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異なる説を支持する院生への指導方法は?
- 大学の先生方にお伺いします。ご自分の指導するべき院生が、ご自分の学説と異なる説を支持している時、どのように指導しますか。
- あるいは、どのように指導するのが適当だと思われますか。そして学振の申請をはじめとする院生の人物と学業を記述する欄で、その院生の評価を下げようとお考えになりますか。
- 異なる説を支持する院生に対する指導方法や評価の考え方について、ご意見をお聞かせください。
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個人的な「見解の相違」という部分があります。ぼくが院生として指導を受けたとき,「そりゃ見解の相違だね。ま,君の勝手にやりたまえ」で打ち切られ,それ以上はつっこまれないことがありました。30年たって立場が変わってもおなじです。ただ,首尾一貫した,かつ他人を納得させるだけのデータと論理は求められます。それがなければ評価を下げます。 ついでにいうと,どこからか変てこな論文を探しだしてきて,それにかぶれたような言説をふりまわす院生もいます。こちらのほうは,あまり頭がよくないんだろうとみなし,事実上の破門にします。
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- lanccet2
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教員から見たら間違っていると思っても、若い人の考えはできるだけ尊重するようにしています。そのかわり修士でお引取りいただきます。 「学説」と呼べるものなら、A説、B説の両面からデータを議論するのも面白いのでは。修論のレベルならそれも許されると思います。
お礼
どうもありがとうございます。問題はAかBかという二択で考えてしまう院生に、AでもBでもあるという俯瞰的な視点を持ってもらうことだと思えます。頭が悪いといえば、そうには違いないのですが、教育ですから、相手に資質がないと言って切って捨てるのも、どうかと思ったのでした。
- kgu-2
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基本的には、追放。 規則で、「指導教員」と明記されている。自分の学説に反するものを指導したいとは、考えない。入学時には、分かっているハズなので、それを隠して潜り込むのは、逆らっている、としか思えない。 自説に適した指導教員の下に行くのが、双方に幸福。
お礼
ありがとうございます。「指導したくない」とまでは僕は言いませんが、確かに闘争的な関係で相手が窮屈な思いをするよりは、別のゼミに行ってもらうのも、よい選択かもしれませんね。学内で移動できればいいのですが、しかし大学を移るまでとなるとお金がかかることですし、そうそう理想も言えないのが現状ではあります。
No.2のさらに補足。 「誤解しないように」と言った対象は,質問者さんという特定個人ではありません。これを読むであろう不特定多数の院生が,「自説をふりまわして勝手にやっていい」と思わないでください,ということです。
お礼
丁寧にありがとうございます。
No.1の補足。 「見解の相違」というのは,相手の主張にも「一理ある」と認めた場合です。だから,ぼくら院生のあいだでは「プロフェッサーの攻撃を見解の相違で食い止めれば半分の勝利」という認識があり,「勝手にしろ」というお墨付きをもらって実際に勝手にやりました。30年前の東大大学院の水準でのはなしですから,誤解しないように。
お礼
補足、ありがとうございます。僕が安易に書いてしまったかもしれませんが、「見解の相違」は容易に与えるべきではないという注意ですね。また東大と但し書きがあるのは、基礎学力が院生にあると信頼できる場合、放任も可であるということでしょう。 しかしお気づきのように、僕の問うているのは、基礎学力も無いと思われ、指導しなくてはならない場合のことです。
お礼
ありがとうございます。「見解の相違」と客観的に言った後が、問題ですね。見解が一致すれば、その院生は守られて楽な立場をとることになります。しかし見解が違うとなれば、「教官を納得させてみよ」という闘争関係になります。闘争の中で伸びる院生もいれば、潰れてしまう院生もいます。しかし、これでは公平な教育になりませんから、悩ましいと思うのです。 >どこからか変てこな論文を探しだしてきて,それにかぶれたような言説をふりまわす院生もいます。 これは言い得て妙ですね。闘争関係になってうまくいかなくなると、持論を補強しようとして、こういうことをやる院生もいます。そうなると、もう、誰も止められなくなるわけです。僕は昔、そうだったなぁと思い返しました。幸いにして、止めてくれた人がいたわけですが。