• ベストアンサー

一軒家を羨ましがる子供と親のエゴ(?)

小学生と中学生の子供がいます。 母子家庭で今公営の団地に住んでいます。 元農家の多い地域で、急激に人口が増えた新興住宅地です。コーポに住んでいる家族はマンションに、そしてそれ以外の子供は一軒家というケースが多いです。 わが子は一軒家に憧れています。 私自身は一軒家育ち、今母子家庭ということで子供に悪いという気持ちがあります。 生活も中流意識からはかなり下のレベルでしょう。生活に困りはしないけど、子供に決して贅沢をさせてあげられるわけではないです。 塾、習い事し放題・海外留学・一軒家・よい車・海外旅行・頻繁に旅行、外食・・・我が家は車も所持しておらず、これらの世界からは遠い生活です。 だいたい母子家庭というところからして間違っているとお叱りをいただきそうですが(元夫は元2代目ボンボン。廃業後は仕事も頻繁に休んではパチンコ・・というのが癖になり離婚)、『一軒家いいな』など裕福な家庭の友人を羨ましがる子供がちょっと不憫な気持ちがします。 もちろん学資保険などで蓄えはしています。本人が本当に勉強したい気持ちさえあれば、お金を掛けなくても教育を受ける方法はあると私は思います。私自身今勉強中で、いずれ大学へ行きたいと思っており、公立の夜間で学費免除・・などの道を考えるのですが、子供にもそんな風に頭を使ってほしいと思うのは親のエゴなのでしょうか。 物を大事にすること、節約することは常に言い聞かせていますし、家計を工夫してやり繰りしたり、お金を掛けなくても美味しいご飯は作れるなど、私なりにいろいろとお手本を示しているつもりではいますが、自分の家が裕福でないことを心のどこかで面白く思っていない(クサる?)のではと思います。 今の物質社会で、どのように子どもを育ててよいものやら悩むことも多いです。 子育てについてアドバイスをください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kz_ura
  • ベストアンサー率39% (20/51)
回答No.2

私自身、子育てをしたこともないような人間で責任のある回答とは言えないかもしれませんが、気を悪くなさらないでくださいね。 人間、誰しも現状に不満を持って当然だと思います。 特に子どもだったら。 wowmakotanさんのお子さんの場合だったら、団地住まいであれば、一軒屋の方がいいと思ったり、経済的に恵まれていなければもっとお金があった方がいいとか。 でも、上を見ればキリがないんじゃないでしょうか。 無理して一軒屋に移っても今度は自動車がほしくなったり、習い事や外食がしたくなったりとか。 今のままでいいんじゃないでしょうか。 wowmakotanさんのお子さんも、考えようによっては恵まれていると思いますよ。 母親に愛情を持って育てられ、子どものうちから親から物を大事にすること、節約することを教えられている。 そして、wowmakotanさん自身がお仕事や子育て大変な中、自分のために勉強をされている。子どもは親の姿を見て育つものだと思います。向上心のあるお母さんの姿を見て育った子どもも、きっと向上心のある立派な大人に育つと思います。 結局、人や家族がそれぞれ違うのは当たり前なんですよね。 大事なことは、決して他人をひがんだり、うらやましがったり、逆に馬鹿にしたりせず、今の自分にとって当たり前のことに感謝できる、また、現状に不満があったら自分の努力によって将来を変えていける人間に育てていくことじゃないでしょうか。 私ごときが偉そうに言えることじゃないとは思いますが・・・。

wowmakotan
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 >誰しも現状に不満を持って当然・・ >特に子どもだったら。 確かに私も子どもの頃、手の届かないものに憧れるってことありました、ありました。 もしかしたら母がひそかに見栄っ張りだったのかも・・と今になって思います。 バレエとか宝塚とか、そういうものにとても憧れがあったし、うちも当時にしてはちょっと中流気取ってピアノとか習ってみたり・・・。両親は中学しか出ていないのですが、それがとてもコンプレックスだったらしく、若くして一軒家を持ってからは、周りにおいていかれないようにと、結構虚栄心を張って生活していたのかなと思いますね。 >無理して一軒家に移っても・・ そうなんですよ、今のところは家賃が1万円なんですが、だからこそ生活に少し潤いをもたらすことができるワケで、これでもっと家にお金がかかれば、必然的に食費などを削らなくてはいけないワケです。そうしてみると、どこでも住めば都なのだから、考えようによっては今の生活(賃貸)は気楽だなと思うのです(私は)。 子どもは友達間の見栄のようなものがあるのかも知れないので、なかなか同じようには感じてくれないとは思いますが。 >向上心のあるお母さんの姿を見て・・ これが結構どうなのかな。。と思うところなんですよ。 子どもにしたら、母親が自分に背を向けて勉強ばっかりしてる・・って思っているかも知れないですし。何もせずにごろごろしているお母さんの方が優しくなれるかもしれないですし。 >現状に不満があったら自分の努力によって将来を変えていける人間に育てていく・・ これ大事ですよね! そんな風に子どもが素直に思えるような人に育ってくれたら、子どもにとっても一番よいと思いますね。 まだまだ子育て長いです。。。 がんばろうと思えました。 ありがとうございました。

