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昭和の映画でよく見るお手伝いさん

昭和の映画を見ると、お手伝いさんが家にいるのを多く感じるんですが、今はそれほどはいないですよね? なぜ当時はそんなにお手伝いさんが多かったのでしょう?

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  • Nannette
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回答No.4

理由はいろいろあるでしょうが、主な理由は2つあります。 明治、大正、昭和、わたしの親だとかその親の世代を調べていて知った限りでは、こうした時代では、ちょっと社会的に地位を得たような人の家庭では、住込みのお手伝いさん、当時は女中さんとも呼んでいましたが、こうした女性を住み込みで雇うだけの財力と、彼女たちを住まわせられる専用の部屋などの用意があったものです。 また、もうひとつの理由として挙げられるのは、その当時では、家庭の収入など経済力に大きな差があっただけでなく、学校教育の義務化はすでに決まっていたものの、ひとりの女性としてのしつけの勉強として、一応のレベルにある家庭に住みこませ、一通りのマナーや作法などを身につけさせる風習があったようです。 こうした理由に付随していることとして、比較的貧しい家庭では、一応の家庭に娘をお手伝いさんとして預けることで、一種の口減らしの効果あったのだろうと思います。 そうしたことから、お手伝いさんの実家では、娘がお世話になっている…といった謙譲な意識がまだ残っていた時代のこと、お手伝いさんとして働いている雇い主側の家庭に対して、地元でとれた野菜などを、娘をよろしく…という願いとお礼の気持ちをこめて送り届けたりしていたものでした。 また、雇った側の家庭でも、住込みのお手伝いさんは、実の娘と同じではないものの、たまに服の一着も作ってやったり、映画や観劇などにも連れて行ったり、お手伝いさん同志で遊びに出してやったりと、結構気を使っていたものでした。貧富の差がそうした雇用形態の背後にあるとはいえ、なにか、どことなくほのぼのとしたいい雇用関係であったように思います。

noname#199806
質問者

お礼

雇う雇われる関係というより、違う側面があったようですね。 有り難うございました。

その他の回答 (3)

  • IDii24
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回答No.3

なんか、懐かしくで思いだしちゃったんで。 たしか母親がお手伝いさんに今月分と云う事で千円札を2,3枚渡してた記憶jがあります。今の額としてはおそらく2,3万円ぐらいだと思います。午前と午後で掛け持ちすれば6万ぐらいにはなるってことでしょうか?。 ついでに自分の買い物(当然自分のお金)とかもしてたみたいなんで、それなりにいい額だと思います。住み込みならなおさらですね。

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.2

昭和40年代初めごろまで多かったですね。実は僕の家でも居たんですよ。子供のころ小学校上がるまでは。でも普通のサラリーマン家庭ですよ。 住み込みと通いがありましたけど、僕の家では通いでした。やっぱり家事が大変だったからと云うのが絶対的な理由だと思います。 洗濯だって洗濯機なんて無かったり、あっても衣類によっては使えない程度のものでしたから、手で洗うわけです。洗濯だけでも2時間以上かかってましたよ。それに掃除だって今よりちゃんとやってましたから。 一番はやはり食事の支度。スーパーは当然無かったので、6時までには八百屋、魚屋、肉屋を回って、雑貨屋、薬屋も回るわけです。卵は養鶏所に買い出しでしたし。さすがに風呂はガスでしたし、炊飯器もありましたが、それだけでも半日以上は潰れる。 当時の家は首都圏でも庭もそれなりに広かったので、庭の手入れだってあります。子供が多い家では必ずお手伝いさん居ました。 それに今より安かったのも確かです。やってる方も仕事って感覚では無く、本当に自分の家事のついでみたいな感覚で、それでお金もらえるならという事でしたから。 紹介所もありましたが、殆どは個人のつてで仕事貰ってたと思います。今見たいに税金対象では無かったでしょうから。女性がお金を稼ぐには手っ取り早いと云う事なんですね。外で働く女性は少なかったので。 いい時代だったのでしょう。

  • TinyPine
  • ベストアンサー率30% (719/2386)
回答No.1

昭和初期の話でしょう。 昭和初期は賃金の差が激しかったから、今の会社の部長さんクラスでも十分お手伝いさん(当時の呼び名は女中さん)を雇えたけど、今は賃金格差が当時程無くて雇えない。 私、普通の社員だけど、アジア出向の折はパートタイムでしたけどお手伝いさん雇わせてもらいました。アジアと日本の賃金格差があれば雇える。

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