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快晴のとき合成写真のように見えるのは?

こんにちは。 私の住んでいる地域では今日快晴でした。 青がとてもきれいです。 しかし、快晴のときは景色がまるで合成写真のように見えることがありますよね。 これは何故なのでしょうか? 空がきれいなので歩いていて楽しいのですが、違和感を感じてしまって勿体ないです。 特に校舎などの建物は合成写真らしさが強いように感じます。 光のせい?色のせい?人の眼や脳の構造のせい? それとも全く別の理由でしょうか? 文系学生にも理解できるように説明していただけると嬉しいです。 理科だとは思うのですがカテゴリもよく分かりませんでした。不適切だったらごめんなさい。 どうぞよろしくお願いします。

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回答No.2

私も、快晴のときや 真夏の日中に表に出ると、景色の画像がまるで違う感じを受けます。 私は合成写真というよりも、まるで写真みたい、なんて輝いているんだ、なんでこんなに透明感があふれているんだというように感じます。   いくつかの画像 建物に日光照射 http://blog.sagafan.jp/usr/roumonasaichi/001%E5%BF%AB%E6%99%B4.JPG 海に光り http://pcwphoto.lomo.jp/images/photo/2005_guam/2005_guam_0411l.jpg 阿蘇 http://www.env.go.jp/park/aso/photo/files/a01_b01_p012.jpg 里の道 http://4.bp.blogspot.com/_oQByOnz2XUs/TGEWToa6qVI/AAAAAAAAARU/kTnGml2gSKw/s1600/hakusyusanpomichi.JPG くすんだ校舎 http://saitaman.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2010/01/08/dscf9027a.jpg 海浜の枯れ木 http://digitake.com/etc_img/CIMG4720_2.jpg エーゲ海に臨む街 http://www.wallpaperlink.com/images/wallpaper/2006/0606/02308x.jpg 夏のおやつ http://www.e-furikake.com/recipe/img-recipe/259.jpg   色の三属性:色の見えは光源や物体によって変化するが、色味とその濃淡(鮮やかさ)や明暗を具えている点で共通する。色相、彩度、明度、合わせて色の三属性と呼ぶ。 彩度は色の鮮やかさを意味する。物体の分光反射率が平坦になる程、彩度は低くなる。また、色相によって彩度が高いときの明度が異なる。明度は色の明るさを意味する。明るさ(brightness,luminousity)は知覚に強く影響する。   快晴や夏の日中は光量が多く、空を含めあらゆる方向から多量の光が注ぎ、あらゆるものが明るくなるだけでなくて、色々な色相の光を反射している状態だと思います。 暗いときには、例えば1~500段階の可視光が眼球に飛び込んで色覚細胞などを刺激しているけれども、明るいときには、例えば500~500,000の499,500段階の可視光が眼球に飛び込んで色覚細胞などを刺激しているのではないでしょうか。 白でも青でも、黄色、赤、緑、茶色、黒でさえも、複雑な色から構成されるグラデーションで迫ってくるのが快晴時で、曇りのときとは全然違うのではないでしょうか。 光量が増えると、単に明るくなるだけでなくて、彩度も上昇し、色相も豊かに変化する。古ぼけて汚れくすんだ色に見えてていたコンクリート壁でさえも輝きを増し、網膜に映る画像の表情(色彩、彩度、明度、グラデーション、輝きや影)は豊かになるのでしょう。 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c1/Saturation.gif   画像処理した写真や映像、豊かな色彩感覚を持った画家などの作品を見た経験がある人は、光線にあふれて表情が豊かになった画像を見たときに、「合成写真みたいだ」「まるで写真みたい」「絵みたいにきれい」と思ってしまうのでしょう。 透明感あふれるというのも、一つの光点からくる波長が1つではなくて各色が混じり合い、さらに近隣の光点は違う波長や光量でくるという微妙かつ変化に富んだ構造で画像ができているからでしょう。暗くてくすんでしまう光線では透明感を出すのも大変ですが、明るい大光量だと景色でさえも透明感があふれてくるのではないでしょうか。   単純に言えば、明暗を感じる細胞、色によって反応が異なる3種の細胞、脳の記憶や認識の仕方が、多方面からの大光量の多彩な乱反射によって、大きく影響されるということではないかと思います。

me-rukitakana
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人によって感じ方もいろいろなんですね。面白いです。 画像も拝見しましたが、とくに「エーゲ海に臨む街」の画像は「そうそうこんなの!!」という感じでした。 「単純に言えば~」でまとめてくださったので嬉しいです。 光の量や強さ、明るさ等環境的な要因と、細胞や脳といった要因とが関係しているんですね。 経験による影響もあるのでしょうか。私はあまり芸術に触れる機会がないのですが、たくさん絵を描いておられる先輩がいるので今度お会いしたときにきいてみたいです。どんな見え方をしているのか気になります。逆に赤ちゃんだとどう見えているのか…これは確かめるのも難しそうですが。 詳しいご説明ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • FEX2053
  • ベストアンサー率37% (7991/21371)
回答No.1

私はそう言う気はしないので、これは「多分」になりますが・・・。 そもそも夏の快晴の時は日差しが強く、真上から光が差し込むために「コントラスト」が強く、ものの「エッジ」が強調された写真になります。合成写真は原理的に「組み合わせる被写体」単位で別々の写真から引っ張り出したものですから、合成した時点で境目に「エッジ」がたった状態になりますので、快晴の時の写真に近く感じるんじゃないかと。 校舎などは水平・垂直がきっちり出るだけでなく、基本的に「光が多く反射する薄い色」であることが多いので、より「エッジ」が強調されるんだと思います。

me-rukitakana
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「コントラスト」と「エッジ」ですか…。 境界線がはっきりくっきりしているという感じなのでしょうか。 それが合成写真の特徴と似ているということですよね。 分かりやすくまとめてくださってありがとうございました。

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