• ベストアンサー

よく説教される人というのは

基本的には、間違ったことが許せないという正義感が強い人なんでしょうか。 また、間違っていることをわからせてあげたいという、思いやりのあふれる人なんでしょうか。 どう思われますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • seiso
  • ベストアンサー率20% (73/352)
回答No.5

こんばんは。 私は「説教」を聴くのが大好きな人間です^^; 自分より年上、年下関係なく、真理、道理をついてることを言われるとああ、なるほど、すごいな!と思いますし、大人に限らず、子供などは特にストレートで、直観力に優れたところがありますから気付かされることが多いですね。 (事実、子供に聞いた方がはるかにいい意見が返ってくることがあります) >>間違っていることをわからせてあげたいという、思いやりのあふれる人なんでしょうか 本当に「思いやり」「正義感」で言っているのか、ただ言う側の「自己満足」に過ぎないのか、というところが焦点になるであろうと思いますが、素直にきく姿勢が大切じゃないかなと思うんですね。 言ってもらえるということは、無視、無関心でいられるよりずっといいわけですから、言われる側もちゃんと相手をそれなりにわかっていれば、納得もいきますし。 TPOも考慮に入れて、注意を促すぐらいですむことが、相手の「自我」も加わりすぎてしまうと本当の悟す「説法」というより「説教じみた?」とういう感じに捉えられてしまうかもしれませんね。

kdscc
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね、子供からの説教は意外と有効かも知れないですね~

その他の回答 (5)

  • mayukitti
  • ベストアンサー率25% (84/333)
回答No.6

私は、明らかに、お説教する相手が、間違った行動をしている場合に限り、お説教しますね。 一番最近のお説教は「友人が、だんなさんと、マンネリ化しており、女の幸せを求めたい」 と言う内容に対するお説教です。自分ではお説教とは思ってなくて、アドバイスだと思って話しているのですが、多分考え方が違う人から聞けば、お説教なのでしょう。 そのまま突っ走れば、今はいいにしても、10年後の惨めな姿が、想像できるので、必死でアドバイスしました。 こういう私は、上記の2つプラス、おせっかいなひとだと思います。

kdscc
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • sho_ta
  • ベストアンサー率7% (2/26)
回答No.4

はじめまして。 他人に対する説教は、結局のところ「自分に対する説教」ではないでしょうか? 自分自身に厳しくできず他人に対して転嫁することで、安心しているのではないですか? ※あくまでも僕の経験上 説教された時、「おまえに言われたくないよ!」 という事、多いですよね。

kdscc
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>説教された時、「おまえに言われたくないよ!」 >>という事、多いですよね。 確かに・・・・

noname#5973
noname#5973
回答No.3

うっかり,いつも愚痴が長い人に 説教してしまい, 「説教しないでよ」などと言われたことがある者です. 自分は↓そうなのですが, 「もったいないぁ,答えがそこに落ちてるのに,拾わないなんて...」 と言う気持ちと,「改善したいのであれば,堂々巡りの愚痴はなにも生み出さないだろう,」 「同じことを何度も聞いたなあー.これからもこのままなんだろうか」 と言う感じです.もちろん自分も愚痴は、いいますから,相手より自分がえらいのだ!というのはないですが, 一時的に 偉そうになってしまいます. 自分が正しいからおしえてやらねば!と言うよりは, もっと好転する方法がありそうなのにな... と言うかんじなのですが。。。 思いやり,あふれるほど持ち合わせていないし, 100%思いやりからではないですが, ゼロでもないです. 人の言うことの,自分のためになる部分をどんどん取 入れて すすんで行く人もいるし, 悩みのせいで 自分のことで頭が一杯(人の言うことがうるさくしか聞えない) もいると思うので, 実生活上,後者には もうなにも言いません.ちょっとだけあった,思いやりを捨ててます.

kdscc
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • yu-taro
  • ベストアンサー率39% (3209/8203)
回答No.2

   kdsccさんんばんは。 説教好きな人というか、説教というのは、元々ありがたいものなのです。高僧から一般の人にお説教をするときに「ありがたいお説教を受けた」と表現することがあります。  貴重な経験から分かる大切な事を説明しておしえてもらう、教えていただくという謙虚な気持ちがあれば、とても自分にはプラスになるものです。  お説教をする人は、人生のアドバイスをする人とも言えます。その人に必要であるからお説教を受けるという事でもあると思います。何かが足らない、欠けているという事に心当たりが有ってお説教を受ける認識があれば、それはその人が謙虚に受け止めることが大事だと思います。  お説教では、10年位前でしょうか。ある寺の住職が「人間は必ず死ぬ、どんな人でも間違いなく死ぬ。だから生きているうちにやりたい事をする。良い事をする。・・・」というかなり衝撃的なお説教を受け、今でも記憶に新しいです。  繰返しますが、お説教とはもともとはありがたいものなのです。言われた事をうまく自分にプラスになるように取り入れましょう。

kdscc
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かにためになるものもありますね。

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.1

説教される人ではなく、する人ですか? 私が思うに、自分がその状況に耐えられないから説教をするのだと思います。 放置できない、気に掛かる、気に障る、それに耐えられない。我慢出来ない、気になりだしたら止まらない。 そしてその責任を原因を作った人に転嫁している部分もあるでしょう。 「俺が耐えられないのは、お前のせいだ」というのが、どこかにあると思います。 逆に、もし相手の立場が自分より上だったりしたら、耐えてしまうわけです。 説教できる相手を選んで説教してるのですから、ちゃんと計算が働いていると思います。 それが実態だと思います。(自分のことも含めて)

kdscc
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>説教される人ではなく、する人ですか? はい、説教する人です。 >>私が思うに、自分がその状況に耐えられないから説教をするのだと思います。 >>説教できる相手を選んで説教してるのですから、ちゃんと計算が働いていると思います。 正義感が強い・思いやりにあふれている とはかなり違っているみたいですね。

関連するQ&A