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税金の始まりについてなのですが、、、
現在日本の税金は、様々な形で世の中のために使われていますが、、、 飛鳥時代で初めて税金の仕組みが出来ましたが、、、 祖・庸・調で集められた作物(米など)や布・絹などはどこで使われていたのですか??? 教えてくださいましたら非常にうれしいです。。 お願いします。。。
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税金は飛鳥時代にできたのですか? 弥生時代や、古墳時代にはなかったとすると、田や古墳を作った費用はどうやってまかなったのでしょう? たしかに、租庸調の制度として整えたのは大化の改新でということになっていますが、基本的に、強い者と弱い者ができた瞬間から、税金というか、収奪は始まったと思いますよ・・・ 。 それはともかく、租庸調ですね。(ソは、祖先ではなくて租税ですので、のぎへんになります) 使い道はいまとおなじだと思いますよ。 基本的には労働に携わらない、物を生み出さない階層の人が第一に、そして一番多く消費したものと考えられます。典型的には貴族(官僚)や坊さん(学者)、兵士たち。米も食べたし、服も綺麗なのを着たことでしょう。 つぎに、租庸調の対象とならない物を生み出す人々、例えば道や古墳を作るような人夫、お寺を造るような大工たちは米をつくりませんが、米は食べます。衣類を作りませんが、服は着ます。 さらに、海外との貿易・貢ぎ物に使われもしました。中国などから、いろいろ教えてもらわなければなりませんでしたから。 最後に、租庸調を作る人たちに異変が生じた場合の救援用。 天候次第で米でも布でも作れなくなります。作れなくても食べますし、服も着ます。疫病が流行る場合もあります。彼らが死ぬに任せていたら、次の年には租庸調の量が急激に減りますし、へたをすると反乱になりますから、為政者も無視はできなかったはずです。 消費する場所、人はたくさんいたでしょうね。
お礼
長文ありがとうございました。。。 今とはあまり変わっていないのですね いろいろ勉強になりました。 誤字失礼いたしました。。。。 ありがとうございました 。。。。。。。。。。。。