実を見ないと本当の足元が見えない気がしたのです。 どちらも現実ですね。 視点がミクロなのかマクロなのかという違いはあるにしても ヴァーチャルすぎる現実の世界観、も現実なので、 そこから離れすぎてもまた思考が固くなりがちです。 自己防衛に集中してしまうと 他人の意見の真意を見誤ります。柔軟性がなくなるからです。 質問者様の「理想」を現実的に考えれば、 教師になるなりして そのよう考えることのできる教育をこどもに施し それを世界規模のものにする、ような行動をすれば 近付くかもしれませんが すでに大人である我々が等しく 「すべて準備してから子を持つべき」と 考えていない現実がまずあるのですから 大人からの教育が必要になるでしょう。 そして価値観の問題なので、絶対的な正解はありません。 質問者様の仰る「理想」に価値を見出さない人に いくら熱く語っても出発点から違うので お互いが相手の違いを認識したうえで すりあわせをしていくことになります。 生育暦がひどくても後世に名を残すような人もいれば 整っていても犯罪者になる人はいます。 だから質問者様の「理想」を具現化するには 賛同者を多く得るに足る説得力とか 質問者様に人としてのカリスマ性とかが 必要になってきます。 「人を巻き込む」にはそれなりの行動力と 責任感が要ります。 私が日常生活上、特に妊娠中感じたのは 年齢性別違っても親切な人は親切っていうことでした。 それは育ちというのもあるかもしれないけど その人そのものの性質であるように思います。 それはその人が成長していく過程で 自分で身につけたものなのではないでしょうか。 同じ経験をしてもそこから何を学ぶかは人によって違います。 兄弟で同じ環境に身を置いていても 同じようには育ちません。 だから「親が」という面も確かにあるけれど 「周囲の他人が」「自分の経験が」っていう面も 多分にあると思うのです。 匙加減、は私は 経験に裏打ちされた柔軟性、危機管理能力 ととらえています。 相手の質によって自分をある程度調整できることで めぐりめぐって自分のイライラを 軽減することができるからです。 >決して不満や不安の改善を他人(親)に求めることを 肯定しようとしてこの質問をしたのではありません。 そうなんですね。 >子供を育む環境、環境に対する親の知識、環境に対する親の補助、 とあったので、どの程度を想定されてのことかはわからないけれど 単純にこれらの言葉のイメージで それは求めすぎだろう(^_^;)と思いました。 私が読み違えてましたね。すみません。 そして何かしらのすり替えをされているかな とは思いましたが 世を批判しているとは思っていません。 考えたい時期なんだろうな、と思いました。 10代ですか?と聞かれたのは そういう感じがあったからだと思います。 誰しも大なり小なり、 「生とは、死とは」とか「人類とは」とか 考える時期があり、それは大抵10代だからです。 社会に出て、思い通りに行かない人に多々出会うと 自分で「ここまでは自分で何とかできる」と 線引きをして何とかやって行く感じになります。 他人を変えることはできない、を体感するからです。 自分ひとり対社会、だと 出来ることが制限されるし、労力もハンパ無くかかります。 それに見合った成果が得られるとも限らないし。 そうやって 世界が狭くなる、と言い換えられるかもしれません。 >これから人類が人類を存在させ続けるためにすることは、 産む前にたくさん準備することだと言及したいのです。 おっしゃることはわかるんですが 現状の教育でそれは難しく 親にはこどもをうめばなれるので そこを規制することも不可能ですね。 実現可能な事を理想として掲げるなら 繰り返しになりますが まず自分の周辺から自分が変える ことが第一歩かなと思います。 現実との折り合いをつけて考えるのであれば私は 「自分のストレスは自分で何とかする」 を教えたいと思います。 根本を認識し、それを軽減するには、を考え そのように行動する、のです。 イライラの原因は自分の中にあります。 劣等感も羨望も、自分が他人と自分を比較して 自分でその状態に陥るので そのイライラを自分の外側や他人にぶつけず 自分はどうしたらいいのか、と考えるのを 促します。
お礼
お礼遅くなりました。丁寧な補足ありがとうございます。わかりやすく、かゆいところに手が届くような回答ありがたいです。 いやーやはり私は10代と思われても仕方がないですね。考えたい時期が遅く来てしまったのかもしれません。それに、人は変えられないということに対して見ないふりをして生きてきました。 回答者様はそのへんのところを受け止めて冷静に見ておられるのだなと思いました。羨ましいです。私も頑張らなければ。 たしかに、ヴァーチャルっぽいことも現実の中の現実なんですよね。それをヴァーチャルと感じてしまうのは私が現実に対しての知識が足りないことが起因していると感じました。 >生育暦がひどくても後世に名を残すような人もいれば 整っていても犯罪者になる人はいます。 だから質問者様の「理想」を具現化するには 賛同者を多く得るに足る説得力とか 質問者様に人としてのカリスマ性とかが 必要になってきます。 「人を巻き込む」にはそれなりの行動力と 責任感が要ります。 ↓ 気持ちのいいくらい的を得てもらったご意見ありがとうございます。 整っていても劣悪な環境でも、ほんの少しのタイミングと積み重ねときっかけで個人としては人生が変わってしまう。