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寄付って、どうなんだろう?って思って・・・
昨日、見るテレビが無いので、適当にテレビを流してたら、 戦場カメラマンの渡辺陽一さんがメインキャストの、世界の貧困の村で活躍する日本人の方の特集がされてました。 その中で特に印象的だったのが、貧しい人にお金を貸している日本人の方です。 いやいや、そこは普通に寄付のが良いだろ?とか思ったのですが、 現地の人の取材では、貸し付けなのに好印象なようでして・・・ その人が貸したお金の徴収に現地入りすると、地域の人々は列を作るように集まって、返済に来るのです。 今のところ、その国で貸したお金の回収率は100%で、日本では考えられない数字でもあります。 ある小学校では、椅子や教材、鉛筆に至るまで何もなくて、その人からお金を借りて子供に教育の場を与えることが出来るようになった。 ある人は、農園を何倍にも広げた。必要な設備を整えることが出来て、収入が何倍も増えた。 また、ある人は、副業で服飾をして、副業で食べて行けるようになった。 等々。。。 日本では、お金を借りただけでキチンと返せない人がいるのが、恥ずかしく思います。 国民性の違いでしょうか? 貧しいからこそ、現状を何が何でも打破しなければいけないという意識が強いのに対して、 平和ボケした我々は、まあ、何とかなるだろ?と、今日もテレビの前で横になったり、レスしたり、菓子を頬張ったり・・・そうして、後々で良くなった試しが無し。 危機感が無いから、好転の兆しを、自己の努力無しで求めるのでしょう。 最初は、寄付が当然だろ?と思ったのですが、その人に頑張らせることが大事だと気付かせてくれました。 そういえば、ドラゴン桜で取り上げてた内容で、どちらがより優れた教育者かを決める場で、 「川辺にお腹を空かせた貧しい人がいて、自分は釣りの技術を持っている。あなたはどうするか?」という問題を教師陣に言いました。 高学歴のエリート教師は、自分が魚を釣って、その人にあげる。と答えたのですが、 コレが間違い。 答えは、その人に釣りの技術を教えて、魚を自分で捕れるようにすることだったのです。 何故か?というと、 釣ってあげて、その人を助ける。という行動自体は、何も間違っていません。非難される謂れは無いでしょう。 しかしながら長いスパンで見た時。その貧しい人が釣った魚を食べてしまって、再びお腹を空かせたら、どうするのか?となるのです。 自分も、いつまでも現場にいられません。 よって、釣ってあげる。という行為は、一時的なその場凌ぎにしかならず、その人の生活自体が良くなるワケではないのです。 悪い言い方をすれば、その場限りの良い事。をしただけで、その人の今後はまったく考慮していない。 かわいそうだから助けた。自己満足の偽善者となってしまうのです。 やらないよりは偽善の方が良いでしょう。 でも、その貧しい人が自分で魚を釣って、これからも魚を食べていける技術を教えるのが、教育者をしてあるべき姿だったのです。 そういう話。 話がだいぶ逸れました。 そのテレビを見た夜半に、見るテレビが無くてチャンネルをまわしてたところ。 被災地の方に東電の社員が謝罪に行ってる様子が報道されてました。 野次とか東電の態度に対するコメントは、人それぞれなので省きます。 その中で、被害に遭った人々に対する補償について、 「補償で100万貰ったとして、そんなお金は一時凌ぎにしかならない。何ヶ月かすれば使い切ってしまう。アンタらの一晩で使う飲み代と何ら大差無い。もっと、私たちのことを真剣に考えて対処して欲しい。」 「どうして、もっと3つも4つも先のことを考えた対応を考えないのか?」 「お金を貰っても、どうしようもありません。全員無職なのです。責任取って下さい。」 といった感じ。 豊かさを失ったら、こうも人のエゴは顕著になる。何か、愛憎と似たところがありますね。 そしてその後に、被災地に全国から集められた募金で、子供たちにオモチャが送られてる画がありました。 ああ、そういえば地震の復興で募金してたから、こうして何らかのカタチで被災者に届いて助けになるんだな・・・と思った矢先、その日の晩に見た、貧しい地域でお金を貸し付けてる日本人が思い出され、私の比較対象になったのです。 うまくまとめられないところもあるので、殴り書きになりますが、ご了承ください。 寄付について。 問題無いかと思われたのですが、先の魚を釣るか、釣る技術を教えるか。の話で言うなら、 与えるだけというのは、その人の今の一時凌ぎにしかならず、その人の今後まで支えるものとならないでしょう。 思えば、世界規模で貧しい国への寄付があるのに対して、それでも脱・貧国を達成出来てるところは、聞いたことがない。 寄付が無くても、こういった技術を、技術が無くて困ってる人々に与えて、それで助かってるモノはちょくちょく見かけます。 昔、水が近くにない地域で、井戸掘りの技術を現地によくある資材を使って行い、水不足を解消した内容を見ました。 また、その井戸の修理法も教えたため、当面の水に対する問題は無くなった。という番組があったかな・・・ 仮に、井戸を掘ってあげただけなら、もし壊れたら。それで終わりでしょう。 日本みたいに徹底して品質の良くないものばかりを提供してるワケですから、壊れる可能性は大です。 壊れたら壊れたで、困った。どうしよう。となるのです。 これが寄付という、無責任な自己満足の押しつけなのではないでしょうか? 