今更ですが「加藤の乱」について
今から9年前に、加藤紘一議員が当時森内閣の支持率低下、不祥事に対して当時の加藤派と山崎派が倒閣に動き世論をも巻き込んだまでは良かったのですが、結局は党内の引き締めに会い、乱が失敗し、自派閥の分裂を招いたばかりか、その後自らも非主流派に失脚してしまった、いわゆる「加藤の乱」がありましたが、この乱について今更ながら幾つか質問します。
(1)乱が成功していれば、今の政治状況(小泉→安倍→福田→麻生→下野)に至らなかったでしょうか?
(2)当時加藤議員が乱を起こしていなければ、いればいずれ自民党総裁総裁(と同時に総理大臣)になっていたでしょうか?
(3)当時乱を起こすにあたって民主党との連携も示唆していたと思うのですが、乱失敗後に自民党にとどまったのはなぜでしょうか?
(4)乱失敗後加藤派は分裂し加藤議員自身は非主流派になりましたが、反面、山崎派議員は内閣の中枢に位置したりしましたが、なぜ違いが出てしまったのでしょうか?
(5)大物議員が落選したり、比例復活する現状で、選挙区で当選し、なおかつこの約10年主流派と距離を置いていた加藤議員が次期総裁選に立候補する可能性はあるでしょうか?
(6)もし立候補した場合勝算はあるでしょうか?