本当に、人ってなんでいるんでしょうね。人っていうかこの世っていうか。。 回答者様はどうしてこの世を生きようとお考えですか?生き方というか。是非お聞かせ願いたいです。 なぜ死ぬことを選ばないで生きるのか。聞かせてほしいです。 >だから「親が」という面も確かにあるけれど 「周囲の他人が」「自分の経験が」っていう面も 多分にあると思うのです。 >単純にこれらの言葉のイメージで それは求めすぎだろう(^_^;)と思いました。 私が読み違えてましたね。すみません。 ↓ 私のほうこそ申し訳ないです。あとから冷静に自分の文章を読んでみると確かに親にだけ責任をなすりつけるような観点になっていました。反省です。 経験、そのときの価値観、タイミング、きっかけ、環境、他にも人間がどうしようもできない理由がこの世には溢れていますよね。悲しいなあ。 >社会に出て、思い通りに行かない人に多々出会うと 自分で「ここまでは自分で何とかできる」と 線引きをして何とかやって行く感じになります。 他人を変えることはできない、を体感するからです。 自分ひとり対社会、だと 出来ることが制限されるし、労力もハンパ無くかかります。 それに見合った成果が得られるとも限らないし。 そうやって 世界が狭くなる、と言い換えられるかもしれません。 ↓ 世界かあーーーー。ここまではなんとかできる、かあーー。実は私芸術方向で生きていこうと思っているんです。だからかなあ。足元からでなくて外から見ないといけないことだと思ってしまうんです。だからいまの世界で生きるのがとても苦痛なんです。偉そうに言葉だけはベラベラ出るのに、心と精神がついていかない。 でもやっぱり自分の言葉の使い方が下手くそなうえに、気持ちのコントロールもままならないから、様々な矛盾を孕んでしまうんだなあと大反省です。 自分の理想と社会を照らし合わせて生きるのって悲しすぎますね。 > 実現可能な事を理想として掲げるなら 繰り返しになりますが まず自分の周辺から自分が変える ことが第一歩かなと思います。 現実との折り合いをつけて考えるのであれば私は 「自分のストレスは自分で何とかする」 を教えたいと思います。 根本を認識し、それを軽減するには、を考え そのように行動する、のです。 イライラの原因は自分の中にあります。 劣等感も羨望も、自分が他人と自分を比較して 自分でその状態に陥るので そのイライラを自分の外側や他人にぶつけず 自分はどうしたらいいのか、と考えるのを 促します。 ↓ とてもためになるお言葉、ご意見ありがとうございます。こんな機会に出逢えたことに感謝致します。 たしかに、全ては自分の中にあるんですね。こんなことを認識するのさえこんなに時間がかかる。 ああーーーー。私みたいにわからない何かに対して苦痛を感じてる人がたくさんいる世の中の存在意義を神と言われるものがあるなら問いたい! ここから脱却する。自分はどうしたらいいかですよね。まず人より、自分かあ。そうかあ。 回答者様、本当にありがとうございます。いま、ピアノ音楽聴きながら文章打ってたら涙出てきちゃいました。笑 回答者様がどうしてこのような場所で回答をされているのかは知りませんが、私の心は幾分か救われました。幾分かというより、すごく。 こんなきっかけがあったことに、回答者様と何かに感謝したいことが不思議でならないです。 こんなところにいるのは何かのせいなのに!くやしいなあ
- raki2533
- ベストアンサー率28% (60/207)
追伸 私の考える環境は、、、 教育、出会い、体験、習慣、心構え、親の価値観、成功体験、友人関係、夢・目標、社会的環境、訓練、努力、、、、、、本当に幅広く親以外の要因も大きく左右するように思います。 人生80年とすると、親が与える影響はせめて20年、、、後の60年は自分の価値観で 生きて行くのではないかと思います。 自らが考え、選択し、自らが責任を取る心構えをしっかり伝えられればそれほど心配もいらないのかなー、、そうとも思います。
お礼
追伸ありがとうございます。 >教育、出会い、体験、習慣、心構え、親の価値観、成功体験、友人関係、夢・目標、社会的環境、訓練、努力、、、、、、本当に幅広く親以外の要因も大きく左右するように思います。 ↓ 本当にそうですよね。よく「環境のせいにするな、自分のせいだ」と思い込んでいらっしゃる方がいますが、そういう人々が愚かな連鎖を作っていくのだと思います。 私の親は少しロマン色が強くて「あなたは私たちの判断で産まれたんじゃないの。あなたがこの世に産まれたいと願って産まれてきたのよ。あなたが私たちを空から選んで産まれてきたの」と言ってきます。これはタチが悪いです。ロマンや思い込みに酔って、自分が考えないことを肯定してしまうのです。はあー。 こういう人々がたくさん いると思うとこれから存在させられる子が心配です。社会がもっと問題視してもおかしくない事柄ですよね。国民の質に直結してますから。 >人生80年とすると、親が与える影響はせめて20年、、、後の60年は自分の価値観で 生きて行くのではないかと思います。 自らが考え、選択し、自らが責任を取る心構えをしっかり伝えられればそれほど心配もいらないのかなー、、そうとも思います。 ↓ それができる人がこれから増えてくれることを心から願います。 私もそんな人間になりたいです。
補足
