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宗教の違う者同士で仲良くなれますか?
哲学コーナーに質問しようと思ったのですが、社会学的な見地から実現可能か知りたく、こちらに投稿させていただきました。 よろしくお願い致します。 今ある、多国籍国家の共生社会を見ていると、相手を理解するというよりも、お互いに不干渉を心がけているだけのように感じます。 例えば、キリスト教・イスラム教・仏教などを心から信仰している者同士で相手を理解しながら、結婚や家族、親友など本当の意味で親しい間柄になれるものでしょうか? なお、私自身は、今の科学が最も自然の摂理を上手に説明していると信じていますのでこれを宗教の一種と考えています。また、各国の若者と話す時も、科学を基本にしている人が多く宗教が大きな対立になったこともない(話した数が少ないのでサンプリングとしては不適当)のですが、それはある意味で、科学という共通の宗教を信じているからだと思っています。 逆に、共通ではない宗教(or敵対する宗教?)を信じている者同士でお互いの宗教も含めて理解し合い親しい間柄になれるのでしょうか?
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非常に興味深いご質問なので、参加(回答でありません)させてください。 私はお互いに理解ができる時が来ると思います。 信仰心を持つことができると「人」と理解した時に、尊重や信頼が生まれ、お互いに向き合うことができるのではないでしょうか? その根底には、礼節、教養、が流れているからだと思うのです。 少し気になる点。#1さんに対するお礼に、「浅く信じている場合やそれを内包するような宗派の場合、それでも大丈夫だと思いますが」のくだりは、#1さんの信仰心を浅いと言っているように感じられ、礼を欠いたことになり、これでは、お互いを理解することはできないでしょうね。 また、最後に、「深く特定の宗教を信じている場合、日常生活と宗教は切っても切れないことだと思いますがいかがなものでしょうか」これもご自分の説に対する誘導に感じられます。 極論で語ってしまえばきりがなくなります。 例えば、オウムも宗教団体です。受け入れることができるかどうか?という問いも可能になってしまいます。
仏教・キリスト教・イスラム教・ヒンズー教・・・・。どれもこれも崇拝しているものは同じであるのに、色々な考え方の見地から、仏教で言えば「密教」「禅宗」「日蓮宗」等に分かれています。他の宗教も例外ではありません。そこから派生して「オウム真理教」「エホバの証人」「イエスの箱舟」「宗教真光」「創価学会」「統一教会」等の新興宗教が生まれています。日本という小さなスパンで考えた場合、仏教徒はよくこういった宗教の勧誘を断ります。断るという事は、自分が或いは家族が信仰している仏教宗派があるからと言うのが根底理由なんでしょうが、つまるところは単に「嫌なだけ」です。「うっとおしい」だけです。周りから見たら異様に写る光景ですね、新興宗教は。普通の仏教徒は葬式・法要・お盆・命日・お彼岸等の仏教行事でも無い限り、余り仏様に対して手を合わせる機会ってあまり無いと思うんですよ。しかし、さっき書いた様な新興宗教は違います。四六時中、教義で頭が一杯です。まぁ洗脳されているんでしょうね。そうゆうものを信仰する人々は周囲の理解がなかなか得られません。異様に写ります。でも本人達はそれが当たり前だと信じている。 私が思うに「仏教」「キリスト教」「イスラム教」「ヒンズー教」という大きなスパンの中では違う宗教同士でも仲良くなれると考えます。しかしこれらの人々と、崇拝するものは同じだけれども新興された宗教団体の人間関係はなかなか上手くいかないと思いますね。ものの考え方が根本的に違うからだと思います。
お礼
回答いただきありがとうございます。 >仏教・キリスト教・イスラム教・ヒンズー教・・・・。どれもこれも崇拝しているものは同じであるのに、 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教については同じだと思いますが、全てというのは事実誤認ではないでしょうか? 個人的には、最終的には全て科学になると思っていますけどね・・・実際、若い人の科学への改宗?は目を見張るものがあります。
