- ベストアンサー
自信のない自分と向き合う方法
- 自信のない自分と向き合い、自信を持って生きる方法について考えます。
- 自分が人とは違うと感じていることが自信を持てない原因です。常識に囚われることなく、自分を受け入れることが大切です。
- 自信を持つためには、日常生活で自分を鍛えることや心の余裕を持つことが重要です。仕事と家族の両方に向き合いながら、自己成長にも時間を割くことが必要です。
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
回答者のみなさん、いいことをおっしゃいますね。 こういったことは視点が多様なほど、質問者さんに資することになると思うので私も参加させていただきます。 「常識というものがずれている」と、異質という印象を他人に与えます。 異質なものに対して人は無意識に怖れを感じるため、排斥したり、無視したりしようとする傾向があります。 これはむしろ本能的なものですから、「常識というものがずれている」という認識がおありでしたら、まず、異質と見られることは止むを得ない、とお考えになってください。 たとえば、生活習慣の異なる外人さんが隣に引っ越してきたりすると、興味を持ちながらも、ある種の怖れの感情も人は同時に持つものです。 昨今では、そういうことも少ないかもしれませんが、わたしの子供の頃には「や~い外人」などという文言が悪口として通用していた時代もありました。 むろん、こうした悪口は主に子供の口から出るもので、外人であることが悪いことのように言ってしまう自分を恥ずかしく思うのがまともな大人です。 なぜまともかというと、外人であること自体に悪口に相当するような理由がないことは論理的に明らかだからです。 ただ、本能的な感覚を制御できない、つまり、精神の発達していない人は異質と感じる相手に対して、安易に、自らの(本能的な怖れという)感覚だけに頼って人を判断したり、物を言ったりします。 こういう人間の群れにあって、自信を持ってものを言えない、というあなたの感覚はむしろ自然でしょう。 しかし、よく考えてみると、あなたのこの感覚もまた他者に対する怖れからきていることになると思います。 そこで、他者というものは本当に怖れるに値する存在なのか、と考えてみましょう。 述べてきましたように、あなたが怖れる対象としている他者とは、いかに立派な肩書きを持っていても、「本能的な感覚を制御できない、つまり、精神の発達していない人」です。 「常識というものがずれている」こと自体に何ら本質的な問題はないのに、単に自分とは違う、というだけで怖れていることになるからです。 たとえば、現在の世で、黒人であることを理由に差別する人は稀でしょうが、ほんの数十年前までは、白人と同じバスに乗ることすら法律的に認められていない時代がありました。 その当時、言ってみれば、白人であることが常識で、黒人であることは「悪いこと」という認識が蔓延していたことになります。 このとき、黒人本人が、「何とか白人にならなくては・・・」と考える必要があったかと言えば、それは違うはずです。 白人になろうとするために葛藤が生じるわけで、それを生じさせないためには、黒人であって悪いことは無いはずだ、といった黒人自身の正しい認識が必要になります。 このように考えてくると、「常識というものがずれている」かどうかは、別に大した問題ではないことがおわかりになるでしょう。 それを問題にするのは、先ほど申し上げたように精神的に未熟な人たちです。 そうではない人々が案外多いことにも、おそらくお気づきでしょう。 そうした現実と、縷々申し上げたような、論理的な思考によって、ぜひ自信を自らに植え付けていただきたい。 このように思います。 また、常識のもろさ、曖昧さという点にも是非目を向けてください。 昨日の常識は今日の非常識、今日の常識は明日の非常識です。 そもそも、常識によって人間が幸福になることはありません。 他の大多数と同じ考えであれば、とりあえず安泰かも・・・、といった、極めて軽薄で、情け無いアイデンティティを維持する根拠として、常識というものは存在しているだけです。 極端に無視すると別の問題が生じてしまいますが、無闇に信奉する必要も、怖れる必要も全くありません。 「常識というものがずれている」としても、人間を絶対的に正しく導く常識というものは存在していません。 もし存在するなら、常識人を標榜する人々は全員幸福な生活をしているはずです。 しかし、現実は違いますし、むしろ全く逆でしょう。 常識外の思考からしか、人類は救いを得られないかもしれないのです。 (程度問題はありますが)「常識というものがずれている」ことによって、むしろ人類にとって正しい道を見つけ出せる可能性が高い、という側面も真実としてあると思います。
