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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:プライドが高い、とはどのような言動から、、、)

プライドが高い人の特徴とは?

このQ&Aのポイント
  • プライドが高い人の特徴や行動について解説します。
  • プライドが高い人は自己中心的な行動や自慢話をすることがあります。
  • 他人の意見を受け入れず、自分の考えに固執する傾向があります。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#202167
noname#202167
回答No.6

回答No5の者です。 再び失礼します。 >何かを改善したり、自分たちの組織をよいほうへ向かわせたいなら >具体的問題点を洗い出して、具体的問題点を突いていく必要 >があると思います。 そうなのですよね。 ただ難しいのは 労働者から見たら明らかに会社の効率を下げている内容も、 会社経営の立場から見るとその姿が組織を維持するのに 一番効率的である場合もあるのですよね。 組織は人でできており、舵取りには常にリスクが付きまとい トップが多少間違っていようとその指示を信用し全力を出す。 個人としての人の出来より、トップとの信頼関係ができる人材 そして人間として問題があろうと非凡な才能の有る人材 そうした人で固めていく必要が有るが故に、 労働者から見た効率性が実は非効率 という結果になり、 正論が通用しない。無視される。 という事も有るのですよね。 組織が大きくなればなるほど、 他の組織との縁、義、法の抜け目と会社運営資金のやり繰り。 競合他社との生き残りの為に非情な決断も迫られ、 経営判断を誤まると労働者の生活を守る立場としても追い込まれ。 働く立場によって見える物が大きく変わる為、 選択肢が少ない状況に追い込まれる人ほど、 「プライドが高い」と言われる言動をし、 その言わんとする現実を理解して貰えない事が有るでしょうね。 >言われる側は何らかの問題があるにしても、言う側は >ただ気に食わないものへストレス発散をしているだけのようにも >思われます。 結局、組織も社会も経済も、全て人で出来て動いているが故に その現実にとって都合の良い人材で組織を固めなければ 組織運営の能率が下がるジレンマが有る為に、 上の人間は下の人間は組織の現実が何も解ってないと侮辱し易く 下の人間は上の人間が非効率に見えて改善を求める という平行線が起き易いように思えます。 上の人間は常に社員の為、社員の家族の生活の為と 物凄い心労と責任を抱え、できる行動が限られ、 部下の失敗も全て自分の責任になる為、 常に下の人間が怠けたりミスが会社の赤字にならないか 肝を冷やす為に、 プライドが高く人をバカにし、ストレス発散をしている 様に見える事も避けられない程の心労が有ったりもします。 無事出世して、その人と同じ役職になると、 結局その人も立場上、全く同じ言動をせざるをえなくなり、 やっとそこでプライドがどうではなく そうしなければ組織は維持できないという現実を痛感する。 という事も有りますね。 危機感や責任感が強い人ほど、 気楽に働き時にサボってへらへら働く人を見る度に、 嫌悪感や組織の敵という認識を募らせ、 その人を徹底的に叩き直そうとする一面もあります。 立場が入れ替わると見え方が変わるかもしれません。 組織と社会をしっかり見つめ直すと プライドという言葉はただの社会の現実に置き換わり、 必要に迫られて人格に根付いてしまうものなのだ と割り切れる場合もあるかもしれません。 ・・・組織を辞めてもその人格が根付いてしまって苦労する そんな人も多数存在します。 特に家庭不和を起こし悲しい人生を辿る人も多々居ます。 それを耐えて組織に尽くしたからこそ許せない行動 が プライドと言われてしまう事もあります。 こちらも悲しい現実です。 わかり易く纏めて伝える事ができずすみません。 何かを捉える一欠けらにでもなれば幸いです。

peace_noa
質問者

お礼

よく分かりました。 大きな組織の上のほうの苦労と言うか、私には恐らく遠いところの世界ですが、 上の人には上の人の苦労があるのがよく分かります。 ありがとうございました。