もう一つ前の回答のお礼の中で書き忘れてしまったので補足欄お借りします >本当に生まれた環境自体ですでにそこに格差がを生まれてしまいますね。回りに美術館、博物館、図書館などがあるだけで 活用次第では大きな文化的な差を生んでしまいますね。 しかし、これを解決するには社会的、政治的問題として解決するしかないように思います。 解消するには、理想的な地域に引っ越すしかないように思います。 しかし、都会では得られない田舎だからこそ学べる環境もあると思います。 その置かれた環境を生かす事ができる親の知恵があればいいのかな、、とも思います。 ↓ ものすごく同感です。しかも良しとした環境に連れて行ったとしても、その子のそのときの心境一つでうまくいかないかもしれない。諦めずにその場その場で対処をする親の知恵は本当に重視されるべきです。 あとは例えマイナス要素のある環境であったとしても、助言一つで「学び」に変わる。そばにいる人間の質の大事さが本当にわかりますよね。 >実は子育てのブログをやっています。底辺に流れている考え方はまったく一致しています。「羅輝」の検索でトップをクリックで出ると思います。 ↓ 時間があるときに是非訪問させていただきます。 >親の責任は重大です。一人の人間の運命を左右する一大事業を行うのですから、、、 もし、ここに拘り過ぎると誰一人子供を作ることができないのではないかと不安です。 でも、親になるすべての人が大きな責任を負わされていることは絶対分って欲しいと思います。 ↓ まるで私の頭の中の喋りたいことを代弁していただいたようなお言葉に感動しております。嬉しく幸せでとてもありがたいです。 機会があればまたご意見伺えたらと存じます。
- born1960
- ベストアンサー率27% (1223/4397)
NO3です。 質問者さんがこの世に生まれてきたのは、ご先祖さん誰一人欠けても成し得なかった奇跡です。 素晴らしいことと思いません? 確かにご先祖さんには自分が生き残るための殺人者がいたかもしれません。 が、しかし・・・我々の生命がこうしてあるということは、ご先祖さんの誰一人としてわが子を(もちろん我々の直系の先祖に限りますが)殺さなかったんです。 愛で慈しみ、大事に大事に育ててくれたんです。素晴らしい未来を信じてです。 私はこの世に生を受けた限り、次世代を設けるのが宿命だと信じています。 そこには何の理屈もありません。 長い長い人類の歴史の中で、日本に限定すればたかだかこの20~30年の事象で未来を儚むのは本当に自分勝手な話だと思います。 【この世に生命というものが誕生して以来、今を生きるすべての動植物は、すべて奇跡的な生命のバトンを渡されている。次のランナーに渡すのは当然であり、宿命である。そこには何の理屈も必要ない】 私の見解はこれで最後にしますね。 いろいろ考えてくれてありがとうございました。
お礼
まあたしかに、誰も我が子を「殺さなかった」ことは認めます。 しかし、我子を殺そうとしたのを他人が守った場合があるでしょう。でも慈しみと愛を感じます。それが人類ではないでしょうか。 我子を守り育てることなら人でなくてもできます。しかし我子を殺そうとするのが人で、他人の子を守ろうとするのが人です。自分の直系の子孫だけが残ればいいのならこの行いはなんなのでしょう。 我々人類ができることはなんなのでしょう。ただ次のランナーにバトンを渡すこと以上に素晴らしいことができるのでは、と思います。 こちらこそ、ご意見ありがとうございました。
- raki2533
- ベストアンサー率28% (60/207)
ご丁寧に質問にお答え頂きありがとうございます。 思った事を少しだけ書かせて頂きます。どこまでも個人的な意見とご理解下さい。 >子供を育む環境。 ↓ 環境によって、その子の世界観の基礎が構築されていくと考えます。どんな些細なことも環境に入ります。人との出逢いまでもです。例えば、どの国に住むか、都会で住むか田舎で住むか。どんな場所、どんな価値観の人と会う環境にいるか。もちろん家族も環境です。それを「育む環境」と言及します。 本当に生まれた環境自体ですでにそこに格差がを生まれてしまいますね。回りに美術館、博物館、図書館などがあるだけで 活用次第では大きな文化的な差を生んでしまいますね。 しかし、これを解決するには社会的、政治的問題として解決するしかないように思います。 解消するには、理想的な地域に引っ越すしかないように思います。 しかし、都会では得られない田舎だからこそ学べる環境もあると思います。 その置かれた環境を生かす事ができる親の知恵があればいいのかな、、とも思います。 >環境に対する親の知識 ↓ 私はここからが親に本当に必要なものだと思います。環境はなかなか思うようにいかないと考えるからです。 ここで私の言う知識とは、環境に対する正しい解釈がどれだけできるかということです。人間社会の成り立ち、仕組み、操作の仕方、環境のメリットやデメリット、自分が置かれている状況を根元の方まで把握することです。また、人やメディアの一方的な意見を鵜呑みにせず、取捨選択できる力も「知識」と価値観ととらえます。 まったく同感です。 実は子育てのブログをやっています。底辺に流れている考え方はまったく一致しています。「羅輝」の検索でトップをクリックで出ると思います。 親の責任は重大です。一人の人間の運命を左右する一大事業を行うのですから、、、 もし、ここに拘り過ぎると誰一人子供を作ることができないのではないかと不安です。 でも、親になるすべての人が大きな責任を負わされていることは絶対分って欲しいと思います。 >環境に対する親の補助 ↓ これは先に述べました知識を、環境と照らし合わせて子供に教えていくということです。(もちろん親が間違った価値観を選んでいたら大変なことです) これは世の中に対する価値観を間違った方向に行かせないためだと考えるからです。 間違った価値観を野放しにすることは、危険極まりなく、何よりその子の人生が不安に満ちたものになりかねないと考えるからです。 価値観自体が抽象的で、何が正しく、何が間違いか私は自信がありません。 ここに関しては、子どもたちが親の言う事に従うのは10歳前後までと考えます。 それ以降は本人の考え方、生き方を尊重すべきと考えます。(子供をコントロールするのはこの辺りが限界のように考えています) 10歳前後までに物事の考え方の基礎を作ってあげるべきと考えています。 もし、親の価値観を押し付けたら、単なる親の価値観がコピーされた子供になるのではないかと考えます。 親は常に子供の人格を尊重しながら子育てをして欲しいと思っています。 >貴方が親になる時これらの条件をクリアーする自信がありますか。 ↓ 私は子供を持つとしたら、これらを駆使したいと考えます。しかし、そのためには私自身が真に正しい知識と価値観を持ち合わせなければなりません。それは、子供を持たなくても必要なことだと思います。 今を生きる人々はお互いに知識と価値観を模索するべきです。最初に出会った情報を鵜呑みにしてしまうのではなく、懐疑的に探さなければならないと思います。 それが、未来へ繋げることの最低条件だと考えます。あくまで私の価値観ですが。 今の私は知識が足りません。価値観は見いだせたので、それに沿う知識をつけていくことをしています。 質問の答えですが、私が故意に親になるとしたらある程度自分に信用が持てたときだけです。 素晴らしい考え方だと思います。 親になると言うことはこの位慎重であるべきと思います。 本当に大変な作業になると思いますが頑張って頂きたいと思います。 >自分の親は3つの条件に照らし合わせてどうだったんでしょうか。 ↓ あくまで私の価値観と照らし合わせた結果ですが。 私の親は、森や山が好きだったので、よく連れて行ってくれ、環境という意味ではありがたいところもありました。 しかし、知識と補助についてはほぼ放棄されていました。社会の仕組みや成り立ちはほぼ何も知らないようでした。お金が回ってきて、日々が生活できればそれでいいというスタンスでしたので、子供が出会う物事に対する警戒を怠っているようでした。これについては私の知人の親もそうなのではないかと思えることが多々あります。 100%理想的な環境をすべての子供に与えるのは本当に難しいですね。 >生まれて来た事により貴方は不幸だった事と幸せだった事の比率はどの位でしたか。 ↓ 当時は幸せだと感じていたことも、価値観に応じて大きく変容します。よく、「幸せだったんならそれでいいじゃないか」と言われますが、それは人を傷つけても自分が幸せならいいじゃないかということにもなると感じます。実際そうだったことがあります。 幸と不幸を判断することは今の私の価値観では難しいです。ただし、間違った価値観から生まれた苦しいことはたくさんありました。 めてそれを言及したいと思い、こういう場で書かせていただいております。 幸せの基準線がないだけに幸、不幸を言うのは難しいですよね。 何か大きな問題に直面して、このようなテーマを投げ掛けたのかなーと思いました。 >何故このような事を考え始めたのでしょうか。良かったらお聞かせ願えますか。 ↓ 全て書く事は容易ではないので、一言で言わせていただきますと、 間違った価値観のせいで幾人も傷つけ、自分も苦しめたからです。 私も同じような人生でした(62歳)。 過ぎ去って自分の罪深さに反省することばかりです。 その僅かな罪ほろぼしに年間50回程度のボランティア活動をしています。 どうぞ、色々なことを深く学ばれ素晴らしいご家庭を作られる事を祈っています。
お礼
こちらこそ、私の意見を冷静に受け止めてくださったこと、賛同してくださる方がおられたこと、嬉しくありがたく思います。 >価値観自体が抽象的で、何が正しく、何が間違いか私は自信がありません。 ↓ ただ一つ、価値観について言及できるとしたら、「全てに優劣をつけない価値観」だと考えます。 言葉をお借りしてしまえば、全てにおいて「何が正しくも、間違いもない価値観」です。否定も肯定もしない。解釈を間違えると「人殺しをすることも間違いでない」とか言うことになりかねませんが、人殺しを「行う」ということは、それを肯定してことになることと同じというふうに考えます。 何かに良い悪いをつける価値観の人は、図らずも人を傷つけ、自分も傷つけます。 ただ一つ肯定が許されるのだとしたら、「否定も肯定もしない」ということです。これは誰も傷つけません。ただ、今の時代で行えば、それを知らない人々に悲しめられる可能性は十分にありますが、人と自分を傷つけたという悲しみからは開放されると考えます。 >ここに関しては、子どもたちが親の言う事に従うのは10歳前後までと考えます。 それ以降は本人の考え方、生き方を尊重すべきと考えます。(子供をコントロールするのはこの辺りが限界のように考えています) 10歳前後までに物事の考え方の基礎を作ってあげるべきと考えています。 ↓ たしかに。 毎回その子の環境を補助していたら、自分で基礎を情報と照らし合わせる、「考える」ということがおろそかになってしまいますからね。 >もし、親の価値観を押し付けたら、単なる親の価値観がコピーされた子供になるのではないかと考えます。 ↓ ただ、10代までに親がすべきことは、子供に自然に尊敬される親であることが大事だと考えます。信用を欠く行いをしない自分になることが親には必要です。そのためには何が起こっても冷静に対処できる価値観と知識が必要になってきますね、やはり。 >親は常に子供の人格を尊重しながら子育てをして欲しいと思っています。 ↓ そうですね。そして自分の人格を省みることも! >幸せの基準線がないだけに幸、不幸を言うのは難しいですよね。 何か大きな問題に直面して、このようなテーマを投げ掛けたのかなーと思いました。 ↓ 「生きる」ことに直面し、生き方をどう選択していこうかということに毎秒直面します。一秒一秒が私が選んだ価値観に基づいて習慣になってくれることを願います。こんなにポカスカ言葉を吐いていますが、まだまだ未熟で愚かな私です。何か失礼があったら申し訳ありません。 >私も同じような人生でした(62歳)。 過ぎ去って自分の罪深さに反省することばかりです。 その僅かな罪ほろぼしに年間50回程度のボランティア活動をしています。 どうぞ、色々なことを深く学ばれ素晴らしいご家庭を作られる事を祈っています。 ↓ 暖かいお言葉が本当にありがたく、厚くお礼申しあげます。家庭作るのかなあ。 興味本位ですが、どんなボランティアをされているのですか? 過ぎ去ってしまったとしても、気づくことが最大の罪滅ぼしだと思います。
補足
すいません。raki2533さんに客観的なご意見をいただきたいのですが、他の回答者様から「10代ですか?」とご意見をいただいてしまいました。私の文章の中で失礼な部分や未熟な部分ありましたら是非この場をお借りしてご指摘いただきたいのです。くだらないお願いかもしれませんが、お気に触りませんでしたら是非お願い致します。
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
>「なぜ私を産んだの?」 こういう質問をするときは 何か壁にぶち当たったり、理不尽に腹が立ったり そんなような何かしらのモヤモヤの蓄積がある タイミングではないかと思います。 それが自分なりの理想を描く きっかけになるのはままあることですが 足元のそもそもなぜそう思ったか、という 現実の自分の問題を そのまま受け止めて それの対策もあわせて考えると 理想との兼ね合いもまた違ってきたりするので 遠いところも近いところも見てみるといいのでは と思いました。 人類について考えるのも有益ですが あまりに自分の現実と離れすぎると 空の上の理論ばかりが固まって 足元に見えていたものまで見えなくなります。 >子供を育む環境、環境に対する親の知識、 環境に対する親の補助、 それら全てを把握して初めて 人は未来に子孫を繋げると言えると思うのです。 どんな生き方をするのかはその個人に委ねられています。 出発点は違っても どう生きるかはその人次第なのです。 条件が揃ったからといって皆が同じ生き方をするとは限りません。 他人の価値観に翻弄されるのも それはそれとしてあまり意識しないようにするのも その人の匙加減次第です。 そしてそんなにも他人(親)に要求するのは やはり満たされていたからなんじゃないかなと感じました。 どんなに条件が揃っても 自分の思い通りにならなかったら それもまた「○○が足りないから」となるんじゃないでしょうか。 すでに手に入っているものの価値は 新たに手に入れるものの価値よりも低く思いがちですが それを持たない人にとっては ものすごい価値のあることです。 想像力が欠如していたり、経験値が少ないと そのものの価値について軽視しがちです。 >どこに価値観をおけるかで その人の苦しみの度合いがガラリと変わるのです。 では 苦しみの度合いが少ない価値観に自分を置けば よいのではないでしょうか。 ご両親を含め他人の答えは 質問者様のものにはなりません。 御自身が子を持ち、子から同じ質問をされたときに 初めて、自分の答えが出てくるのではないかと思います。 現在のお考えだとこれから先 こどもの数は減っていき 様々な制度は崩壊して 当たり前なことが当たり前でなくなり 人間は淘汰されるでしょう。 地球にとっては それもいいかもしれませんね。 人間は地球からすれば新参者ですから いなくなってくれればそれだけで 改善することがたくさんあるでしょう。 私は 「他人にされて嫌なことは他人に対してしない」 「他人にされて嬉しかったことは他人に対してやってみる」 ように育児と自育ができればいいと思います。 そこを意識しているだけで 起こらないいざこざは多いからです。
お礼
