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アウグストゥス・カエサルの伝記
古代に書かれたアウグストゥス・カエサルの伝記で 一番評価の高いものを教えてください
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- 安房 与太郎(@bilda)
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ややこしや ~ オクタヴィアヌス=カエサル=アウグストゥス ~ http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080613 英雄伝 ~ 邦訳比較表 ~ プルタルコス《英雄伝》では「アントーニウス」の項に登場するが、 三種の呼び名が混在して(下記の訳注のように)紛らわしく影が薄い。 ── オクターウィア(大)。本篇一六節にあるガーユス・オクターウ ィウスの長女。セクストゥス・アップレイウスに嫁した。プルータルコ スはアティアを母とする次女のオクターウィア(小)と混同してゐる。 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/B000JBKG4K ── 河野 与一・訳《プルターク英雄伝(11)19560825-19910307 岩波文庫》P105 スエトニウス《皇帝伝》は、歴史資料としての評価よりも、伝説的な エピソードが通俗的に語られている。公式記録(碑文)の《業績録》は、 具体的かつ簡潔に“パックス・ローマ”の栄光を述べている。 ──(アウグストゥスの)いくつかの病気は毎年きまった時期にくりか えし患った。誕生日のころになると、いつも体の具合がわるくなったし、 春の始めには鼓腸で、南の烈風の吹く頃には鼻炎で悩まされた(P178)。 http://okwave.jp/qa/q2829641.html (No.6) ── 神君アウグストゥスの業績録(第二巻附録 P206-225) http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4003344014 ── スエトニウス/国原 吉之助・訳《ローマ皇帝伝(上)19860818-0905 岩波文庫》 ── カエサルを討った者は、「三年以上生き延びなかったし」「何人 かはカエサルを害したその剣で自害し果て」カエサルが遺言したとおり、 養子(妹の孫)のアウグストゥスが最後に勝利して、煉瓦のローマから 大理石のローマへと空前の繁栄をきずいた。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920315 三月十五日の余波月 ── カエサルの断行した《ユリウス暦I》は閏年に「二月二十三日を くりかえす」ため平年とおなじ二十九日でおわる。 四年ごとの閏年を、三年ごとに早まったため、アウグストゥスは「省 閏令」による《ユリウス暦II》を紀元前六年から後七年に施行した。 ── 《歴史研究 19920101 新人物往来社》P058-059 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920101 西暦元年元旦の曜日