その他の回答 (5)

noname#202167
noname#202167
回答No.5

個人的な見解に過ぎませんが、 人のジレンマでしょうか。 生物は本来楽して楽しく生きたい生き物ですが、 社会のあらゆる恩恵を受けるには、 社会で無能であっては苦しい立場にさらされます。 楽をしたい(甘え)しかし社会に排除されたくない。 役立たずでは仕事ができず生きて行けない為、 甘えに抗い、甘えを廃して何かを頑張ろうとする。 その「自分が我慢していた甘え」を他人がやっていると 「何甘えてんだ」「考えが甘い」 と相手を否定したい感情が生まれてしまい、 それが「プライドが高い」と評価される。 これが基本であると思われます。 ただし成長が半端な人だとただの僻みと思われ終わりますが。 時には自発的に甘えを廃した訳ではなく、 親などの価値観の押し付けで、 甘えを許されなかった場合も有るでしょう。 良い家柄の人がプライドが高くなる構図に 親の自尊心(世間体)に子供を合わせさせる為に 無理矢理子供の甘えを叩きつぶし、 子供はそのストレスの反動で、他人を蔑み侮辱する傾向が有ります。 しかし本人がそうでありながら、 自分が劣っている面や自分の至らない点を指摘されると 充足(心の支え)のない無理がたたって、すぐに心の余裕を失い、 相手を「アイツはプライドが高い。自惚れている。」と 同族嫌悪的な状態に至る場合もあります。 しかし親など周囲の親しい者が、 客観性を尊重する思想を教えていれば 子供は自分の至らなさを早くに自覚し、 他者を蔑む事を嫌ったり恥じて、 甘えている人とも上手く付き合う方法を模索し、 それなりの性格に落ち着きます。 しかし、甘えた上に 責任転嫁が激しく、自己努力が無い人との関わりが 会社や職場などで免れない状態になると、 繕った部分が崩れて、 過去の甘えを廃した時の苦しみの反動が露出し 周囲にプライドが高いと言われる事が 頻発してしまうかもしれません。 また、そういう甘えの超越によるプライド以外に 知識によるプライドも起こり得ると思えます。 たった1つの事を知らないばかりに 不利益をこうむる判断をしてしまう事があり、 それに飽きれて相手の無知を指摘する事で、 相手はその人をプライドが高いと言う事が有ります。 特に核家族と地域社会の希薄化で 生きる上で当たり前に知るべき知識すら知らない人が 増加していますから、 とんでもない事を知らず指摘され 相手がプライドが高いと口にしてしまう人も居ます。 個人レベルの問題ならば強く指摘はしないでしょうが、 仕事や責任が降りかかる事となると 黙っている訳にもいかず、 貧乏くじを引くような形になってしまう場合が有ります。 また、悪い言い方をすると 学生のバイトが多い場合、甘えている上に無知が多く、 その管理者は業務に支障が出ない最低限の事をするだけで プライドが高い プライドが高いと言われる。 そういう場合もあります。新入社員、新卒の方にも多いでしょう。 個人的に、これらは言われている方が可哀想だと思います。 プライドがどうと言ってる側に問題が有る場合もあり、 高圧的に言い過ぎている側に問題が有る場合もあり、 どっちもどっちと言える場合もあり でしょう。 何にしても、 未熟なコミュニケーション力が 否定的な意味での「プライド」と言わせがちです。 人間というものを理解し、自分の根本の甘えを理解し、 適切なプロセスで相手に変化を求める そうした知識の上のコミュニケーション力が有れば、 人がぐんぐん成長できる良い上司 に成りえ、 否定的な意味でのプライド と言われる事は減るでしょう。 地域社会の希薄化と核家族化が進み、 社会の荒波にもまれ自分を客観視し心を成長させる そうした機会を奪われ、 高度化した娯楽に現実逃避できる現代では、 社会のコミュニケーション力の低下は免れません。 孤独と長時間労働、労働時間の多様化が その悪循環の根源にあります。 しかしこれも1つの社会の進歩の1プロセスに過ぎず、 社会は退行は選ぼうとはしないでしょう。 社会と教育を整備しなければ これから悪くなる事は有っても、良くなる事は無さそうに 私は思えてしまいます。 日本人が失った心 とはここの事も指すのだろうか? と時々思ったりもしますね。

peace_noa
質問者

お礼

ありがとうございます。 深い洞察だなと思いましたが、やはり、文章の表現が難しく、スッと入ってこない結果となりました。 しかし、 >プライドがどうと言ってる側に問題が有る場合もあり、 >高圧的に言い過ぎている側に問題が有る場合もあり、 >どっちもどっちと言える場合もあり でしょう。 この様な見方にはとても納得できるものがあります。 みんな、無責任に「プライドが高い、プライドが高い」といっているような傾向が、、。 問題があるのは「プライドが高い」と言われている方より、 言っている自分の本当の心と先に向き合うことかもしれないと思いました。 ことが何であれ、「プライドが高い」とは、ただの誹謗中傷の類であり、 (あたかもプライドが高い相手には遠慮なく言ってよい誹謗中傷の言葉のようにも感じてきますが、、。) 何かを改善したり、自分たちの組織をよいほうへ向かわせたいなら 具体的問題点を洗い出して、具体的問題点を突いていく必要があると思います。 言われる側は何らかの問題があるにしても、言う側はただ気に食わないものへストレス発散をしているだけのようにも思われます。

