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自分が、、、
私は見た目は自信満々で気丈夫で強いくて怖い人。 9割以上の人はそう言います。 しかし、実際は全く別人なんです。 自信もなく気が弱くて泣きむし、、、 でも、自分のイメージを壊せなくて、しかも誰にも話出来ません。 出来ないと言うより、聞いてくれる信頼出来る人がいません。信頼できる人なんて現れないとすら思っています。これは、まさかウツ病? 仕事もある程度順調です。自分を隠して常に自信満々だから。 きっと誰しもこんな気持ちで日々生活しているとは思います。 誰にも頼らず、どうすれば気が楽になりますか? 逃げ出さずに… お時間ある時にご返答頂きたいです!
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そのままのスタイルで続けて見てください。 経験を積むごとに、少しずつ、楽になります。 最初は何事も大変です、時間と共に大変さは無くなって、普通の時が過ぎていくようになります。 信頼できる人は、なかなかいませんが、そのうち現れます。 うつではないです、少し疲れているだけだと思います。 身体が疲れると、心もそれにつれて落ち込んできます。 休みの日はしっかり身体を休めてください。
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- papanda26
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本当の自分はどうか。よりも、どういう自分が好きか。ということを考えてみては? 人間みんな、置かれた状況によって自分を使い分けてるんだと思います。 そのキャラがそんなに違わない人もいれば、すごい違う人もいる。それは個人差。 仕事の自信満々キャラが偽物で、一人の時の弱気な自分が本物。と考えずに、どちらも自分なんだって受け入れてあげてください。 自信満々で強い自分は嫌いですか? 弱音ばかり吐きながらメソメソ仕事をする人間になりたくないから、今までの自分とは違う強い自分を出してみたんじゃないでしょうか。 でも、強いばかりの自分も損することありますよね。 警戒されて人が近づいてこなかったり、強いと思われて辛い仕事を回される時もあるでしょう。 いきなり今まで隠してた弱い自分を出すのは難しいでしょう。 でも、少しずつ、ポロリをしていってもいいのかな…という気持ちでいるのがいいのかも。 職場に信頼できる人がいない(=弱い部分を少しでも見せたら付け入られる、悪口を言われそう)というのであれば、仕事はお金を稼ぐ場と割り切って人間関係を豊かにする場とは捉えない。もちろん弱い自分を出す必要もない。 でも、そうでないなら、相手の愚痴に乗っかるように「私だってそういう時あるよ」とか 少しずつ意外な面を見せていってもいいのかな~と思います。 全部じゃなくて、ちょい出ししてみて、信頼できる相手かどうかはそこで判断すればいいと思います。 簡単に人を信頼しないことは、長所でもあると思います。 そういう人は、信頼できる人を見つけたらとっっても大切にできる人だと思いますよ。 今はまだ完璧なカベの中にいるようなものですから、信頼できるできない以前に、その判断材料すらない状態です。 無理してポロリする必要はないですが、チャンスがあったら一歩踏み出してみてもいいと思いますよ。
お礼
ご返答ありがとうございました。 独りになった時の弱い自分が嫌いです。 だから強がって理想の自信満々の人間を演じていますが、それはどちらも私だと思えたら自分が好きになれそうです。 ポロリと出せる人が現れれば良いのですが、、
- sentsuku