その他の回答 (7)

回答No.8

あまり裕福とはいえない家に育ったものです。 子供の頃から、「うちは貧乏だから。うちは他の家とは違うから。」とさんざん言われました。 実は子供にとって、暮らしが貧乏で苦しいってことは絶対無いと思います。 家族の仲がよければそれで十分幸せです。 何がつらいかというと、友達の会話についていけなかったり、友達と同じ場所に遊びにいけなかったり、同じおもちゃで遊べなかったり(貸し借りすら成り立たない)して、疎外感を感じることです。 でも中学になって、同じように貧乏というか節約好きの友人ができて、すごく仲良くなりました。 おかげで、表面的ではない本当の友情というものも分かった気がします。 そういう風に、似たような境遇の家庭と親しくなれれば、子供も疎外感を感じることはなくなるのではないでしょうか?

wowmakotan
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 お礼が遅くなりごめんなさい。 >友達の会話についていけなかったり、友達と同じ場所に遊びにいけなかったり、 >同じおもちゃで遊べなかったり(貸し借りすら成り立たない)して、 >疎外感を感じることです。 友達間の疎外感は確かにうちの子供たちにもあるようです。それでも姉妹の性格でかなり差があるようで、末っ子は結構見栄っ張りのところがあり、同じようにできないことに悔しさをかなり強く感じるようですが、真ん中はそういうことをかえってばねにして、『人と同じになりたくない自分』を形成しているように思います。どちらにせよ、悔しかったら自分で行動を起こす・・という風に育ってほしいとは思います。 >似たような境遇の家庭と親しく・・ そういうのはありますね。 やはり大きな家に住むお金持ちの子とはあまり深い関係にならないようです。 かえって、ちょっと変わった家庭の子と、 お互いの家がどんなに変わっているかってことを、 ひそかに比べて楽しんでいるような部分も見られます。 物質的には一軒家に憧れるし、自分の部屋も欲しいけれど、 楽しい生活もある!というのを感じてくれるよう、 私もがんばろうと思いました。 お話ありがとうございました。

  • yu-taro
  • ベストアンサー率39% (3209/8203)
回答No.7

  こんばんは。  一軒家というのはある意味では理想かもしれません。  子供への教育の中では節約と物を大切にして、『もったいないという気持』を覚えさせるのが良いと思います。  そして、今のうちに良く勉強して、良い学校に行けば将来安定してある程度の収入が得られるので、自分の力で一戸建ての家を手に入れる努力も必要だという人生設計の目標にしても良いかと思います。  将来何をしたいのかが分からない若者が多い中で、目標ができることだけでも生活に張り合いが出ると思いますし、自分の力で自分の家を建てたいという事も理由のひとつにして、学生のうちに日々努力するというのも良いと思います。  世に成功した人は家が貧しくて、そんな暮らしを幼少から見ていて、いつか立派になって親を楽にさせてあげたいという思いから努力して一流企業創業者や立派な業績を残した人も少なくありません。  偉人や成功者の本も読ませるのも良いと思いますよ。  こういう教育方法もいかがでしょうか。

wowmakotan
質問者

お礼

こんばんは。 お礼が遅くなってしまい、ごめんなさい。 >将来何をしたいのかが分からない若者が多い中で うーん、やっぱりこの平和な日本で、小さい頃から生活において満たされていたら、そんな風になってしまうのは無理もないのかも知れませんね。何不自由ない暮らしが逆に無気力な(ハングリーでない)人間を創ってしまうとしたら・・ちょっと問題ありますね。 結局、『満たされたい』という気持ちには終わりがない。。 今子どもの要求を私が次々と満たしてやっても、それが必ずしも子どものためにはならない。 (だからと言って、逆のことをしていたらいいかといえばまたそれは違いますが) 満たされないのは当たり前ということを前提に、現状で何とかやり繰りしていける賢い子どもに育てる・・・。 母として私にできることはこれに尽きるかなと思いました。 投稿して皆さんのお話を伺い、本当によかったと思います。 これからもいろいろ悩むことがあるかと思いますが、 よろしくお願いします。 ありがとうございます。

