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落語「たちきり」落ちの意味がよくわかりません
- 落語「たちきり」は、柳家さん喬師匠による話であり、若旦那と芸者の関係を描いています。
- 枕のところで芸者の花代がお線香で時間を計る話から、芸者の時間にうるさいことを伝えています。
- また、話の中では、若旦那が女将に対して「おかあさん」と呼ぶことや、芸者の金遣いが描かれています。
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そもそも、このストーリーは、歌舞伎や文楽にある、古典的な遊女と若旦那の恋物語のメタファーです。 今の「古典落語」というのは、「古典」と言っても明治後期から昭和初期くらいに作られたものなのですが、 当時のお客さんには歌舞伎好きが非常に多く、歌舞伎のパロディやメタファー作品が受けたのです。 大金持ちの若旦那が遊女と恋に落ち、廓に通いつめたあげく、 1:勘当されて物乞いになる(「夕霧(ゆうぎり)もの」が代表作) 2:家の座敷牢に閉じ込められる(「椀九(わんきゅう)もの」が代表作) どちらかになり、 そうこうするうちに遊女が病気で死んでしまう、または若旦那が狂って死ぬ、という悲恋ものがたりです。 関連作品、類似作品は非常に多く、お約束の廓物語のパターンとして、昔は殆どのお客さんが内容を把握していた、お話の流れなのです。 その一方で、安く遊女(明治以降ですと芸者)と遊ぶには、短時間ですむ「花(線香の燃えている間遊ぶ)」で遊ぶのがいいわけですが、 結局、「延長」になるので高くつく、という、リアルな遊女(芸者)遊びの現実があります。 これは当時のお客さんなら誰もが似た経験をしている、身につまされる話でしょう。 現代ですと、ホステスさんとまるで本気の恋愛のようなやりとりをしながら、 「あ、ボトル追加で頼んでいい?」のようなセリフで現実に引き戻される、そんな感じです。 遊郭の世界での虚実入り混じった雰囲気に翻弄される客の悲哀が、「線香が消えたので三味線もおしまいです」というセリフにはただよいます。 この落語は、定番の古典的なお芝居のストーリーを、多少現代的(当時の)なノリで楽しみ、 最後の最後で、「こう来るかい!! 」というリアルな、身につまされるオチで笑わせる、 そういうしくみになっています。 「物乞い」か「閉じ込め」か選べ、というのも、古典的な2パターンのどっちにする?という、原型になっているお芝居の諸作品のパロディでしょう。お客さんは昔はここで笑ったことでしょう。 他の細かいエピソードも、いろいろなお芝居のパロディーになっている可能性があります。 古典的なお芝居の素養と、当時の芸者遊びのノリがわからない現代のお客には伝わりにくい内容だと思います。 本来なら噺家さんが多少フォローしながら語ったほうがいい作品のようにも思います。 夕霧狂言について http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/2ecd4dab1dd3db2b6195707cf55224dd 椀久について http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/bbbc57dc2a5acef06a9290a712776878
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- kishn_an
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落語と言う芸能は手品に似ていると思います。手品師はトリックでイルージョンの世界を作りますが、噺家は話芸でイリュージョンの世界つくります。 はなし家が話芸でつくりだしたイルージョンの中に引き込まれ緊張が最高潮に高まった所で、オチでイルージョンの世界からいきなり現実世界に突き落とされる、そのときに「ああ、また(噺家の話芸に)だまされた」とおもわず笑ってしまう。そういうものだと思います。落語のオチというものは。 若旦那の100日間閉じ込めも、せつない芸者の恋煩いも、噺家さんの長い間も、客をはなしの中のに引き込んでオチの落差を作り出すためのシカケなんです。 余談ですが、 三遊亭円生という噺家の若い頃のエピソード。ある噺で登場人物の人情が理屈に合わないと悩んで師匠に質問したら、「だからおめえの噺は暗えんだよ」としかられたそうです。こまかなところにこだわると、落語を楽しめなくということなんでしょうね。