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まず、順調に生活できているなら、それは「うつ病」ではない。 病であることの定義が、そもそも「心身に何らかの支障をきたす」ことを前提にしているのだから。 心に支障を来たしているなら、病である可能性を考えて専門医に診てもらうと良い。 「自分」と言うとき、実は色んな考え方があり得る。 自分が抱いている「自分像」を「自分」だとこだわり過ぎると、「自分探し」とかおかしな話になってしまう。 「自分像」には大きく分けて2つの「自分像」があると思う。 1つは上にも書いた自分が抱いている「自分像」、もう1つは他人から見た「自分像」。 この2つは別のものではなく、同じ「自分」を見ている。 視点が内側からか外側からかの違いだけ。 極端な言い方をすれば、関わりあう人間の数だけ、それぞれの「自分像」がある。 相手から見た「自分像」に責任をもつ必要もないし、わざわざ変えてやる必要もない。 「自信もなく気が弱くて泣きむし」だからこそ、世の中で生きていくための必要性として、「自信をもっている」必要があると感じるのではないですか。 だから、「自信がある」ように見えるなら、それで何ら問題は無い。 自分が弱気になったとき、「本当は自分は自信なんて無い、周囲にもわかってほしい」と思うのかもしれないけれど、自信がなくても思い切ってやって結果が悪くなければ周囲には「いつも自信満々」に見えるだけ。 単に、弱音を吐かないようにしている結果に過ぎないのでは。 でも、それは長く続けてきたことで、職場の中では質問者さんの「強さ」になっているはず。 他人から見た「自分」にそう判断できる側面を持っているということ。 (これはプラス材料と言える。逆に「一生懸命にやっているのに自信が無いように見える」ことと比較すれば良い。) 問題は、質問者さんが自分の抱いている「自分像」と他人から見た「自分像」の違いを意識し過ぎていることではないでしょうか。 でも、自分の抱いている「自分像」が「自分」のすべてなのでしょうか? 他人から見た「自分像」を無視して、自分の抱いている「自分像」だけが「自分」であるということは起こり得るのでしょうか。 結局のところ、自分の抱いている「自分像」も他人から見た「自分像」も、しょせん、「自分」の一面を見ている過ぎないのではないでしょうか。 他人から見た「自分」には、自分からは見えない「自分」の側面も含まれている。 そう考えると、「自分」なんて、どんなものだか自分にも永遠に分からない気がします。 見えているのは、すべて「像」である。 なんだかんだありながらも、世の中で生きていけているなら、「それで良し」ということだと思うのだが。
お礼
ご返答ありがとうございました。 他人が見ている強い私と、私自身が思う弱い私はどちらも自分だと受け入れれば良いのですね。 弱音を吐きたい時もありますが、きっとそんな自分が嫌だから出していない。 プラスに考えると楽になるのかも、、思いました。
週末だけ人知れず鎧を脱ぎな。そこで裸のあんたを好きになってくれる人を見つけることだ。絶対に人前で脱いじゃ駄目だよ。今までの苦労が水の泡だ。あんたが鎧を脱いだ姿を知ったあんたの相手は感激するだろう。人って落差のある方が面白いんだよ。
お礼
ご返答ありがとうございました。 週末はなるべく人に会わないようにしていました。 また疲れそうで、、、 苦労が水の泡。本当ですね。
- sool56
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無理して自分を隠す、必要無いと思います。 自分は自分ですから、人の目を気にしなければ楽ですよ 世の中で完璧な人間なんていませんから 皆、大なり少なり本当の自分を偽って生きてるんです。 偽るって言うより理想の姿を演じてるの方がいいですね 今、あなたが弱音を吐いても誰も咎めません だれにも頼らずに生きていけたら楽ですよ でも頼らず生きるって事は誰にも自分を見せないって事ですよ 自分を隠してたら、周りの人もあなたに本当の自分を見せてくれないでしょうね お互い本当の姿がみえないんじゃあ本音で話し合えないでしょう。 自分に無理をしないで、肩の力抜いていきましょう どんな悩みも生きてる今だけの問題ですから大した事無いですよ。
お礼
ご返答ありがとうございます。 確かに自分とは正反対の理想の人物を演じているんだと思います。 今さら本当の自分を簡単には見せられませんが、少し肩の力を抜いてみます。
お礼
ご返答ありがとうございました。 最近は疲れていて、誰かに頼りたいのに…弱音を吐くところがなくて、、 こうして真剣に私の話に耳を貸してくれる人がいると思うと、感謝の気持でいっぱいです。 時間が経つのを待ってみますね。