  • bara2001
  • ベストアンサー率30% (647/2111)
回答No.4

「プライドが高い」というのは本来は「誇り高い」「自尊心がある」ということです。 ただ言葉の意味は長い間使われることで、プラスの意味とマイナスの意味に分かれて、どっちかが常用されるようになったりします。 今は日常的には「我が強くて、他人の意見を聞く耳をもたない」という意味で使われることが多いようですね。 だから私も普段はその意味で使います。 「見識が高く責任感が強い」ことこそを「プライドが高い」というべきですが、本来の使い方で聞くことはほとんどありません。 もともと余計な争いは避けるので折れるところは折れます。でも、皆のためになると知っていれば、一時的な反対を押し切ってでも成し遂げるのが「プライドの高い」人です。正しい意味でのノブレス・オブリージュの発露です。 中身を見ずに形だけみれば「我が強くて、他人の意見を聞く耳をもたない」と似ていますが、本物は普段は他人の言うことをよく聞きます。

peace_noa
質問者

お礼

こちらは本来の意味での「プライドが高い」の説明ですね。 ありがとうございます。 これまでの4つのご回答と、 それにつけた補則に対して、bara2001さんはどのように考えられますか? よかったら教えてください。

  • yuukineko
  • ベストアンサー率22% (190/861)
回答No.3

私は、実践で他者にプライドが云々は言いません。 述べても、何の得にも為らない事を熟知して居ます。 極めて曖昧な発言で、具体的に私的な感情を暈して周囲に 結果としての嫌味を気楽に述べられる様に工夫された 厄介な言葉と考えます。 根幹を成す何らかの生き様が世に広く伝わって 実践で活用されてる物事でないと不味い事に為る。 仮に、自身が受け手だとすれば話し手がどの様な存在で 誰と横のつながりが有るのか? その発言に対する此方の返答を試されて居るのか? 自身を味方に引き込みたいのか? 単なる、個人的な感情を宥める為に述べる即消費的な 会話なのかどうか。 それを、述べられる場所 これらを、吟味します。 日和見は、危険と言う事だけ抑えれば良いかと思います。 そういう気構えと同時に、品行とか気品生きる人としての 何かのこだわりは、様々な何かのマイナスに為り過ぎ無い限り 許容で容認と言った考えも持ちます。 プライドは、「毒」にも「薬」にも為る代物。 用法を、間違えなければきっと良い事です。 AさんBさん・C~Zさん A1~Z1さんと言う風に、様々な事象の一つと思えば その件に関して、達観して居られそうです。 多くを立てれば、八方美人と揶揄され非難の対象者に陥る。 味方が敵に、別の敵対が此方を対象に中立が此方を敵対に 精々注意する事です。 人付き合いは、困難が一杯ですが大きな目線と小さな目線の 兼ね合いで、バランス良く判断して行くしか有りませんね。

peace_noa
質問者

補足

ありがとうございます。 何か、重要なメッセージが込められているようにも思えますが、 もう少し噛み砕いて教えていただけないでしょうか?

noname#152554
noname#152554
回答No.2

>一般的にマイナス的に使われるプライドについて ↑ その昔、「医者」という「プライド高い方々」が多くいた職場で働いた経験が有ります。 ある「ドクター」のケースですが。 そのドクター(A先生)は、T大の医学部を出た、言ってみれば「エリート」。 「医局」の中には、T大ばかりじゃ無い。 他の大学の医学部を出た医師だって何人もいます。 その先生方の言葉。 B先生「A先生は、T大卒のドクターとしか世間話をしないから・・・」 C先生「A先生は、T大医学部だから、仕事以外じゃ僕たちと口利いてくれない」 D先生「A先生が仲良くするのは、T大卒の医者だけだよ」 ましてや、私たちみたいな「医局」じゃない人間に対しては、 「おい、検査課」 「おい、レントゲン(放射線課)」 「おい、ナース(看護婦)」 と言った具合に、個人名で呼ぶ事すらしないドクターでした。 本当にいるんですよ、こうゆう人間。 もう、30年以上も前に勤めてた職場だから、別にバラしても問題無いと思いまして・・・。