お礼
落語鑑賞としての心積もりのご教示ありがとうございます。 本音でそう思います。 どうしても、細部にこだわる向きがあるので、 折角の、お話が楽しめなかったのだと、反省です。 こっけい話などは、ただ、アハハと。 こだわるなら、そんな人いるのか、とか、言えそうなんですが、 楽しんでますし、 人情話など、ジェンダー的にどうなのも、時代背景として そういう時代もあったで、多少とも、今と比べて変だと 思っても、すんなり納得してきました。 うーん、こうやって、楽しみ方をご教示いただくと、 最初の「お線香時計」があまりに、業界的なので、 最後の落ちにいたって、本筋はコレだったのかと、「業界ルール」に 立ち戻ることで、あれ?納得がいかない・・・のかなって。 ただ、お線香が消えた、おしまい! ジャン♪。 え?! ・・・と、置いてけぼりされて、イリュージョンで、いいのですね。 間が長くて、考える時間がありすぎた弊害かも知れないです。 ありがとうございました。
- kishn_an
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この落語の落ちは「緊張の緩和」です。 「緊張の緩和」とは2代目桂枝雀が落語の笑いを分析した理論です。 さんざん話を盛り上げ客を緊張させておいて、いきなり今までの話は全部作り事うそ事でした、みたいに一気に緩和させるパターンは古典落語によくあります。落差が大きいので、なんだか突き落とされたみたいな感じになりますが、だからオチというのでしょうね。 http://www.youtube.com/watch?v=D17pyz0n99w&feature=related 桂枝雀は「オチのあと、それからどうなるの?と聞かれると困る(作り事うそ事でしたで終わった話しなので)」というような事を生前に語っていたように記憶しています。
お礼
「緊張の緩和」とは洒落ているまさに落ちですね。 確かに、断ち切られた感じはします。 ただ、最初に、’芸者時間’としての、お線香の役割を、お直しのように 継続して線香をつないでいくという風習として、枕で説明したので、 落ちにつながるとき、どうしても、芸者の労働=お線香時間という 刷り込みができてます。 いや、芸者は芸者と言う落ちになっちゃう。 その前は、恋煩いして、はかなくなってしまう、若い女として 繰り替えし、「お手紙かいていい?」とたーっぷりの間で、聞かせていたのが 「女房はもたない」という若旦那の前でお線香が消えるというのが ブラックユーモアなのかと。 さらに、色町の女将であるはずの「おかあさん」までが 「若旦那が一言、言ってくださればこの娘がこんなことにはならないで まっていたでしょうに」の苦情の一言でもあれば、色町風な キャラとして整合性も落ちも、芸者の親子だし、 若旦那も「女房はもたない」も、それなりに、ナンパな若旦那らしい一言として あらそうなの・・・だったとおもいます。 色町で遊ぶから、散財するから、100日監禁で、 乞食をえらべない若旦那が、 落ちに至る前が、ただの実母娘と娘の彼氏の話になって、 枕で「お線香時間」をやったから、「たちきり」なら、芸者で完結する って、その後を心配するより、ナニこの話は? 泣ける話で泣けないのが「わたし、損してるか?」なんです。 隣の女性が、しくしくと・・・。 「お手紙書いていい?」のリピートで。 ’お線香時間’にこだわらなければ、実親子にこだわらなければ、 「おかあさん」と若旦那が言うのにこだわらなければ、 乞食は嫌だでとても、らしい、若旦那という出来だったのに。 尻切れトンボというか、尻切れではなく、 ドコか、変なつまらない話のあわない話です。 素人には’お線香時間’はプロのやり方としてイメージされる。 落ちもそうなのか?(オンナは芸者=プロ)と。
- 691128
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私はさん喬師匠のは聞いたことがないのでなんともいえませんが、 おそらく基本的な設定が頭に入っていないため色々変な風に考えてしまったのではないでしょうか? 演者によって噺の構築が変わっていきますが、基本的な設定は同じはずです。 若旦那はこの芸者に会うまでは「女を知らず働いていた大人しく誠実な若旦那」でした。 それが友人に連れられ出会った芸者に一目ぼれしいれこみ、ついには店の金にまで手を出すようになってしまった。それが発覚し、家族会議で100日監禁となった。 というのが噺の冒頭です。 そして、この芸者は女将の娘。娘が母に対し「おかあさん」と呼ぶのは普通です。 そして娘と一緒になっても良いとまで想っていた若旦那も その娘の母親に「おかあさん」と呼んでしまうのは変ではないでしょう。 落ちについては、 「なぜ三味線が止んだ?」 「仏壇の線香が、たちぎれでございますから」 「ならば噺もこれにてたちきりでございます。」 というふうに私は勝手に解釈しています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%8E%E3%82%8C
