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ガルシア=マルケス 百年の孤独 マコンドの終り

ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読みました。 最後の消滅の話なんですが、突然嵐がやってきて消滅ということなのでしょうか?唐突すぎて若干理解できなかったのでどなたか教えてください。

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回答No.1

そうです。本に書いてあるとおり、マコンドの町は「風によってなぎ倒され」消えてしまったのです。 質問者さんのおっしゃる「理解できない」感覚は、おそらくわたしたちが慣れ親しんだ小説、西洋の小説の枠組み(日本の文学も明治以降、西洋の小説を一種のお手本として成立していきましたから、この系列に入ります)でもって『百年の孤独』を読もうとするから、「なんでそうなるの?」というクエスチョンマークとともに取り残されるのだろうと思います。けれども、ガルシア=マルケスを含むラテン・アメリカの文学は、そうした西洋の小説とはものすごくちがう。 西洋の小説では、ほかの誰ともちがう、くっきりとした個性を持った主人公がいて、彼または彼女の性格が引き起こした行動によって、事件が起こります。それをめぐってさまざまなことが起こり、事件は解決するとともに、主人公は内面的な成長を遂げるか、あるいは死ぬかします。始め-中-終わり、という直線的な時間の流れがあり、同時に「始め」と「終わり」が対応する、という特徴を持っています。 たとえ常識では考えられないような、魔法だとか、不思議な島だとかが出てきたとしても、主人公はその非日常的な場所へ、行くか投げ込まれるかして、かならず日常に戻ってきます。そうした安定した確固たる世界があるがゆえに、わたしたちもその不思議な現象を、「そういう世界での話」として括弧にくくって、安心して受け止めることができるのです。 ところが『百年の孤独』の中には、そんな「くっきりした登場人物」は登場しません。 もちろん最初のホセ・アルカディオ・ブエンディーアは錬金術師であり、マコンドの村を作り上げるほど、創意に満ちた人物ですし、その妻のウルスラも、そんな彼と互角に渡り合えるほどの強い個性のもちぬしです。その子供のホセ・アルカディオもマコンドで誕生した最初の人間アウレリャーノ・ブレンディーアも、それぞれに「個性的な」人間です。けれども、それがアルカディオ、アウレリャーノ・ホセとなると、それぞれにちがうのですが、ひとつひとつの名前がまるで寄せては返す波のように、少しずつ形を変えながら繰り返され、そのうちにわたしたちにはちがいが判然としなくなってきます。 それに合わせて、さまざまなことが起こります。アウレリャーノ・ブレンディーア大佐は銃殺されても死にませんし、レメディオスは空に舞い上がって天に昇ってしまう。登場人物同様、ひとつひとつの出来事はくっきりしたものなのですが、そうした出来事が、「なぜ起こるか」という因果関係も判然としないまま、これまた寄せては返す波のように繰り返し起こり、わたしたちの「どうしてそんなことになるのだろう」という疑問は答えも出ないまま積み重なっていきます。 そうして、途中まで横にどんどん広がっていった家系図が、最後のただの「アウレリャーノ」一人になり、予言は成就し、一族は消滅します。それと同時に町もなくなる。そうして、時間がぐるっと回って元に戻るんです。 円環する時間の中では、「何のためにこんなことが起こったのか」と意味を求めても、「どうしてこうなるのか」と原因を求めても無駄なことです。意味も原因も、一方向にしか流れない、不可逆的な時間をさかのぼることによってのみ、成立することがらだからです。 西洋とまったくちがう世界観を味わう。円環する時間というものを体験してみる。そんなふうにこの小説を受け取ってみてはいかがでしょうか。

gaow
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。風が起こり、予言を読み、町が消えるなら分かるのですが、予言を読み、風により、町が消えるのような書き方で終わっていたのが気になり質問しました。なんとなく理解できましたので、質問を閉めます。ありがとうございました。