peace_noa
質問者

補足

具体例、ありがとうございます。 syu1958さんがせっかく昔の嫌な記憶からの具体例を挙げ、質問に答えてくださったのに、 下のような補足をつけたこと、申し訳ありません。 しかし、質問の内容にもう一歩深く知りたいため、お許しください。 絵に描いたようなお医者さんですね。 この様な具体例を出されると、 「ああ、こういう人がプライド高いって言われるよね~」と納得できます。 ただ、質問にも書いていたように、少し疑問にも思うのです。 接しているものが、同じT大の先生(仮にZ先生)だったらどうなるだろうか、、と。 前半の具体例に対しては、 「プライドが高い」と言われているT大の先生に接しているZ先生からは、 なかなか見えづらい特徴になるかもしれません。 もしくは、「あいつ、ほんと交友関係の狭い奴だよな~。」的な印象が強くなるかもしれません。 そうしたとき、果たして「あいつプライド高いよな~。」と思うでしょうか? そういう意味で、「プライドが高い」という表現は、受けて側にも由来する特徴となるのではないかと少し前から、頭のどこかで感じていました。 そして、後半の具体例ですが、 これもZ先生がみている側であれば、 一例ですが、「なんだこいつ、自分が先生だからって他の職種の人にやけに偉そうだな~。気が小さくて怖がりだから、職種を盾にできる相手には、こんなに偉そうに強がっているのか?医者以外の人間を使ってストレス発散の相手にしているのか?」 みたいにもなりそうです。 後半の具体例であれば、受けて側が違っても、こうやって同じような感想が出てきてもおかしくなくなります。 「あの人はプライドが高い」と言われる人たちは確かにいて、 そう言われるのはその人たちに何らかの問題があるのだとは思いますが、 いつもとは限りませんが、視点を変えれば、時に、受けて側が相手の特徴を細かくとらえず、 ステレオタイプな悪評を下しているようにも見えるのです。

  • hicha0406
  • ベストアンサー率27% (116/421)
回答No.1

プライドは、ある年齢までいけば誰しも高いです。 でも揶揄の意味で他人から言われる人、という意味で言えば、 周囲の言葉に耳を貸さない、頑固で自分を曲げようとはしない、自分が変えられそうな展開を明確に嫌う、 自分の悪いところを認めない、改善しようとしない、 …というあたりでしょうか。 こちらがプライドを傷つけられたから相手のプライドを高く感じる、という推論はあまりピンときませんね…。 ただし、プライドが高い人に限って、自分は周囲に心を開き、耳を傾け、配慮のある人間だ、それなりに欠点はあるかもしれないが、もっと問題ありなヤツはたくさんいる、 …などと思っているものなので、 自覚症状はあまりないでしょうね。

peace_noa
質問者

補足

>周囲の言葉に耳を貸さない、頑固で自分を曲げようとはしない、自分が変えられそうな展開を明確に嫌う、 自分の悪いところを認めない、改善しようとしない、 確かにテレビで「プライドが高い」と、例に挙げられるような人は そのような特徴がありそうですね。 そうすると、なぜそのような特徴を持つものを「プライドが高い人」と、人は言うようになったのでしょうか?(←自分自身への質問の投げかけです。) 例えば、「頑固者」で済んだ表現かもしれません。 もともとのプライドと随分意味合いがずれているようにも思えます。 また、プライドが高いかどうかの範疇から外れた表現まで一緒にして 「あの人はプライドが高い。」と表現しているようにも思えてなりません。 その辺り、みなさんどうでしょうか? >ただし、プライドが高い人に限って、自分は周囲に心を開き、耳を傾け、配慮のある人間だ、それなりに欠点はあるかもしれないが、もっと問題ありなヤツはたくさんいる、…などと思っているものなので、自覚症状はあまりないでしょうね。 確かに、そんなイメージはあります。 これも考えてみたのですが、 そのような表現が当てはまる人というのは、実際の本人の特徴と、本人が自覚している特長が、周囲の人よりかなり違っている人とも言えそうです。 「自分のことが分かっていない人」もしくは、「本来の自分を認めようとしない人」 と言った表現が当てはまりそうです。 まとめて言えば、「頑固者で本来の自分を認めようとしない人、自分のことが分かっていない人。」みたいな。 単に、簡単な表現が「プライド高い」であったためにそのような表現になったのでしょうか、、。 そうすると、その表現の由来から考えていかないと、よく知ることが出来なくなります。 調べてみようと思いますが、 これをみられた方々の意見も聞いてみたいです。

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