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明治時代のパリ海外留学について

画家の安井曽太郎とか梅原龍三郎先生方は 為替も悪く情報もなく交通機関も発達しておらず 東洋と西洋との偏見もバリバリにある中で はるばるヨーロッパのパリに留学しとります。 凄い勇気だと思うとります。 そのころの日本の社会にはエリートには お金を出そうという気風があったのでしょうか? それとも社会情勢はそれくらいなんでもないくらい豊だったのでしょうか?

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回答No.1

貧富の差が大きく、パトロンになるなり手がいたということですね。 資産家の子息が、ゲーム機でも買う感覚で娯楽として留学をさせたという感じかと。 今でも、孫さんが100人単位で自費で留学をさせている子がいますが、そんな感じでは?

daigakudaigaku
質問者

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