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アルケーを思ふ詩

  アルケーは近きにありて、遠きにあるもの そして永遠なるもの、深遠なるもの よしや たとえ全知全能なるアルケーであろーとも 決して願い祈ってはならぬもの ひとり海辺の星空に アルケー求めて思い描くもの その心もて アルケーと共に歩みたし アルケーと共に生きたし あ~、アルケー あ~、 (ご感想を下さい)  

みんなの回答

回答No.2

アルケーは、言葉を替えて言うならば「仏」です。もっと言うならば「自分自身の命の働きです。この働きは「自分が無意識の時の主人公です。」 人間は意識している自分『自我意識』でいる時に、自分を認識しますが、無意識の自分でいる時には、自分を忘れた状態になっています。 心は『意識する心』=自我意識と、『意識していない時の心』と、二つの心が交替しながら成り立っています。その意識が発生する現場が動画に乗っています。 仏性とは右脳の意識と云う事が判るはずです。右脳は誰でも持って生まれているからです。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM 誰もが持っていながら、誰もがその姿は見る事が出来ません。不可知の存在ですが、『意識の根底で』『心が未だ未分化の場で』二つの意識は出合う刹那が在ります。それを『悟る』と形容しています。 心的体験です。その後には『神の僕となります』何故なら『神と和解するからです』 神も仏も同じものです、それは命の働きと言う言い方でも、右脳の意識と言う言い方でも同じです。人間の頭の半分は『宗教や永遠で』出来ています。ですが不可知です。それが分かる時『自分自身が分かる事』を意味します。

hitonomichi5
質問者

お礼

  脳ミソが右と左に2つある理由、 それは目ん玉が右と左に2つあるから、 それは耳が右と左に2つあるから、 それは手が右と左に2つあるから、 それは足が右と左に2つあるから、 であります。  

noname#147127
noname#147127
回答No.1

《感想》 しょーもない 《疑問》 最後の「あ~、」だけど、「、」で終わるのはなぜ?