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衝動的な心理

1年続けていたブログを衝動的に消しました。 ブログを消した理由は、ある人のコメントで傷ついたからです。 今はたかがあんなコメントでどうして傷つくんだろう…と思うのですが、あの時は衝動的にブログを削除していました。我に返って、「あれ?どうして消しちゃったんだろ」と思ってます。 いままで頑張って書いた文章も、画像も、人脈も消えてしまいました。 以前もある日突然ブログがやめたくなり、消しました。そして消してから、後悔しました。 どうしてこんな簡単に自分の努力とか積み上げたものを消してしまうことができるのでしょうか? 私を駆り立てるものはなんなのでしょうか?

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  • dddmmgrru
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回答No.6

細かな判断材料がないのでトンチンカンな文章になるかも知れません。そのときはご寛恕ください。 多分、キーワードは、「自己評価」と「プライド」かな、と思いました。 「衝動的に」って、流行りのことばでいえば、「切れてる」ってことですよね。 不愉快なことがあって、その場で冷静でいられなくなり、その不愉快の原因を即座に「消す」ことによって精神的打撃を最小限にしようとした訳です。 通常、自己評価の低い人、自分に自信がない人、他人からの評価が低いと思っている人は、そのままでは生活上の快適さが得にくいですから、それを補償するかたちで「高いプライド」を持つことになります。そのプライドは普段は表に現れませんが、自我が攻撃されたりするとスイッチが入り、自分を攻撃してきた対象に向かいます。もともと根拠があってのプライドの高さではありませんから、理詰めで相手に迫るというより、「切れて」みせて相手を怯ませる形をとります。 勉強に自信がなくて学歴社会のシステムから外れてしまった若者などがこの典型です。 逆に、自分に自信がある人、実体に裏打ちされたプライドを持つ人はどうかというと、まず、根拠のない自身への攻撃でも自我が脅かされることがありませんから、理性的に対処しようとします。またある程度根拠や理由があっても、それへの対処は何をするのが有効かを判断します。 例えば、こころないコメントの場合は、相手の出方を伺ったり、何かこちらの不手際や配慮のない表現が原因が相手の攻撃的言辞を誘発したのなら、穏やかにそのことへのこちらの感想や、必要があれば非礼への詫びをして、関係を「取り繕う」努力をします。あるいは、相手が愉快犯的に匿名を嵩にきた「攻撃のための攻撃」をしていると判断したなら、コメント欄を一時休止したり、特定者をブロックしたりして様子を見ることをします。 なぜなら、一年もかけて自分で気づいてきたブログは、ふざけ半分のものでない限り、自分の精神の記録となる貴重なものだからです。それが「一過性」の攻撃のために消滅させるのは「もったいない」という判断が働くからです。 質問者さんが、自己評価が低くてプライドだけ高い人物だとは思いませんが、一般的な傾向としてそう言えるのではないかと思います。 攻撃されたことによって傷ついたプライドのダメージを最小限にするために、相手に攻撃をし返そうとします。しかし、自分のブログへの中傷という「受け身」を余儀なくされたために、相手への攻撃のエネルギーが、攻撃された原因たるブログそのものを消滅させるような方向へ働いたとうことではないでしょうか。原因がなくなれば攻撃されることもなくなると。 こういった心的な機制が条件反射的に行われるために、通常は自分にとってこの行動はいいことなのか悪いことなのかといった「判断」が働いてから行動に移るという過程がすっ飛ばされて、ブログを削除するという「衝動的」行動となってしまったのではないでしょうか。 今後、必要なことは「自己評価を高め」ていく行動を心掛けることだと思います。たかが私的なブログであろうと、この表現は誤解を招かないだろうかとか、この表現に自分は責任が持てるのだろうかとか考えて、そういったブログを読む人への配慮を経た上で文章を投稿することです。 それは、不要な攻撃を招きたくないとか、揚げ足を取られたくないからという後ろ向きな理由からではなく、自分を表現する際にもう一人の「検閲官」である自分というフィルターを通していることで、その文章に対して「自信を持つ」ことが出来るのです。 自信のある文章であれば、多少の根拠に乏しい攻撃には耐えられます。自分の文章は、「自分の分身」です。これに「耐性」を持たせることが出来れば、言いかえれば表現に自信があれば、「衝動的」に消してしまおうということにはならないと思います。 さて、ご質問に応えるなら、 >私を駆り立てるものはなんなのでしょうか? あなたを駆り立てているものは、「自分への低評価を守ろうとするプライドを、性急に満足させようとする気持ち」=「自己愛」です。その「自己愛」が盲目的に発露されてしまったのです。 もっと、自分に自信を持つようにしましょう。これは、そういう気持ちがあれば誰にでも持てるようになるものです。