noname#10008
noname#10008
回答No.6

1です。はしょりすぎたようなので。。。 父は、祖父が作った会社を 兄弟、一族でやっていました。 会社があるうちは小金もちでした、(おじたちも) (私は結婚して、親の援助ももらっていませんし、親が かつて、お金をもってたことと 現在の自分とは 関係がないので、自慢のつもりはありませんでしたが。。。) 祖父がなくなったときも 遺産で 争いになりましたし、 (父は何ももらっていません) 今度は、その 父たちの会社が倒産し、 のこったものの奪い合いと、 借金のなすりあいになりました。 昔、祖父もいて、会社が軌道に乗る前の、 お金がないときは 兄弟仲がよかったのに。 数十年、贅沢をしていたおじたちは、私がおもう普通の生活(車なし、家は借家、留学はどうしてもという場合は、奨学金)が、 惨めだといっているようです。 自分は、ぼろぼろで、畳が抜けそうな 雨漏りが普通 の借家で育ったので、 家にお金があった(らしい)ことをずっと知りませんでした。 父は こつこつためたお金 があったのですが、おじたちは破産しています。 それで、父が恨まれて、借金の通知を 「あいつから取ってくれ」と、回してきます。 億の単位です。(もちろん、払えるほどの、お金はありません。私からたらて、小金もち といっても、サラリーマンの退職金程度のお金ですから) そういう (もともと自分のものではない)お金が なまじっかあったためでの、足の引っ張り合いや、 恨みと、 「車、良いよね」「一戸建て、良いよね」という うらやましいの、 それはぜんぜん違うものだとおもいましたので投稿したものです。 もし、見てるかたが、鼻についたのなら、そのようなことを書いてしまい、すみません。

wowmakotan
質問者

お礼

再度書き込みありがとうございます。 お礼が遅くなってしまってごめんなさい。 私自身はぜんぜん自慢には受け取ってませんので安心してくださいね。 内容を読めばわかりますもん。 遺産でもめてしまうというのは、やっぱり、 お金は人を変えてしまうという言葉が少なからず正しいということを 証明しているようで寂しいことですね。 私もときどき人のお金を当てにするような気持ちが見え隠れして、 そういうとき、自分でも甘えてるなって思います。 (例えばご馳走してもらったりすることに甘んじていたりとか) 結局自分に見合わないものは自分の身にはつかない。 そう思うと、また気持ちをゼロに戻して、何もないところから自力でがんばろう!って気持ちになれます。 そういうときが結局、自分が自立して生きていけるときだと感じます。 欲はしばしば身を滅ぼしますもんね。 だから逆に、自力で富を手にされた方を妬むのもお門違いだと思うのです。 羨ましいけれど、自分は関係のない身だから。 やはり生まれた環境でがんばるしかないのですよね。 上を見て羨ましがるだけなのは時間が勿体無い。 自分よりきつい環境で生きている人もいる。 もともと自分にあったわけじゃないお金に翻弄されないように生きていきたいとあらためて思えました。 お話ありがとうございました。

回答No.5

母子家庭ではありませんが、一軒家は夢のまた夢のそのまた夢です。 子供は正直なので羨ましいとすぐ口にしてしまいますが、もう少し大きくなったらお母さんのがんばりが分かってくると思います。 貧乏(いい方悪いけど)の方がいい子が育つと思ってるんですけど。私も主人も。 私の旦那は貧しい家に育ちましたが、親の苦労を知っているのですごく気を使える人になったと思います。 すごく優しい人です。 私も、今は子供が少ないからきっとみんなほしいもの何でも買ってもらえる気がする みんな持ってるのに自分だけ持ってないのは子供が不憫じゃないか と思っていました。 近所の先輩お母さんから、「子育ては、物じゃないのよ」と言われました。 その方は、女の子二人のお子さんで、上の子が歯並びがとても悪く、女の子だから矯正してあげたいと思っていたそうです。 下の子はみんなが塾に通っているから塾に通いたいと言い出しました。 すると、上の子は「私の歯はいいから、○○に塾に通わせて上げて」と言ったのです。 昔から、物はあまり与えなかったけど人を思いやるいい子がそだったと言っています。 愛情を持って育てれば大丈夫じゃないでしょうか? うちの子はまだ何も言いませんが、買ってきたおもちゃより、私が作った物のほうが楽しく遊んでくれます。 お菓子も手作りのものを与えようと思っています。 自分の家が裕福でないことを心のどこかで面白く思っていない ↑ そりゃあ、お金があったら!って私だって思いますし、特に子供のうちは物欲がかなりあるかもしれませんが、 我慢をさせることは絶対に悪いことでは ありません。 節約してがんばっているあなた様の姿を必ず見ています。 今は分からなくてもいつか必ず分かる時がくるものです。

