『どうしたらわたしは無意識な自分の部分を取り戻せますか?』と云う事を書いてみます。
始めに治った姿を書いてみます。『何も考えないで、事がスムーズに運んで行くようになります。』今は考えた挙句に、行動が伴わないと思います。
全ての神経症に付いて言える事ですが、『思わずに行動出来た時』治っています。そうなる為に森田療法では『症状』に付いては不問です。鈴木診療所に2ヶ月間入院しましたが、その時は約20人位の人がいたと思いますが、誰も(私の一人よがりか?)他人の症状は知りませんし、自分の症状も口にしなかったように思います。
そうして『やるべき事』に全身全霊をかけて、その時々の最善を尽くすと言う態度を学ぶ事が、眼目です。その時々には、頭の中で『何を考えていても良いから、口にしないで』と言う但し書きが付いています。
兎に角『症状の改善』を後回しにして、やるべき事を『最優先する生き方』を学ぶ事が、森田療法の基本だったと思います。
そういう生活の繰り返しで治ってゆきます。治った姿とは、症状の有無よりも、生活全体が優先的に行われる、或は自分の生活を優先的に考えられる事を意味します。
頭の中の計らいを優先的に考えてしまう事が『神経症』です。その場合自分の頭の中には、現実の真実の世界と、頭の中で描いた『妄想の世界』が二つ見えています。その二つに成って見えている世界が、『子供の時のように』一つになった姿が治った世界です。
その一つに成った世界とは、今は信じられ無いかも知れませんが『宗教生活』とも言える世界です。手放した時『全てが自分の手の中に在ることが分かる世界』です。
その時お釈迦の言った言葉『我を去れ』という意味が判ります。その意味は『自分の我(計らい)を捨てて生きなさい』と言う意味ですが、言い方を替えるなら『欲しがらないで手にする事』=『見ようとしないでスット見る事』と言う意味である事を了解すると思います。
神経症とは、自身の中の深い人間性への目覚め以外では完治しない事を『自分自身で了解する以外』仕方がありません。そういう深い心の奥での悩みが『神経症』と言うものを、自分自身で学ぶ事が、全治への道です。
お礼
回答ありがとうございました。 そう言われてみたら、意識する自分しかなく、無意識な部分の自分が少ないです。 常に不安感があります。 子供のころからそういう傾向が強かったように思います。 なぜ、無意識な自分を信頼できない=人を信頼できないなのでしょうか? どうしたらわたしは無意識な自分の部分を取り戻せますか?