noname#139440
質問者

お礼

鋭い指摘、ありがとうございます。 とても納得しました。 たしかに最近の自分は根拠のある自信が無く、精神的に落ち込んでいます。 回答者さんが書かれたように学歴もありません。 主にブログには自分の劣等感に関することを書き込んでいました。 今思えば、公にするブログに依存し過ぎていたと思うし、そのことによって、コメントされた内容が気になって仕方なかったのだと思います。 ブログを書くときに自分を高く演じてしまったのですが、それにも疲れてしまいました。 心の癒しを求めて始めたブログが負担にしかならなかったのです。 あとは自己蔑視ですね。自分が嫌いだから、簡単にブログを消したのだと思いますし。 まあとにかく、自信をつけるよう努力します。回答ありがとうございました。参考になりました。

その他の回答 (5)

回答No.5

似たようなことで、自分の世界を、何かのはけ口として利用されている。と感じてしまったことがあります。 私の場合それがたまらなく嫌だったから、ブログ閉鎖しました。後悔していません。また書けばいいだけです。 しがみつかなきゃいけないほどの、大した文章でもなかったので。

noname#139440
質問者

お礼

確かに私もまた文章を書き直せば良いという考えもありブログを消しました。自己卑下の気持ちもあります。あとはコメントをくれた相手に私は直接抗議する勇気もありませんでした。でも相手を攻撃してやりたい気持ちもありました。なので歪んでいますが、ブログを消すことで間接的だけど相手に攻撃した気分になりました。コメントをくれた相手に「私にとってこのブログは貴重じゃないものなんだよ。お前のコメントもブログと共に簡単に消してしまえるくらい些末なんだ」と思いました。 今までも一度、半年間ほぼ毎日投稿し続けたブログもある日衝動的に消してしまいました。 なんか腹が立ったんですよね。私のブログを見てる得体の知れない人がいると考えると、そいつらは私のブログを見てもコメントしない… 私はなんで利益も出ないブログをやるんだろう、なんでたかがブログに魂込めて文章を投稿してるんだろう…すべて馬鹿馬鹿しく思えました。 かなり性格悪いと思いますが(笑) 回答ありがとうございました。

回答No.4

その時は、あなたの周囲が落ち着いていない、ざわざわとした状態であったのでしょう。 そういうときは、何に対しても自信が持てません。 ある人のコメントが図星であるとそういうことになりがちです。

noname#139440
質問者

お礼

そうなんです。図星のコメントだったんです。 今思えばちょっとナルシストな文章を投稿したんですが、相手のコメントが期待したものと違くて寂しくなりました。 自分は他人に要求し過ぎだと反省します。 後は本当に根拠ある自信をつけて、もう少し他人に思い遣りを持ちたいと思いました。 回答ありがとうございました。

回答No.3

 ご参考ですが:  そのときはそのときの意識。つまりえぇっ?と驚き疑問に思う時の意識とは異なる。  つまり意識の継続が希薄であるか、隔絶するということでしょう。そういう意味で回答者のお一人が誰でもあることですとおっしゃっていますのでしょう。

noname#139440
質問者

お礼

ちょっと寝ぼけてたのも理由かもしれません。しかし…過ぎた時間は戻せないと思いました。人間らしい後悔ですね。 回答ありがとうございました。

noname#188289
noname#188289
回答No.2

誰にでもあることですよ(*^-^)b 人のものを壊すとかの抑えがきかないならダメですが、 自分のだし法律違反でも誰かに迷惑かけたでもないから そこまで考えなくても大丈夫ですよ 衝動はだれでもあるしない方が不思議 でも消したら戻らないのは悲しいでしょうが、してたことがムダになることはないし、何事もムダはないから思い出にしたらいい また新たに始めたらいいんです(*^-^)b

noname#139440
質問者

お礼

ブログをやめたことで寂しいといってくれた方がいたのがせめてもの救いです(笑) まあまたブログ書けばいい話ですよね。気が楽になりました。 これからはブログの前置きに「情緒不安定のため衝動的にブログを消すことがございます。」とでも書いておきます。 回答ありがとうございました。

  • DJ-Potato
  • ベストアンサー率36% (692/1917)
回答No.1

トランプのタワーを崩したい ドミノを並べたら倒したい 雪だるまを作ったらドロップキックしたい 三色丼を混ぜたい エントロピーが増えるのが自然、ってことですかね。

noname#139440
質問者

お礼

面白い例ですね。 綺麗で完璧で純粋な…ものほど汚してやりたいもんです。 自分の人生の最期も衝動的に終わらせるのではないかというのが悩みなのですが、そうならないように気を付けます。 ブログは何度消してもいいけど、命だけはそう何回もとはいきませんもの。 回答ありがとうございました。