- Shin1994
- ベストアンサー率22% (551/2493)
他教徒同士が仲良くできるか? >出来ますよ。それが出来ている国こそ、日本国です。 日本には国教がありません。憲法の定めにより、人が何を信ずるかは自由であるとされています。また、どの宗教も優遇されず、国家の宗教活動は禁止。 国内で宗教対立は無く、キリスト教徒とイスラム教徒が仲良く暮らしてます。他にも、様々な宗教がひしめき合っています。にも関わらず、互いを尊重し共存しています。 宗教の面でいえば、日本は世界一調和の取れた素晴らしい国ですよ。
お礼
回答いただきありがとうございます。 共存と言うよりも、不干渉のように思う得るのですがいかがでしょうかね? また、お互いの宗教や教義を照らし合わせながら討論した場合、折り合いなどつくものでしょうか? 事件が無く暮らすというレベルではなく、特に、宗教についてお互いが矛盾無くどこまで理解し合えて暮らせるかと言うことが気になっています。
- 6750-sa
- ベストアンサー率26% (438/1656)
どこの宗教か、どの程度信仰が強いか(のめり込んでいるか)によりますが、根本的な意識の違いが存在し、妥協を許さないのが宗教です、絶対にゆずれない部分で関わり合いを避け切れることが可能ならば親しい関係もあり得ますが、心の底にはお互い油断できない領域が残るはずです。 >科学という共通の宗教 この考え方には同意します、しかし、科学の世界にも派閥があって、そういう部分では対立して内心では排他的な思考が支配的なのだと思います。
お礼
回答いただきありがとうございます。 私も、そのような考えに近いのですが、お互い深いところでも不干渉ではなく、共存できるという話もありこの質問をさせていただいたというのがあります。 科学について、対立や内心で排他的であったとしても、証明されれ信じざるを得ませんのでその点、感情的な葛藤はあっても(仕方なく)理解しあえるのでは無いかと思っています。
- dogday
- ベストアンサー率29% (2313/7949)
ロンドンで、ムスリムとカソリック神父と日本人二人でルームシェアしてましたけど、親しかったですよ。宗教の話もしてましたし。 ただ、聞いていると、原理的な教義の宗教は、他の宗教を否定する自尊心で成り立っているので難しいみたいです。プロテスタントとか。 あと、異教徒でも家族にはなれますが、葬式で困ります。 信仰する当人が死んでいますので、相談先がわからないし、喪主に常識がないので。 親戚で、親と縁を切っていて、仏式じゃなく、神道でやって欲しいと事伝して死んだ人がいて、氏子神社すら知らない家族は相当困っていました。 私も神葬祭は、その一回きりです。死ぬと神様になるので、紅白幕のお祭りなんですよ。
お礼
回答いただきありがとうございます。 質問では、宗教と一括りにしましたが、宗派によっても異なりそうですね。 ただ、その場合、原理主義と今の教えの間に強い矛盾を感じないのでしょうか? 私自身は科学を信仰と行っても良いくらいに信じているのですが、違いがあると追求しないと気が済まなくなる時があります。勿論、未解決や矛盾があることが分かれば、それはそれでよいのですが、とりあえず、矛盾については気になって仕方がありません。 また、親しかったとのことですが、そのシェアメイト(神父も含めて)がどの程度宗教を信じているのかが気になるところです。知り合いに僧侶がいたのですが、本気で信じているとは思えない行動をしていましたし、その宗教の指導者でも、仕事でやっているのか、宗教心からやっているのか、教義を自分流に曲げているのか?などには興味があったりします。 また、葬祭について、確かに切実なところがありますね・・・
- sirocop
- ベストアンサー率42% (168/399)