お礼
早速のご教示ありがとうございます。 初めて聞く、話だったので、内容理解が追いついていかないうちに 、山場(お手紙書いていい?の繰り返しでの泣かせどころ)で、 隣の人は泣いているのに、私は何だ?何で?と、間抜けな感じがしたものですから。 あの、芸者の「親子」は女将と抱え芸者ではなく、 実親子という設定ならわかりやすいですが、色町では あまり、ありえないことなので、考えても見ませんでした。 若旦那がまじめというか、女遊びとは無縁だとは当初は 了解してましたしたが、100日の監禁という話をチョイスするときに 若旦那と番頭の会話で「一銭だって稼いでいないのに、お前たちが 苦労した金を、湯水のように使って・・・」とか、自分の稼ぎはナイと 言明して反省したのが印象的だったので、 まじめだったはずの若旦那がすっ飛んでしまいまして、 落ちにいたって、「じゃぁ、ソコまで嘆くなら、乞食やってりゃ、良かったジャン。 そしたら、きっとめでたく振られていたかもしれないのに。 線香が消えたら、死んでも化けて出てくるのをやめるような、 相手は芸者根性の座った女なんだから」とか・・・非常に現実的な イメージを持ってしまったもので。 「たちきり」とはそういう意味での、話なら、中途半端でもokなら、 納得はいかないのですが、ま、そんなものかと。 その後は?と知りたいわけでもないのです。 さん喬師匠は、「私は、もう女房と名前の付くものはそばに置かない」という ような、結婚はしないという意味での決心を仏前で女将の前で 言いましたから、あらそうなの、とは思いましので。 ただ、「できるわけないじゃん」という裏読みをさせるような言い方の後で、 「たちきり」でお線香が消えたので、放蕩若旦那が若旦那なら、 芸者も芸者根性でお線香で仕事するんだという・・・なんだかなぁ。 隣の女性が泣いて、 場内も、しーんと(つまらないからかもしれないとは、思いました、だって、 右どなりの男性2人は体ゆすって、早く終わらないかなと見えるような 動作で、目つぶって下向いてましたから。) ともあれ、芸者と女将が実親子というなら、 若旦那まで、「おかあさん」というのが納得です。 文七元結も、おひさと長屋のおかみさんとは実親子と、継子とでは 人情味が違ってくるなと、気づいたばかりなので。
お礼
【最後の最後で、「こう来るかい!! 」というリアルな、身につまされるオチで笑わせる、そういうしくみになっています。】 アッ、ヤッパリ、リアル=現実的・世知辛いという感じに受け取って、 身につまされる「オチ」としてもよろしいのですね! よかった。 タダの、おしまい、断ち切り、では、お線香の意味がどうしても引っかかッテ、 これも断ち切りなの、ジャァ最初の「お直し」のように、もう一本という 枕はどうなるのッテ。 どうせなら、また、お線香すると、大丈夫という、めでたくはないが、ヨカッタネという 受け取りもokなのかとも、ひねくり回して、考えました。 【「物乞い」か「閉じ込め」か選べ、というのも、古典的な2パターンのどっちにする?という、原型になっているお芝居の諸作品のパロディでしょう。お客さんは昔はここで笑ったことでしょう。】 ウーン、誰も笑わないのです、しみじみと、シーンとして。 お手紙書いてイイ?のリフレインでは、それこそ、シーン、隣のお姉さんはベソベソだし。 私は、「若旦那、結構本当に、お金を使ったんだ、自分じゃ1銭も稼いでないって言ってたのに、大層なつかいっぷりだな。 芸者つれて、あっちこっちに行って、 買ってやった(病床の、死にそうな芸者がそういいますので)ッテ、 デートで連れ出すのも、お線香一本いくらなのか?」とかトカ、世知辛いことを考えていて、なきそびれました。 【他の細かいエピソードも、いろいろなお芝居のパロディーになっている可能性があります。】 浅学というのは悲しいですね。 持ち味を味わう前に、置いていかれてしまって。 これからも通って、モット楽しめるように落語道楽します。 ありがとうございました。