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江戸時代、子どもが書いた手紙
江戸時代の子どもが書いた手紙を読んでみたいです。 子ども(15歳までくらい)の書いた手紙が載っているサイトをご存知の方、サイトを教えてください。 手紙の内容は問いません。原文でも活字体でも可。 よろしくお願いします。
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見当違いで御期待外れならば笑って許して下さいm(_"_)m 現時点では、何方様からも回答がない御様子なので、 参考にカキコミさせていただきます^^ 寺子屋・指南所などの往来物なら多数あるようですが… 残念ながら現時点では普通の子どもの手紙は見つかりません。 古文書などを鈍意検索中ではありますが… 先ず初めに… ◇但馬歴史文化研究所>「理玖とその周辺のページ」 内海定治郎原著改訂『豊岡と大石内蔵助夫人』目次 第二編 史實の考証 http://rekibuntajima.web.fc2.com/ldhp/riku/utumipdf.html ◆http://rekibuntajima.web.fc2.com/ldhp/rikupdf/utumipdf/2-1.pdf 『第二編 史實の考證/十、大石主税の元服』<16下段/17>によれば 大石良金(主税)が元服の時期についての文書は、 元祿十四年十二月二十七日良金から(赤穂)神宮寺宛の書に 「尚々如(レ)仰拙者儀去ル十五日元服仕」とある。 本人の書状でこれは間違いはあるまいと思われる。 討ち入り時点で数えの15歳、元服ということは、 それ以前に下記の手紙を書いた時には満13~14歳ってことでしょうか。 ◇大石主税の書状発見「父と同道し遠方に参ります」(2010/01/30 22:07共同通信) http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010013001000618.html ◆赤穂浪士・大石主税の手紙 - 高取の民家で発見(2010年2月1日奈良新聞) http://www.nara-np.co.jp/20100201172906.html ◇あがたい(県居)じじいのつぶやき「今度は大石主税の手紙発見!」 (2010-02-10 09:55:42) http://ameblo.jp/agatai/entry-10449630815.html#main 討ち入りの約3カ月半前の日付で 「近いうちに、父内蔵助と同道し遠方に参ります」との記述があり、 書状のあて先は、内蔵助の妻で主税の母りくの叔母にあたる 高取藩の筆頭家老中谷清右衛門の妻香(こう)。 「それ(内蔵助との同道)につきまして、何よりの物をお送りくださり、 かたじけなく存じます」と感謝の言葉が記され、 父子の江戸入りを知ったとみられる香が 支援のために何らかの品物を贈ったことがうかがえる。 「ことのほど取り込み」と、出発が近づき慌ただしさが増した様子もつづられていた。 末尾には元禄15(1702)年の「閏八月廿七(27)日」と日付がある。 筆跡を鑑定し、主税の直筆と判断した兵庫県豊岡市立出土文化財管理センター ◇とよおか発掘情報(By 豊岡市出土文化財管理センター) http://www3.city.toyooka.lg.jp/debun/index.html には残念ながらそれらしい記述・画像はありません。 以上 御参考まで ところで… goo-par1732 様の幻の御質問「庄屋・名主・肝煎」の件、広い世の中には 興味を抱き鈍意調査中(難問なので未だ結論に至りませんが)の 私のような暇人もいるのですよ~^^ せめて第一報だけでも投稿しておけばよかったかと悔やんでおります(><) 厚かましいとは思いますが、途中経過の一部を披露させていただきますと… 『農政座右 巻之一/水戸楓軒 小宮山昌秀著(文政12<1829>年己丑五月)』 『改正補訂地方凡例録[第7冊]巻之7(上,下)/大石久敬著/見山楼蔵版/1871』 『鄕村考(謄写版)/參事院/刊年不明』 『日本財政經濟史料[第2冊]巻二/大蔵省編/財政経済学会/大正11.7』 「經濟之部一/第五 農政」(未完読) 『日本財政經濟史料[第5冊]巻六/大蔵省編/財政経済学会/大正11.12』 「經濟之部三/第五 農政」(未完読)などを紐解き、 「東京大学史料編纂所>データベース検索」にて下調べをして、 (ネット上で)各地域に赴き古文書巡り… 名主・庄屋の「東西分岐」探しを第一目標にすると、 (天領・藩領など細かいことを別にすれば)現時点で暫定的に考えられることは [名主]「群馬県・埼玉県・神奈川県・山梨県」 [庄屋]「新潟県・岐阜県・福井県」 [肝煎]「石川県・富山県・福島県(会津藩)」 [名主・庄屋混在]「茨城県・長野県・静岡県」 ってところでしょうか。 過剰な期待は禁物ですが、乞う御期待^^何てね…
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- dayone
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こんにちは、再登場をお許し下さい。 No.1の後半に余計なカキコミをしたばかりに お手を煩わせて誠に申し訳ありませんm(_"_)m 「譜代大名同様に庄屋・名主の名称使用を許され、 元禄七年に検断を庄屋、肝入を名主に改めたと 『八戸藩史料(109頁)』に述べられている。」旨を 私も読ませていただきました^^ 譜代大名か否かなどの観点は全く意識していませんでしたので 御陰様で大変勉強になりました^^ でも同時に、ますます頭の中が混乱してきました(><) 私自身改めて態勢を立て直し、 再度情報収集に励みたいと思います。 では、今回はこれにて失礼致します。
お礼
態々調べて下さってありがとうございます。 数え15歳で亡くなった大石主税の手紙が見つかったのですね。 どんな気持ちで書いたのでしょうか。 忠臣蔵がぐっと近くなった気がします。 ところで「庄屋、肝煎」の質問を早く締め切って申し訳ありません。 実は、弘前大学のリポジトリを利用して、江戸時代の農民の生活に的を絞って論文を読んでいるのですが、「八戸藩の農民統制(上) 工藤祐董著」の論文に次のような一節を先日見つけました。これをヒントに調べなおすことにして、質問を締め切った次第です。 歴史には全くの素人ですから、ただふと思いついた疑問を質問したり、ちょっと調べたりしているだけです。 お手数をお掛けして申し訳ありません。 「二代藩主直政が将軍綱吉の御側衆や側用人を勤めた際に譜代大名の待遇を与えられ譜代大名同様に庄屋・名主の名称使用を許され元禄七年に検断を庄屋、肝入を名主に改めたと『八戸藩史料』に述べられている」