私の思考の道筋に近い解釈をしてくださっていること、ありがたく思います。ただ、私が質問したいことと少しズレが生じているようです。 >「なぜ私を産んだの?」 こういう質問をするときは 何か壁にぶち当たったり、理不尽に腹が立ったり そんなような何かしらのモヤモヤの蓄積がある タイミングではないかと思います。 ↓ 私がこの質問をしたのは、私が大人数の残酷さと社会の不完全さを痛烈に感じたときでした。こんな世界なんてわかっていたら、例えいいことが起こりうるとしても、私はこの世の中に意識を持った人を産み出すことなんてできない。と必然的に思ったからです。 >それが自分なりの理想を描く きっかけになるのはままあることですが ↓ そもそもその前に理想は確定していて、その理想に「人をこの世に作り出す」という事柄を照らし合わせ考えた結果このようなことを言及するに至りました。 >人類について考えるのも有益ですが あまりに自分の現実と離れすぎると 空の上の理論ばかりが固まって 足元に見えていたものまで見えなくなります。 ↓ 現実の世界観がヴァーチャル過ぎて、人類という現実を見ないと本当の足元が見えない気がしたのです。 >どんな生き方をするのかはその個人に委ねられています。 出発点は違っても どう生きるかはその人次第なのです。 条件が揃ったからといって皆が同じ生き方をするとは限りません。 ↓ たしかに人の全てをコントロールするという理想は無謀ですね。 しかし統計的に考える人が増えてほしいなと思います。 >他人の価値観に翻弄されるのも それはそれとしてあまり意識しないようにするのも その人の匙加減次第です。 ↓ そしてその匙加減も環境で決まりますよね。匙加減=価値観として捉えます。 匙加減(価値観)を育めむことをなるべく親が補助するような常識が普及してほしいと願います。 >そしてそんなにも他人(親)に要求するのは やはり満たされていたからなんじゃないかなと感じました。 どんなに条件が揃っても 自分の思い通りにならなかったら それもまた「○○が足りないから」となるんじゃないでしょうか。 ↓ 私は親に要求したのではなく、どうして「人を産む」という行為に至ったのかを知りたくて試しに私の親に聞いてみただけです。質問分ではそれを例として引用させていただいたまでです。決して不満や不安の改善を他人(親)に求めることを肯定しようとしてこの質問をしたのではありません。 あくまで、人は人を生み出すことをもう少し考えるべきなのではと言いたいのです。 >すでに手に入っているものの価値は 新たに手に入れるものの価値よりも低く思いがちですが それを持たない人にとっては ものすごい価値のあることです。 想像力が欠如していたり、経験値が少ないと そのものの価値について軽視しがちです。 ↓ 仰られている内容についてはものすごく賛成ですが、回答者様は私が不満に溢れて世を批判していると捉えられているようです。私が言いたいのは上とで言ったこと同様で「人は存在させるということを考えるべき」ということについて意見を伺いたいのです。 考えなくても人類が続いていけば人殺しも許されるという矛盾したような意見もいただきましたが。 >では 苦しみの度合いが少ない価値観に自分を置けば よいのではないでしょうか。 ↓ もちろん賛成なのですが、それでは利己的な価値観になる恐れがあります。 質問ではそれを親がある程度理解して、子供を作るべきではなどと言いたいのです。 >ご両親を含め他人の答えは 質問者様のものにはなりません。 御自身が子を持ち、子から同じ質問をされたときに 初めて、自分の答えが出てくるのではないかと思います。 ↓ 何回も書いてしまいますが、決して「私を産んだ理由」が欲しいのではなく、 これから人類が人類を存在させ続けるためにすることは、産む前にたくさん準備することだと言及したいのです。 >現在のお考えだとこれから先 こどもの数は減っていき 様々な制度は崩壊して 当たり前なことが当たり前でなくなり 人間は淘汰されるでしょう。 ↓ 淘汰されることを完全に勧めようとしているのではありません 子供を産むのなら、それなりに勉強しましょうと言いたいのです。 >地球にとっては それもいいかもしれませんね。 人間は地球からすれば新参者ですから いなくなってくれればそれだけで 改善することがたくさんあるでしょう。 ↓ いい悪いを他の万物が判断できるのならそういうことなるでしょうね。 私は 「他人にされて嫌なことは他人に対してしない」 「他人にされて嬉しかったことは他人に対してやってみる」 ように育児と自育ができればいいと思います。 そこを意識しているだけで 起こらないいざこざは多いからです。 ↓ 素晴らしいお考えだと思います。他人」だけではなく、様々な環境に対する警戒と知識収集も怠らない世界であればなと考えますが、いかがでしょう。それがいろいろなことを介して自分にも帰ってくると思うのです。
- born1960
- ベストアンサー率27% (1223/4397)
NO3です。 もちろんそうですよ? 過去にどんな悪行をしてきてどんな人殺しをしてきて生き残ったかとしても、今の我々がいるのは祖先が生き残ったお陰ですよ?違います?そして生き残ってきたものは勝ち組なんです。 今生き残っているすべての生命は本当に精神的肉体的にも強く、それ以上に運も強かったのでしょう。 そして我々はその祖先から受けてきたものを次代につなぐために生まれてきました。 それが今を生きる我々の一番重要なことだと思います。 どうして未来の人々の運命を私達が自分勝手に決められます? どうしても子どもができないとか、事故で亡くなったなどというのは仕方がないと思います。しかし、この世に生を受けた限り、次世代に命のバトンを渡すのがその時その時を生きる者たちの一番重要なことだと思います。
お礼
