- ベストアンサー
昭和のオタク
インターネットがない昭和の時代 いまで言うオタクたちはどのようにして 友達を作り、趣味仲間を増やしていたのでしょうか? アニメやフィギュア好きなんて当時はなかなか公言できなかったんじゃないですか? そうなるとなかなか仲間なんて増やせなかったと思いますが
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>アニメやフィギュア好きなんて当時はなかなか公言できなかったんじゃないですか? そういうことを一般世間ではばかる風潮は今ほどなかったですよ。 作品展示会を堂々と百貨店でやったりしてました。 70年代~80年代はNo.2のご回答が主な交流手段だったように思います。 特にサークル同士の交流が今より盛んだったかなぁ。 文化祭、コミケやイベントで他サークルと出会うのが楽しみでした。 絵チャみたいなことを誰かの家に集まってリアルでやってましたし、 同人誌を出すとなったらそこでまた同じ印刷会社に集うサークルと知り合ったり、 大手雑誌の編集者さんがイベントや交流の取り持ちをしてくれたこともありました。
その他の回答 (7)
- 2181
- ベストアンサー率24% (652/2691)
お礼ありがとうございます 私は現代の方がかわいそうと感じてしまいます 確かに昔はインターネットも携帯もなかったので情報量に限りもあったし不便な部分もありました しかし集う(“そこに行けば誰か居る”てやつ)がありましたから、顔を見てのコミュニケーションが取れました 仲間意識や団結力も現代よりは、あったと思います 現代は便利です お金があれば手に入らない物はありませんよね しかし、その分人は不器用になり対人関係を築くのが下手になった まあ~どちらが良いのかは分かりませんが(^^ゞ 昭和は昭和で 平成は平成で 日本は日本で 外国は外国で 各良い部分は有るのかな
お礼
おっしゃるとおりです。 私もみなさんの書き込みを順番に見ていたら考えが変わってしまいました^^; 便利になったものの、いまは交流関係の部分が非常によくないというか・・・・ 出会って話し込む前にメールやチャットや掲示板で相手の内面部分が見え隠れしてしまったり。 しかも実際に会って話しているわけじゃないからマナーが悪いというか・・・・ (私もそういう部分があるかもしれませんが) もしかしたら私の周りがよくないだけやもしれません・・・・
- Ren-Ks
- ベストアンサー率44% (579/1303)
No.3の回答についてですが、宅八郎氏は、確かに昭和時代から文筆活動してはいたものの、「昭和のオタクといえば」と言えるほど著名な活動はしていなかったのではないかと思います。 彼がテレビに出始めて有名になったのは、1989年(平成元年)あたりからですね。 また、当時の秋葉原は、アニメやゲームではなく電子工作やオーディオ方面にとってのマニアの街であり、中野ブロードウェイも、まんだらけ自体は昭和時代から存在していましたが、同社が勢力を拡大することで同種のお店が集まるようになったのは、やはり平成に入ってからです。
お礼
>当時の秋葉原は、アニメやゲームではなく電子工作やオーディオ方面にとってのマニアの街 秋葉原には何度も行っていますが、アニメやゲームの看板だらけですよね。 確かに駅の高架下?には電子工作の部品とか売ってますが、それがメインだったとは思えない雰囲気です。 まんだらけは、ぼったくり価格すぎて行ってもつまらないというかなんというか・・・ 店員さんが衣装着てるのはおもしろかったです。 でもあのお店って昭和からあったんですね。 あの金額でも経営が成り立ってるとは・・・
- Ren-Ks
- ベストアンサー率44% (579/1303)