その他の回答 (12)
- yam yam(@ukyo6133)
- ベストアンサー率50% (14/28)
「自分を確立している」のは「自分が人とは違う(常識というものがずれている)人間」であってもなれます。 「自分」を持っている人は基本的に2種類いて、 ・全てを一から考えて自分で判断する人(時には常識からはずれることも) ・周りが固めた「常識」が一番だと信じている人 自分に自身を持ちたいなら自分が何を思って、どうしてこう思うのか。 怒りを覚えたら何に?なぜイライラするのか。それは傷ついたせいか。ただのやつあたりか。 自分の感情を正しく理解すれば余計ないさかいもなくなります。 それと、「常識」を一から考え直すのもいいかと思います。 深夜に相手に電話をかけるのはなぜいけないのか。お客相手になぜ敬語を使うのか。 周りから与えられた「常識」を考えていけばそれが自分の考えになり、思っていることをスラスラいえるようになります。 「周りはこう考えるけど、自分はこう思う」。それだけで自分を確立できます。 他者と意見がぶつかったら「こう言う考え方もある」と覚えておけばより人間が大きくなれると思います。
社会生活上の緊張感とでもいうのでしょうか 誰でも程度の違いはあっても 「オドオド」はあるように思います。 こういう事はこれでいい といった割り切りが出来ない、難しいという感じは誰にでもあると思います。 人は朝起きてから寝るまでの間 次から次へと様々な判断を下して生活してゆくわけですが でも それは見方を変えれば 生きてゆく新鮮さがあるという事だと思います。 「オドオド」が無くなってしまったら 生きてゆく事が虚しくなってしまうかもしれません。 「オドオド」が少しはあってもいいのだと前向きに捉えてください。 「オドオド」への対処法は 数多くの人と話をして ごく一般的な社会的常識の有り方を広く知ることだと思います。 こういう事はこれでいい といった目安を知ることだと思います。 俗にいう社会勉強というものでしょう これは 本を読んで知識を身につけるだけでは駄目で とにかく人と様々な話をする事が一番良い方法だと思います。 そうすれば自然と落ち着いて 誰とでも話ができるようになると思います。 あとは 人と話をする時に自分を飾らないことだと思います。 飾ると窮屈になって余計に「オドオド」してしまう感じになります。 飾らない自然体で 言葉を大切にしながら話をしてみてください。
簡単にお答えします。自分と同じように、常識がずれている人を見つければいいのです。そうすれば、「この人も同じなんだ」とか「この人よりはマシ」と思って、次第に自信がつきますよ。交友関係を広げる事をお勧めします。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
>このように「自信を持てない自分」「常に何かにオドオド・ビクビクしている自分」から脱却するには、あるいは自信を持って生きている人はどういう気構えでいるか、アドバイスをお願いします。 ○ みんなあなたと同じなんですよ。本性を鎧兜で隠しているだけです、あるいは鎧兜が自分だと間違って信じているだけですよ。年を取れば学歴、地位や名誉や肩書きなど無くなりますからなんの役にも立たなくなります。つまり、自分自身だと思っていた鎧兜がなくなった時、哀れになりますよ。遅すぎる哀れさですね。 あなたは、鎧兜のない自分をさらけ出しているわけですから、自分自身を誇りにすればよいのです。 人間に生まれて、そんなに差があるわけではありません。みな五十歩百歩ですから、よーく見てごらんなさい。私は、人間観察が好きで、駅前の小さな公園に腰掛けて行き交う人の群れを見ていたことが多くありますが、自信ありげな人など一人もいませんでしたね。確かに話すと一人前のことは言うのですよ。でもそれだけなんですね。私も含めて歴史に名を残すような人はいないのですよ。このカテの回答者も誰ひとり後世に名を残すことはないでしょう。ほとんどが無名の旅人でしかないのです。 みんな中身は孤独で寂しいのです。孤独で寂しいから集まり多くの人が存在するのですね。そのことがわかればいいだけだと思いますね。 みな孤独でビクビクしているのです。ひとりひとりが違うからなのですね。だから信じて生きるしかないのですね。だれもあなたを害さないし、お互いに害さないことを信じて生きること、それが自信を持って生きるということなのですよ。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