wowmakotan
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 すぐにお礼ができなくてごめんなさい。 心温まるお話を読ませていただきました。 子どもに我慢をさせることは悪いことではないというのは、 基本的に正しいと思ってよさそうですね。 ときどきはめをはずしながら、おさえる所はおさえて、 賢くいかねば!と思いました。 先輩お母さんのお子さんのお話、いいですね。 きょうだいは普段はけんかをしていても、 いざというときに助け合う姿を見せたりするとは聞いていますね。 うちの子供たちはどうかなぁ。。。と思うけど、 少しでも思いやりのある子どもに育ってくれることを願いますね。 節約も最近は子どもの方もツボを心得てきたようで、 電気に関しては、使っていない間の待機電力を節約するために 3ヶ月ほど前に家中のコンセントを部分的に切ることのできる コンセントに変えたのですが、 電子レンジなどを使ったあとに、中身を出す前に先に コンセントのスイッチを切っているところを見て、 なかなかじゃん。。と感心したりしました。 今までは裕福な子どもは無条件に幸せかと思いましたが、 逆に裕福なことを当たり前にしか感じないとしたら、 それは困るなと思います。 なので、現状で何とか生きていく知恵を、 子どもにはつけてほしいと思います。 お話ありがとうございます。 励まされました。

回答No.4

こんにちは 30代既婚ですが子供はいないので、自分の子供時代の事を少し書いてみたいと思います。 時代が違いますので、参考にならないかもしれませんが。 私の友達数人も、一軒家の二階建てに住んでいまして遊びに行く度に階段のある家を羨ましく思っていました。 よく母親に二階建ての家に住みたいと話していました。 数年後二階建ての一軒家に引っ越す事が決まり、友達に二階建てに引っ越すから物は買わないで節約している事を話していたほどです。 今思えば大人が言うような事ですが、当時小学校1年生でした。 私の家には車はなかったですし、両親共に免許がなかったので私が免許を取って乗せてあげたいとも思っていましたよ。 子供ながらに、誕生日もクリスマスのプレゼントなどのイベントもなく、家族で旅行も2回位しかなくて車で1時間もかからないような近場でした。 弟も当時は小さくて、電車で遠くに行ったつもりが免許をとってから、近い場所だった事に気づいたと大人になってから言ったほどですから。 私自身、母親に物を大事にする事・節約する事を言われて育ったので我慢強くなれたと思っていますし感謝しています。 物が溢れている時代だからこそ、物を大事にする事を教えるっていいことだと思います。 でも今の若い世代の子供には、受け入れにくいのかもしれませんね。

wowmakotan
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 >階段のある家・・ これはうちの子にとっても憧れなようです。私は階段のある家(でも階段が急でよく落ちて痛い思いもしましたが・笑)で育ったので、そういうものに憧れる気持ちさえわからないというのがあるんですよね。 >二階建てに引っ越すから物は買わないで節約している・・・ 健気な感じが伝わってきました。 素直でいいですね。 我が家のマイカーは一人に一台ずつあるのですが(自転車です・笑)、車に乗らなくなってから頭の思考回路が切り替わり、一年過ぎた今いつの間にか不便さを感じなくなっています。同僚や団地の奥様方からは『車を手放すなんて勇気あるね』とか、『車がないとどこも行けないでしょ?』と言われるけど、車がある生活を基準に考えるので不便なだけで、実際車がないと駐車のこともメンテナンスも維持費も(盗難にあったことがあるので、盗難に関しても)考えなくてよいのはかえって気が楽です。 そして子どもはそれまでほとんどバスに乗ったことがなかったのですが、バスや地下鉄に乗って移動するようになると、頭を使わなくてはならないのですよね。時刻のこともそうですが、バスに乗ってからも自分が降りるときのことをあらかじめ考えながら降りやす場所にいないといけない。バスが混んできたら当たり前のように座っていてはいけない。(でも年配の方々は意外にちょっとしたスペースも見逃さずささっと厚かましく座ってしまうので驚いたり。。) 子どもを車に乗せて移動するのは本当に簡単で快適ですが、その分子どもは頭を使わなくなっているなと痛感します。 もちろん子どもはといいますと、調子のよいときはバスや地下鉄に乗ることを喜びますが、疲れていたり寒かったり暑かったりすると途端に機嫌が悪くなっちゃいます。でも、そういうことも車に乗っていてはわからない感情だと思うのです。 とにかく、子どもの頃から便利なことばかりを当たり前に思ってほしくないって気持ちがあります。 でも、先日テレビでドイツの街を走る便利な電車を見たときに、日本ももっと公共交通機関が発展してほしいものだなぁとは思いましたが。 子どもにとっては『ちょっと変わった母親に育てられた』という思いかもと思いますが、それも自分では選べない運命・・面白く感じてくれたらと願います。 お話とても参考になりました。 ありがとうございました。