現在インターネットを使わないで仲間を増やすにはどうしたら良いかと考えれば、昭和の時代も答えはそう変わるものではありません。 まずひとつは、学校の部活動やサークルなどに入るという手段。 古くは「究極超人あ~る」、今で言えば「げんしけん」といった、文化部系漫画でもよく描かれていますね。 次に、アニメ雑誌の多くには当時から「交流コーナー」というものがありまして、そこで文通相手を募集して仲間を増やすいう手段。 特に、読者投稿によって成り立っていた「ファンロード」「OUT」といった雑誌では活発に行われていましたし、「歴史読本」の読者コーナーも今で言う"歴女"の方々には貴重な交流の場だったようです。 また、雑誌やラジオ番組主催のイベントや、コミケ・ワンフェスといった同人イベントももちろん欠かせません。 そもそもこうしたイベントは、普段なかなか接点を持つことのできない同好の士が集まることを目的に作られたものですから、参加者同士であれば何かしら話題の通じる所があるはずです。 そして、それこそが"同人"という言葉の由来でもあります。 あとは、今ではほとんど不可能なことですが、当時はアニメ制作スタジオが割と外部に対してオープンな傾向にあり、ファンが気軽に見学をすることができたそうなので、そこで知り合って仲間になったという人達もいたようですね。 お土産にセル画を貰ったなどという話もよく聞かれました。 参考資料として、1985年のコミケの動画もどうぞ。
お礼
昔も交流会が沢山あったんですね。 サークルといってもマンガ研究会くらいのものかと・・・ >普段なかなか接点を持つことのできない同好の士が集まることを目的に作られたものですから、参加者同士であれば何かしら話題の通じる所があるはずです。 ここがものすごくうらやましいです。 今はジャンルを絞っても、まるで出会い系と勘違いしてるような男女が混じっていて本当に困ります。 マナーがなってないというか。すいません愚痴ですね。 昔の方が問題がなさそうでなんだかうらやましい・・・。 スタジオの見学とかも今じゃ考えられません。 今は今でいいところもあるけど、昔も良かったんですね~。
- konata508
- ベストアンサー率26% (514/1954)
私が小学生の時代にすでに専門誌やマンガ雑誌の読者掲載欄に「アニメの録画」交換も行われてましたよ(文通とかも)情報交換会も掲載してましたし、コミケなどの同人誌即売会などももともとは作家同士の交流会が主だったとも聞いてますが。地方新聞でも素人掲載イラストは学生などの表現と交流の場だと思いますよ。
お礼
文通というのはちょっと面倒みたいですね。 手紙を出すとなると相手に届くまで数日掛かりますし・・ メールが無い時代は本当に大変だったんですね。 近くの同人誌即売会で気の合う人と知り合えればお店などにも一緒に行けますね。 いまと違って友達が作りやすそうでうらやましいです。
- advanced7
- ベストアンサー率9% (52/551)
昭和のオタクと言えば、タク八郎です。 キモい、汚い、のオタク。 同人雑誌で会員証をもち、アニメイベント、アイドルオタクのいこの場所秋葉原のショップ、中野ブロードウェイによく行く。 へんな人。
お礼
ウィキペディアに載るほどの有名人みたいですね。 内容がちょっとアレでしたが・・ 写真を見つけちゃってちょっとゲンナリ(失礼かな)
- 2181
- ベストアンサー率24% (652/2691)
書く⇔読む⇔集う…かな 集えば情報交換もできるし、もう一歩踏み込んだり、世界が広がったりするでしょう 今のオタクとは思考も趣向も異なっていたんじゃないかな まぁ~現代は金とネットあれば、わざわざ足を運ばなくても色々手に入るからね…便利になったけど互いの顔が見えないし本名も知らないからコミュニケーションが取れないよね
お礼
集う、という部分が難しそうですが昔は普通に出来ていたんですね。 その集うことがムズかしそうです。 いまは本当にネット様様なのでやり取りが簡単なので昔の人がかわいそうです。
- dadacya
- ベストアンサー率26% (132/492)
96(クンロク)とか、144(イッチョンチョン)とか、288(ニッパッパー)のモデムで ニフティーサーブしてたのさ
お礼
ニフティサーブという、いまでいうとチャットみたいなものがあったんですね。
お礼
>作品展示会を堂々と百貨店でやったりしてました。 お~いいですね! せいぜい売り物がお店で並んでるくらいしか見たことない私には想像できませんが、ちょっと昔がうらやましいです。 >絵チャみたいなことを誰かの家に集まってリアルでやってましたし なんだか皆さんの回答を見ていると、今の時代って便利になっただけで人間関係は酷くなってる気が・・・ 誰かの家で絵チャなんて相当仲が良くなっても、こういう出会いの場合なかなかできませんし。 >同人誌を出すとなったらそこでまた同じ印刷会社に集うサークルと知り合ったり、 >大手雑誌の編集者さんがイベントや交流の取り持ちをしてくれたこともありました。 いまじゃ考えられません・・いいなあ・・・