哲学のカテゴリでご質問されたので、哲学的に吟味してみますか? >「自分が人とは違う(常識というものがずれている)人間である」 この括弧の中が問題ですね。 「自分が人とは違う」≠「常識がずれている」です。 目指すべき状態は「常識ずれてない」で、かつ「自分は人とは違う」という状態です。 >自信を持って生きられる人生を送るには、日常生活で、何をすればよいでしょうか。 最初は、他人の言動を気にしないことです。 たとえば、ゴルフの宮里藍やピンポンの福原愛ちゃん、初期の頃、テレビインタビューで自信を持っているように見えました。でも、あれは無知による自信でしたね。その後、成長するにつれて無知が改められて、だんだんと謙虚になってきたとおもいます。 でも、質問者さんが最初に目指すべきは、「無知に基づく自信」で良いと思います。 子供じゃないから、無知じゃないから、自信を持ちにくいのでしょうけれど、最初は「無知であるがゆえの自信」でもよいです。質問者さんの場合は、あまり周りの人々の事を考慮したり、想像したりする必要ないので、自分の独りよがりから始めてはいかがでしょうか?
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
自分を知らないから自分や他人にびくびくするんですよ。 そもそも自分をやる(変な言い方だけど)のに自信なんていらないのです。 自分を知ると人間という生き物の特性が分かってきます。 そうすれば他人という生き物も理解できるようになります。 理解すればおびえなくてすむのですから自信なんて必要なくなるのです。 勇気が必要なのは恐怖があるときです。 恐怖が無ければ勇気など無用ですね。
お礼
自分を知れ、ということですか。ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
慢心と自信は違います。 オドオドしたところで得るものはありません。 自信のなさが向上心につながらない事こそが問題です。
お礼
ありがとうございます。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
awa3yeeさんに当てはまるかどうかは分かりません。 私の場合を述べてみます。 自分に自信が持てない、というのは・・・・・ 能力の伴わない自尊心の強さ。これが原因だ、ということです。 自尊心の強さは、他者に自身の評価を下げて見られたくないという気持ち、裏返せばいつも評価されていたいという気持ちなのです。これが自尊心の内容なのです。 だから否定されたくないので自分を隠すことになり、自己表現をしなくなる、できなくなる、したくなくなる、と言ったふうになります。 そうして私は、プライドの高さに伴なう能力のないことを知られたくなくて(これは感情であって理屈での事ではなく、いわば本能的なものです)人を避けるようになりました。 だから友達を作れず、作らず、今日に至っています。 人との接触は仕事を通してのみで、そこでは「明るく元気に」一日を過ごしていますが、私生活になると「他人」を拒否する自分に戻ります。 この回答にawaさんが共通する部分を感じるのなら、私のアドバイスは「自分をさらけ出してしまえ」です。 自尊心を捨てろ、です。
お礼
自尊心を捨てるのですか。自尊心は誰しもに備わっている本能のようなものだと思うのですが。ありがとうございます。
- gracemint
- ベストアンサー率31% (33/106)
>「自分が人とは違う(常識というものがずれている)人間である」 まずどっちにいきたいかはっきりさせることです。 常識外れを不徳としている、自分の非常識を治したいというなら、世間や他人の常識を徹底的に研究して自分を殺せばいい、自分はそれができない、ずれていても自分の常識こそが世界だと考えているのなら、その言い分を貫けるよう自分を研究する。 どちらにも大きなメリット・デメリットがあります。 今のあなたはどちらにいけば得か損かを判断しあぐねてるだけの気がします。
お礼
得か損かの問題ではないように思うのですが。ありがとうございます。
- 1
- 2
お礼
何だか温かいお言葉をありがとうございます。自信が持てるようになりたいです。