うーん。では今を生きる我々も、どんなことをしてもいいから子孫を繋げばいいという考え方になってしまいますよ。 それでは学ぶ必要がなくなってしまい、悲しい歴史の繰り返しになってしまいます。 質問者様は「どうして未来の人々の運命を私達が自分勝手に決められます?」と仰られますが、存在させるということも十分運命を左右していませんか? それに仮に繋げることをしても、未来の人々が住む世界を私たちが決められるのですよ?教育、地球環境、経済、その他すべて私たち(現在の人類)の意識で左右できるのです。 もちろん災害はどうすることもできませんが。 でも、殺人や何をしても生命のバトンが渡ればいいというのは・・なんなんでしょう。 そんな世界が続くことが何にとって重要なのですか?何をしてでも生命のバトンが繋がればいいのなら、先ほど言われた「どうして未来の人々の運命を私達が自分勝手に決められます?」という未来の人々に対しての気遣いはなんなのですか? 私は生き残るために人々が争う世界で住むなんてものすごく嫌ですけど。。回答者様はそんな殺伐とした世界を用意されても生命を繋げてくれてありがとうと言えるのでしょうか。 >そして我々はその祖先から受けてきたものを次代につなぐために生まれてきました。 ↓ 誰がそんなことを決めたのでしょうか。
- born1960
- ベストアンサー率27% (1223/4397)
NO3です。 生き残ることが勝ち組の理由がわかりませんか? 我々の直系の祖先は誰一人こどもを残さずに亡くなってません。 もちろん人類という種になる前でも、それぞれの生死をかけた戦いに勝ってきたわけです。 人類となってからも命を賭けた戦いもあったでしょうが、全て勝利しています。 一番優れた者たちだけが現世に生命のバトンを継いできています。 また勝ち組であるからこそ、次世代にバトンを渡せるのです。 次世代のことを何も心配する必要はありません。 優れた私達の子孫です。必ずその次の世代にバトンを渡してくれます。 なので、こどもを設ける前に亡くなったり、こどもを設けなかったりした時点で負け組となり自然淘汰されるってことですね。地球上での生命誕生以来のその人の系統はそこでジエンドです。
お礼
度々回答ありがとうございます。 回答者様は生き残ることが「勝ち」ということを仰られているのですね? そしてその勝ちということに価値を感じていらっしゃるわけでしょうか? 過去にどんなプロセスがあろうと、生き残れば良いというような解釈でよろしいですか? 例えば、私の直系の祖先がどんなに社会に対して悪行をはたらき、自分のために人を陥れ、そのために人を生命誕生以来のジエンドにしたとしても、次世代にバトンを渡したからよしと? 私の解釈が間違っていたらすいません。そのようにしか読み取れませんでした。 私は生命のバトンよりも、生命がどうあれたかを重んじたいです
- nantamann
- ベストアンサー率30% (342/1138)
質問者さんは10代ですか。 >普段は軽蔑する「野生」を使うことは、未来の人類に対し無責任ではないでしょうか。 生物(人間も)はDNAという設計図に従ってできています。その設計図は自動的に働き赤ちゃんになり成長し生殖し子育てを行い老いて死にます。DNAに書いてあるとおりです。人間は社会生活し文明を築きましたがDNA的には野生動物です。野生に従って生きるのが当たり前です。野生に反して生きることはできません。人間もカエルも一緒です。 人間は他の動物と何が違うのでしょう。違いはありません。他の動物同様セックスしなければ子供は生まれません。なぜセックスするのでしょう。それは性ホルモンの支配(これもDNAのなせること)を受け適齢期になれば性衝動により男女は惹かれセックスします。質問者さんは恋をしたことがありますか。恋は理性を振り払い本能に従い世事のなにもかも忘れひたすら相手に恋い焦がれます。様々な文学作品を読めばわかります。セックスするときは野生動物です。理性でセックスしている文学作品は皆無でしょう。 >そういうことを世界中の人が把握して子供を産むべきです。 理性で子供を作るということはありません。人間の理性は浅はかなものでいつでもコロコロかわります。DNAは変わりません。しっかりした設計図なのです。 精子は常に新しいもの(初期化されDNAに傷が少ない)が作られますが、卵子は誕生した時のものが排卵により減ってきます。受胎適齢年齢は10代後半と言われ、受胎率が向上し障害者も少なく、年齢が上がる(卵子のDNAは放射能や化学物質の影響で傷が増え正常に働かないことも)と受胎率が下がたり不妊となったり、障害を持った赤ちゃんが生まれやすいのです。卵子は年齢とともに老化するためです。今このことが日本の大問題となっています。40歳で産めばいいと思っていた人はそんな話知らない、なぜ若いうちに教えておいてくれないのかと悲痛な声を上げています。 子供を作るには特に女性は限られた年齢しかないのです。 >人を産み出すってそんなに素晴らしいことですか 例外もいますが人の親になれば人生が違って見えます。オトナになったという。
お礼
いいえ、10代ではありません。 セックスも恋も経験済みです。恋焦がれいろいろなことに盲目的になった結果を経験し、その上での発言だと捉えていただければもう少しちがった回答をいただけるのでしょうか。 >例外もいますが人の親になれば人生が違って見えます。オトナになったという。 ↓ 人の親になることがオトナになることなのですか? オトナとは、本能のままに恋焦がれセックスし子供を産み出し、たとえ環境や環境に対する知識が浅はかでも、大人なのでしょうか。 理性はコロコロと変わってしまうということを「しょうがない」とすべきではなく、努力して保とうとしようと考えることから初めて始まり、また、大事なのではないでしょうか。