noname#15040
noname#15040
回答No.3

私も、貧乏の借家住まいに育ちました。父はぐうたらで、超ボンボン。(名家の四代目で没落貴族)母がいつも家計の切り盛りをしていました。子供心に「友達を家に呼べないのは、カッコ悪い」とか、「友達の家は○○なのにうちは…」ということばかり考えていました。父は、一念発起して事業を起こしましたが、うまく行かずに倒産。残された借財は、私がかぶりました。今思いますに、親が子供に残すことが、できるのは、良いしつけと教育だと痛感しています。就職して間もなく、これから自分の人生だと思った時に多大な借金を押し付けられ、未だ苦しんでいます。したがって、お子様にとって、一軒屋はあこがれでしょうが、 そんなことは、将来は関係ないと断言できます。明るく、他人と比較することなく、一定の教育をつけてあげて、人生に船出できる様にしてあげることが大切だと思います。後は、自分の努力次第でなんとでもできますから。今、なさっていることは、正しいことだと存じます。

wowmakotan
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 体験談、身にしみます。 >良いしつけと教育・・ ちょっと躾の部分では自信がないのですが・・・ でも、おかしな価値観を持たせないようにとは気を遣っています。 例えば、うちは小さい頃から特に母が、私がよくないことをするときまって 『近所の人が笑っているからやめなさい』 という風に、常に他人が見ていることを意識させて、 だからやめなさいという風に私をしつけたのですが、 そういう、他人の目を基準にするような育ち方はいけないな・・とか、 うちに車がないとしても、うちはうち・・という風に。 いけないこともいけないという風に、そういうところはもう後からでは 取り返しの付かない部分だと思うので、 なるべく正しい価値観を育てられるようには気を遣っています。 ただ、やっぱり母子家庭ってことで、そこで判断されたらかわいそうだなという思いは、 離婚後6年経った今頃になって心配になってきていて、 それは親のエゴだったなと反省しています。 お話とても参考になりました。 ありがとうございます。

noname#10008
noname#10008
回答No.1

ご質問者さんより年齢もした、 子供も年齢が下のものです。 当方、実家は小金持ち、 でも、私自身は 車も所持していないし、賃貸団地ずまいです。 「一軒や良いな-」「車、良いな」 と、いわれたら、「良いねー。」 しつこかったら、「私に、買ってよ」というのはダメですか? 率直に、うらやましがるのは いけないことでもないとおもうのですが。。。(うらやましさのあまり意地悪するとかなると問題ですが) 本当にものすごくお金持ち、 という人はそうでもないかもですが、 お金があればあったで、 「もっともっと、ぜんぜん足りない。」って 不満になるのは同じではないでしょうか。 親にお金があればあったで、配分でもめたり、不公平とごねたりする人、大人でもいます(いませんか?)。 恥ずかしながら、うちの実家や親戚でも繰り返し、そういう揉め事が起きてます。 ほしいなら、子ども自身が手に入れる、とおもうのも楽しいし、 あるいはただ単に、こうなったらうれしい、という夢を見られる、というのはしあわせかも、 と思ったので。 差し出がましいとはおもいましたが すみません。。。

wowmakotan
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 >お金があればあったで、 >「もっともっと、ぜんぜん足りない。」って 不満になるのは同じではないでしょうか。 そうなのかも知れませんね。 でも、テレビで見る限りは、日本って裕福になったなぁと実感することしかり。 実家の周りや、父の田舎へ行くと、次世代たちが立派な2世帯住宅を建てていたりして。 うちの実家は私が育ったままの家でわりと質素に暮らしています。 (あ、でもうちもある意味小金もちだと思いますね) 確かにお金があってもめるということはありますよね。 うちの父も、先日母が亡くなってから、 私と兄がけんかしないように、 お金はなるべく残さないから安心して・・と(笑)。 >ほしいなら、子ども自身が手に入れる・・ こんな風に思ってくれるならいいんですけれども。 差し出がましくなんてないですよ。 目に留めていただいて、回答くださり、ありがとうございました。