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キリスト教と離婚について

離婚について質問です。 1. キリスト教では離婚は神に対しての罪に当たるのでしょうか? 2. また、離婚は罪だと言っているクリスチャンに対してどう思いますか? 急ぐ質問ではないのでご意見は参考にさせていただきます。 返事は遅くなるかもしれませんがお許しください。 特に2についてさまざまな意見をいただければ嬉しいです。 返答の対象にクリスチャンであるかどうかはまったく問いません。 むしろクリスチャンではない人の意見が知りたいです。

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  • michael-m
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回答No.6

私は一応カトリックです。 1)カトリックでは離婚は罪ですね。他は知りませんが、英国国王ヘンリー8世が離婚しようとしたとき、教皇が認めなかったので、イングランド国教会を作ったというのは有名な話です。(これには多分に政治的問題も含んでいるそうですが) 神に対し「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、死が二人を別つまで、愛し慈しみ貞節を守ること」を誓うのですから、安易に離婚を考える事は罪だという事になります。 2)固執するのはちょっと無理があると考えています。 しかし、昨今の風潮のように、困難や障害を共に乗り越えようと努力すらせずに安易に離婚するのは、やはり罪でしょうね。 結婚というのは夫の生活に妻が入るわけでも、妻の生活に夫が入るわけでもありません。二人の別々の生活が一つになって、どちらとも異なる新しい生活がうまれる事を意味します。これを気学では「作胎(さくたい)と言います。 その認識も無く、お互いがそれまでの自分の生活を維持しようとするから仲たがいが生まれるわけです。 そもそも意見の相違だとか性格の不一致なんて理由は、婚姻以前の問題でしょう。 同じ家に住む親兄弟だって意見の違いがあるのに、違う家に育った人の意見が違うのは当たり前で、結婚以前から分っている事です。 安易に結婚し、安易に別れる、それが是であるならば結婚という制度の意義がそもそも無いと思います。 それでも、どんなに努力してもどうしようもない事はあります。離婚という最後の手段は、カトリック的に考えれば、自分が天国に入れなくても仕方ないという場合にのみに取るものでしょう。 もちろん、いずれかが一方的に解決の努力をしない、浮気などは論外です。この場合は契約が解消できます。 私はカトリックですが、共に乗り越える努力をしないのなら結婚という形式のこだわる必要も無いと思います。 このような考えも、教会と距離を置いている理由の一つではあります。 ちなみに私達はかなりの悪天候でしたが、何とか乗り越えてきた気がします。

unee
質問者

お礼

回答がおそくなりましたが大変参考になりました。 教会に通っている人も結局は結婚に関して同じように悩み苦しむということが 見ていて理解できました。クリスチャンもノンクリスチャンもそれほど違いがないように 思えます。やはり神頼みではなく自分たちの努力が非常に大切ということも同じですね。

その他の回答 (5)

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.5

幸福の科学の会員です。 >>1. キリスト教では離婚は神に対しての罪に当たるのでしょうか? 同じキリスト教でも、宗派によって違うようです。イギリス国教会は、ヘンリー8世が離婚するために作られた宗派のようですから、この宗派では罪にあたりませんね。 >>2. また、離婚は罪だと言っているクリスチャンに対してどう思いますか? クリスチャンは、人間存在自体を原罪を持ち出して「罪がある」なんて言うこともありますね。それって、神の創造物をバカにしているのではないか?なんて思ったりします。 また、愛が冷め切っていて、お互いに冷戦状態ながらも結婚生活を続けるってのは、神に対して嘘をつき続けることになるともいえるかもしれません。 ただ、人生は長くても通常は、100年ちょいくらいです。いろいろとお互いに争うことがあろうとも、うまく乗り切って生涯連れ添えれば、二人があの世に戻って「お互いによく結婚生活を続けたなあ・・」と、いろんなもめごとも、笑い話のネタにして楽しめることもできます。 もちろん、「あそこで離婚したから、運命の赤い糸の貴方に出会えて、その後は幸福だったわ」というケースもあるでしょうね。 結局は、離婚の良し悪しってケースバイケースで、「離婚は罪」という固定した見方は、偏見だと思います。 ちなみに、幸福の科学では離婚で幸福になることもあるので認めています。