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お礼
おおおお。回答ありがとうございます。 とても新鮮かつ、ものすごいヒントになります。一石二鳥達成ですよ。どうしてそんなふうに物事を捉えられるようになったんですか。私は日々の暮らしの中で集団意識に抵抗することで精一杯です。これが自己防衛に走りすぎているってことなんでしょうね。ものすごい生きにくさです。回答者様に私の環境についてアドバイスいただきたいです。お暇があればよろしくお願い致します。 私の周りの人間はなんか知らないけどファッション、芸能人、モデル、いわゆる容姿にどっぷり浸かっちゃってる人が多いんです。かっこよくないと、可愛くないと、綺麗じゃないと表立って生きていけないみたいな価値観の人が本っっ当に多いんです。ものすごい量の服、化粧品etcに金を費やすんです。同じ服を着ていると本気でけなされます。笑 一人ならまだしも集団でこられると本当にキツイです。 私は当初は全く興味がなかったんですけど、そういう価値観で見比べられるうちに段々気にしちゃってる自分に気づいたりして、最近周囲に対してバリアを張っていないと自分が集団意識に洗脳されてしまう気がしました。それがこの質問に繋がったのもあるかもしれません。こういうときどうすればいいですかね。くだらないことはわかってるんですけど、あまりにも長い時間そういう精神状態でいたので、・・・キツイんです。友達っちゃ友達・・・なのかなあ。。 そうじゃない人が世の中にいるってことはわかっているんですけど、なかなか出会えない。私がもっと積極的にそうじゃない場所に出て行けばいいのかもしれない。ただ今は、誰かにそんな価値観必要ないよって言ってほしいんです。後ろ盾がほしいせいでこんなんこと言っちゃってます。 ちょっと何か勇気くれませんか。自分がなんでこんなフワフワしたところにいるのか、脱せない心苦しさに押しつぶされそうです。 すいません。なんか全く関係ないこと書いちゃって。でも一番稚拙で恥ずかしいこの、心のわだかまりを回答者様のような方に否定していただきたくなってしまいました。お気に触らなければ是非何かしらお言葉をいただきたいです。わがままです。 >伝えたいことを伝わるように考えるのが好きだからです。 だから「困っている人にアドバイスしたい」という親切心も ないわけではないですが主に脳トレのような感じです。 ↓ 実は私も当初は言葉のやり取りなんて軽視していたんですけど、やっているうちに感情のコントロールの難しさや、少しでもいい加減な言葉を使うと伝わらないことに気づいて、自分の脳みそとの戦いを毎回楽しみにしています。 「脳トレ」という表現に感動しています。このせいでネットをする時間が増えてしまいました。 見ず知らずの人と思い切り正直な気持ちで話せるというのも魅力の一つです。 頭が破裂するんじゃないかってくらい考えてこの文章レベルですよ。伝えたいこともなかなか伝わらないし・・・。 私の言いたいことを見事に汲み取ってくださった回答者様に感謝です。 すごいですね。友だちに回答者様みたいな方がいらっしゃったらと思いますもん。 >私は必要以上に自分のスピリチュアリティを強調する人は 「特別視してもらいたいが為の詭弁」と思っているので ↓ あははは!私ちょっとそういうところあるかもしれないです。気づいたら自分を肯定しようとする言葉ばかりで吐きそう。。そういうところあったら是非指摘してください。反省します。 でも質問の、親になるみなさんはもう少し人としてちゃんとしてくれないかなーと思ったのは本音ですよ。そういうふうに思う人がどれだけいるのかなっていう気持ちで投稿したんです。 全てではないにしろ、人生の20%くらいは親が占めるんじゃないかと。DNAなんてたまったもんじゃないですよ。脳の神経にだってどんな影響があるかわからない。まあたしかにこんなこと気にしてたら人口の減少ですよね。でもみんなにもう少し学ぼうって意識が芽生えたらもっと幸せな世界になるんじゃないかなあと思います。私これから大学入るんで、機会があればこういうこと提唱できたらなとおもいます。 お恥ずかしい話ですが、心と頭は10代ですから! >さらに、それを教える先生の間にも派閥があります。 「人はみんな違って、みんないい」的な教義を掲げているのに それに携わっている人はそうではない行動をしているのです。 ↓ 気持ち悪いです。やだなあーー >苦悩は肥やしになります。 満たされた生活とか精神状態からよりも 何かを希求するような 乾いたスポンジ状態のほうが色んなものに意識が行くし モヤモヤした感情を作品として昇華させることができます。 ↓ 作品として「昇華」させるということによって、どういう心の変化または、周りの反響があると思いますか?その他にもどういう現象が起こると思いますか?またメリットデメリットみたいな意識がおありでしたらお聞かせください! 回答本当にありがとうございます。30代でこんなに・・すごいですね。 こういう機会に巡り会えたこと、本当にありがたく思います。 いろいろ今のうちに聞きたいことガーって書いちゃったんですけど、ご迷惑でしたらスルーしてください。 いやあ、でも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。こんな方もいるんだなあと、感動させていただきました。私も他人を変えようとする前に、他人に見せられる自分でいようと思います。ありがとうございました!