相手が盲信的に信じている場合、かなり難しいと思います。 日本人の場合、多くの人は宗教といっても適当にしか信じていないし、ある意味形だけの 場合もあります。 それは「相手を理解すれば」何の問題もない。 ですが、厳格に信じている場合、ちょっと違う。 何度か仕事でサウジにも行きましたが、本音として個人的に一緒に生活できるかというと あそこまで私は厳格な行動はできないし、協調もできないと思いました。 宗教とはちょっと違いますが、愛煙家と嫌煙家も結局折り合いつかないでしょう。 分煙とかいって、根本的解決にはならない形しかとれない。 タバコですらそんな状況で、心から信じている宗教が違ってうまくいくとは思えません。
お礼
回答いただきありがとうございます。 実際に、海外での体験とても参考になります。 愛煙家と嫌煙家については、科学(医学データなど)を中心に考えればととりあえず、妥協点は見えるのではないかと思っています。 ただ、私自身が科学を信じて嫌煙家の立場に立っていますので実際のところはよく分かりません。また、医学根拠も正直時代ごとに変化しますしね・・・ ただ、愛煙家の方と話をしても、タバコは吸わないに越したことはないから、吸わないなら吸わないようにした方が良いと言われますので、一応折り合いは取れているのかなぁ?と思っています。
友人や恋人を作るのに、相手の宗教をまず確認する、宗教が異なるなら、ハイ、サヨナラ、なんてことは無いですからね。多国籍国家では、宗教よりも人種的なグループへと分かれるような気がします。 科学は、客観的事実ですから、精神的なものである宗教とは違うと思います。事実に対して、抵抗が無いのは当然でしょう。
お礼
回答いただきありがとうございます。 >友人や恋人を作るのに、相手の宗教をまず確認する、宗教が異なるなら、ハイ、サヨナラ、なんてことは無いですからね。 そうですね。ただ、そこから色々話をしている間に宗教の話題になり、宗教が生活の最も中心にあるような信者の場合、差違について気になってこないものでしょうかね? また、宗教も精神的なものと行っても最後は証明できないが信じろという話が多く、科学についても今は全て解明することは出来ないが将来は心についても解明できる。そのように感じています。とても良く似ているように思います。また、科学では神経伝達物質を触るような薬で精神的な安定をもたらす治療もありますし科学も精神的なところへアプローチを始めているように思っています。
- under12
- ベストアンサー率12% (202/1670)
相手と自分の違いを認めあえれば、何の問題もありません。 何を信仰するかよりも、その上で何をなし得たかが重要なのですから。 言葉遊びで争ううちは未熟の証です。
お礼
回答いただきありがとうございます。 >何をなし得たかが重要なのですから。 具体的にどういう意味でしょうか? また、未熟なものばかりなのが今の現実なのではないでしょうか?
相手への押し付けをしなければ別に問題無いと思いますよ。 私の相方は天台宗、私はプロテスタントです。 でも毎日仲良くやってます。
お礼
回答いただきありがとうございます。 浅く信じている場合やそれを内包するような宗派の場合、それでも大丈夫だと思いますが、非常に深くor厳格に信じて居る場合、宗教についてお互い深く相互に理解や行動をしようと思う場合、教義の差違について気にならないものでしょうか? また、深く特定の宗教を信じている場合、日常生活と宗教は切っても切れないことだと思いますがいかがなものでしょうか?例えば、不殺生、避妊、食事、行事、かなり頻繁な祈りなどなど
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お礼
参加いただきありがとうございます。 細かいところ(極論など)は読み飛ばしていただければ幸いです。また、宗教と一括りに質問した時点で、宗教とは何でどこまで?となってしまいますので・・・ また、質問を言い換えると、お互いにその宗教を信じており、お互いの教義に矛盾を感じそれを追及し始めると喧嘩にならないのか?と思っているところがあります。この答えを知りたいと思っているのが正直なところかもしれません。漠然とした質問ですみません。 また、お互い向き合えるとのことですが、そのお話は、同じ境遇の者同士であれば戦友になれるというお話に聞こえますがそういう意味でしょうか? 逆に言うと、これは信仰心の浅い人と深い人では理解し合えない事にも成りかねない気がします。