unee
質問者

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回答No.4

カトリックのクリスチャンのものです。 自己評価のためあまり信憑性はないですが信仰心は強い方かなと思っています。個人的な意見をお伝えします。 1.一概に罪とは言えないと思います。ケースバイケースだと考えます。 2.ルールに捕われ過ぎてしまい、本質を見失ってしまっているのかなと感じます。しかし、純粋な信仰心からそのように考えておられる方も見受けられます。 それが本当に罪になるかどうかは、どのような理由で離婚するかによると思います。 カトリックで離婚手続きをする場合、離婚とは言わず、結婚を無効にすると言うようです。 例えば配偶者の精神的、肉体的な暴力が原因で離婚をするなら、そういう行為が及んでいる時点でその結婚は破綻しています。離婚という手続きは単なる事務処理に過ぎません。結婚を終わらせるのは暴力行為であり、離婚という事務手続きではありません。この場合、被害者に罪はないと思います。 しかし、自分勝手な都合で離婚を求め、相手の心を傷つけるのであれば、それは罪になるかもしれません。 一番重要なのは何が二人の関係に破綻をもたらしたか、という事ではないでしょうか。自分の尊厳を踏みにじる配偶者の行為が原因で離婚を考えるなら、その行為が及んだ時点で結婚は破綻しており、その結婚は無効とされるでしょう。被害者に罪はないと思います。 しかし、配偶者の尊厳、また、お子様がいらっしゃればお子様の尊厳を踏みにじるような自分勝手な都合で離婚をするなら、罪かもしれません。 その線引きは、非常に難しいところです。

unee
質問者

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回答がおそくなりましたが大変参考になりました。 教会に通っている人も結局は結婚に関して同じように悩み苦しむということが 見ていて理解できました。クリスチャンもノンクリスチャンもそれほど違いがないように 思えます。最後は神頼みではなく自分たちの努力が非常に大切ということも同じですね。 カトリックでは結婚を無効にできるのですね。 それは知りませんでした。

  • mizukiyuli
  • ベストアンサー率34% (1106/3224)
回答No.3

1.神への誓いを破るという意味では罪になります。 結婚する時に「死に別れるまで愛する」と誓っているのですから。 ただこれ「愛」を誓っているだけで添い遂げるとは言ってない という主張もあります。 それと、懺悔というものがありますね。罪を犯した人が神様にごめんなさいするものです。 素直に懺悔すれば神は大いなる慈愛を持って許してくれるというような… ということは誓いを破っても「破ってごめんなさい」すればそれで済むのでは…? という説もありますね。 2.カルトっぽい。

unee
質問者

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noname#141992
noname#141992
回答No.2

離婚は婚姻の際に神様へたてたの誓いを破ることになるので罪になる・・・と聞いた事があります。 また、婚姻は神様を通して結ぶので、離婚は神様への冒涜にあたるという人もいます。 2に対しては、ただのお節介だと思います。 聖書には、不貞行為、家庭内暴力、神様への信仰を妨げるような圧力をかけられた場合は離婚を認める・・・みたいな事が書いてあるらしいですが、、、宗派によっても違う事らしくて詳しくは分かりません。

unee
質問者

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  • yara
  • ベストアンサー率25% (166/661)
回答No.1

無神論者です。 イエスという人物が、神では無くただの人と仮定し、当時の時代には革新的とも言える考えを持っていたが為に現在の地位があるとして、それがキリスト教となったのだとすれば、罪でも何でも無く、タダの”教え”だと思います。 単純に、男性優位の時代に女性を尊重したような発言をしたのだと思いますね。 ですので、”罪だ”と言う意見は「時代錯誤の意見」と考えます。

unee
質問者

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回答がおそくなりましたが大変参考になりました。 教会に通っている人も結局は結婚に関して同じように悩み苦しむということが 見ていて理解できました。クリスチャンもノンクリスチャンもそれほど違いがないように 思えます。最後は神頼みではなく自分たちの努力が非常に大切ということも同じですね。

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