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水戸黄門って忙しかったですね。

夕方、TBS系で水戸黄門を再放送しています。 毎週々、各地で助さんと格さんの鬱憤(うっぷん)晴らしのためか、乱闘後に「静まれ々、この紋所が目に入らぬか」って言って、悪人を懲らしめますが、 ●毎週々事件があるのは、当時の日本の政情不安からですか? ●懐の印籠が「目に入らぬか」は、ほとんどヤラセですが、当時は囮捜査は許されていたのでしょうか? 毎週、事件があって大変な旅と思い、同情の念に耐えません。

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  • chaff
  • ベストアンサー率30% (264/874)
回答No.6

あれは、実は大変なのです。 黄門様一行の隠密旅が計画されると.. まず、水戸藩が沿道の大名・代官を招集します。 実施担当の佐々木助三郎・渥美格之進、支援担当の弥七、そして実質的な現場プロデューサの八兵衛も参加してして、どの街で事件を起こすか?を協議します。 やはり人気がある「にせ黄門様」ものは倍率が高く各藩での争奪戦となります。また、土地の名物の紹介を希望する藩も多くてこのあたりは八兵衛が各藩の顔を立てながら調整に腐心するそうです。 だいたいの訪問地・発生事件が決まったところで、各地へ早馬が飛びます。 受け入れ側の窓口は、各藩の家老が直々に陣頭指揮にあたります。 土地での受け入れ準備も当然ですが、なにしろ事件を起こさないといけないので綿密な準備が必要です。 各々の土地では、江戸とは別に京の太秦から事件担当のさむらいがやってきて、現地スタッフと深夜に及ぶ綿密な打ち合わせが行われます。 お隣りの藩と続けて同じような事件が起こらないような調整は、八兵衛が事前に調整済みなので心配はいりません。 また、ご当地の名産品紹介ものでは製造工程の紹介や宣伝に力を入れたい藩側と、それよりもチャンバラをやりたい水戸藩側との駆け引きも骨の折れる仕事です。 いよいよ隠密旅が開始されると、  プロデューサの八兵衛を中心に・実施担当・お色気担当・他ゲストでフォーメーションを組み、黄門様をアテンドします。 支援担当は一足先に訪問先に飛び、直前の準備状況の確認・事件担当さむらいとのリハーサルに念を入れます。事件が終わっても他のメンバと同じようにのんびりお茶を飲んでいる暇もなく、すぐに次の訪問地へ飛びます。事件担当さむらいも次の出番に備えて移動に入ります。 なかなか忙しいですね。 さて、水戸藩および幕府はなぜこのような税金の無駄遣いをしていたのでしょうか? 現代では参勤交代と同じように、黄門様訪問によって「諸大名に出費を強いることでその勢力を削ぎ、謀反などを起こすことを抑止するため」と考えられています。 黄門様・助さん・角さんは途中で何度も顔形が変わっているのに、当時誰も指摘するものがいなかったという事実もこれを裏付けています。

noname#132710
質問者

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noname#132710
質問者

補足

テレ朝系の暴れん坊将軍といい、江戸時代の幹部は市井の悪を懲らしめるため、忙しいことが解りました。プロデュースは、NHKの「釣瓶の家族に乾杯」とニュースの地域のレポートと同様の手法と思いました。NHKのニュースの場合は、あり得ない早朝からの作業で、その作業の手もほとんど動いていなくて、明らかにヤラセです。このパターンを活用すれば、坂上田村麻呂、源頼朝、足利義満でも主人公になれそうです。このメーキング・パターンは、日本人が安心して見られる番組の必勝パターンと感じました。とても、すばらしい考察です。

その他の回答 (5)

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.5

現在テレビで放映されているのは、幕末ごろに講談師が創作したものと言われています、 宝暦年間に伝記資料を集めて作られた実録小説「水戸黄門仁徳録」や「東海道中膝栗毛」などの旅行ものの滑稽話を基にしたと言われています。 当初のお供は俳人(俳句を詠む人)2人ですが、明治になり、大阪の講談師の玉田玉知がお伴を実際にいた家臣をモデルにに設定替えをして助さん、格さんにして現在に至っています。 ですので、黄門様がいた時代ではなく、創作された幕末の世相を反映していたと思われます。 幕末は江戸市中でも殺人が横行(幕府側と討幕側の対立に便乗した押しこみなどもあったそうです)していたという記録もあります。 江戸時代、南町、北町ともに同心は岡っ引きを従えていました、 岡っ引きは、平次親分や伝七親分(ともに架空の人物)の様な人ばかりではなく、香具師をなりわいにしている人等もいました。 大抵は、おとり捜査ではなく、そういう岡っ引きの情報収集や、容疑者への取り調べで検挙していました。 かの長谷川平蔵(実在の人物)は、庶民に恩を売ったり、結婚の仲介などをして、情報源となる人物を抱えていたという話です。

noname#132710
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  • P0O9I
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回答No.4

あれを本当だと、本気で思っているのですか? 元々、講談で作られたことを下敷きに、テレビのために新たに創作した物です。フィクションです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%9B%E8%AB%87#.E9.A1.8C.E6.9D.90

noname#132710
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  • rx781015
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回答No.3

URL貼り付け忘れました。 http://blogs.yahoo.co.jp/komasaram2010/8542673.html

noname#132710
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  • rx781015
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回答No.2

本当の水戸黄門は日本全国の旅どころか関東から出てないって話は有名ですよ。 所詮テレビが作ったフィクションです。 参考になりそうなURL貼り付けておきます。

noname#132710
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回答No.1

 当時も今も政情不安はありません。なにせ忠臣蔵の話がいまでも続くんだから、話のネタに困らない。同時に役人は、なにかあってもこっそり片付けようとするので、表面上は政情不安などありませんでした。  政情不安あというのは、頭が役立たずだから交代してくれという意味ですが、日本では無理矢理入れ替えるのではなく、無視された結果周囲の圧力で追い出されるのがパターンです。  はっきりとおとり捜査というのはありませんが、お庭番は大きく活動範囲は分かれていて、一方は遠国廻り(おんごくまわり)と八洲まわりに分けられ、八洲廻りは江戸市中の噂の収集も仕事でしたので、それに似ているとは思います。  ただ、水戸のご老公が摘発しているのは、主に役人絡みの「贈収賄」でしたから、おとりより密告とか寝返りを煽るとかいうのがメインだろうと思います。  ちなみにこういう質問は歴史カテゴリに出すと、もっといろいろ出てくるでしょう。

noname#132710
質問者

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