偽善的な自己満足の全てが悪いとは言いませんが、その人たちのことを真に考えるのなら、その方法、技術、をしっかりとレクチャーするのが、その人たちの今後のためなのではないでしょうか? 今回の地震に対する被災者への対応。 残酷かもしれませんが、私は寄付という援助よりも、被災者が脱・被災者を果たせるようなモノをもたらした方が良いのではないか?と感じました。 寄付だけで、その人たちは今を何とか生きれるでしょう。でも、今後も生活出来る保障はありません。 だったら、お金を貸すなり何なりで、その人たちが頑張れる機会を与えた方が良いかと。 ただ、貸したからと言って頑張れない。頑張ろうとしないのが日本人で、そこは国民性の違いですかね。 自分達で何とかしよう。という前述の返済率100%の地域の人々に対して、豊かで平和ボケした我々日本人は、他からの好況、外的要因で自分達が良くなることを望んでばかり。 そんな中で、金貸しという職は、「私たちのことを何も考えていない!!」となるのでしょう。 チャンスを全く生かそうともしない以上、自分達のことすらキチンと考えれてないだろうに・・・ 住む家が無くなって、自分が住んでた地域を離れて、知らない土地で暮らすハメになった。 働き口が無くなって、手当たり次第に、就職することになった。 食べるものが満足に取れなくて、苦しい。 このような話。世界規模で見れば、霞むくらいあるでしょう。 それが原因で死ぬ人がいない以上、まだ恵まれてるだろうに。。。。 書いていて。質問したい内容が少し分からなくなりました。 寄付というのに対する、金貸しという対応については勿論、 今の被災者に対する寄付は、被災者の今後まで考慮していないのではないか?という感じ。 また、被災者に対して。あーだこーだ。言うよりか、現状を上げる努力が必要なのではないでしょうか? 全て元通りとまでは行かずとも、生きてるだけマシ。死んだ人だって大勢いるのだから、その人たちの分までも、しっかり自分達が生きていかないと。 何もしないで、自分が裕福になれるほど世の中は出来ていません。 日本ではカタチだけの弱者を守るルールがありますが、自分から弱者だと主張して、自分を救済するよう訴える人はどうかと・・・ それこそ、苦しんでも何しても、例えお金を借りても、それが全部返済出来る頃には確実に、今よりも良くなってるワケだから、 まあ、これが今私の思うところです。 返済率100%の国民性の相違もそうですが、先進国民であればあるほど、自分達では何も出来ない・何もしようとしない。というのが強くなってる思われます。 また、寄付という行為の是非。やらないよりは、やる方が良いのだけれど、もう少し熟慮してもいいんじゃないかな? 質問内容がまとまらないのですが、私の質問に対する意見を聞かせていただけたら幸いです。 4000文字になったことで、非常に長くなってしまったのですが、 お手数ですが、ご回答お願いします。
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- makaay5
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たとえの釣りの話ですが、貧しい人が今にも餓死しそうなときに、釣りを教えるのは有意義でしょうか?教えたところで、釣り竿を持っていなかったとします。自立は出来るでしょうか?そう考えると、貧しい人の現状を冷静に観察して、どうすれば自立が出来るか?ということが大事であり、それによって支援というものの形が変わってくるでしょう。ドラゴン桜のかたが書く漫画は好きですが、高学歴の教師というわりには反論が甘いです。 貧しい方にお金を貸して、そのことによって支援と自立を促す!というやり方は、確かに本当の意味での支援だと思います。ただ、別の番組で後進国の支援において「お金の貸し借りはしない事が彼らへの思いやり」というのも見ました。それは国民性の違いや、そういう国々に行って支援を行う方の気質や性格の違いもありますから、貸して自立を促す事が双方にとってベストとなる!というほど単純なものでないように個人的には思います。 今回はたとえの様に貧しい人間を数人救えばいいというものではありません。現状把握も難しいわけです。まして、東電の稚拙な対応によって、理不尽な結果をもたらされた方々もいるわけです。何者かの手によって理不尽に釣り竿を折られた人間の前で「頑張って釣り竿をもう1本買えばいい。命はあるから」というのも微妙な声かけでしょうね。 釣りを教えるのも大事ですが、貧しい人が生きる気力がないときに釣りを教えたところで習得しないでしょう。個人的には自立を促すには、寄付といった支援と自立を促すための技術の提供が大事だと思います。いまは生きる為の気力や回復や基盤を作ることが大事だと思いますから、寄付する行為は有意義だとおもいますけどね
- turquoisebird
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寄付金、援助金はあくまで被災した方々が立ち直るまでの糧のひとつでしょう。 仮設住宅だって永久に居続ける事など出来ませんし、この立ち退きまでに何とか自立の手段を各自出さなければならないし。 何かに対して憤りを感じる・・人間一人で出来るレベルの無力感というか・・色々あると思います。 釣り人の話ですが、人でなく犬だったら・・。釣りというか、狩猟の技術を犬に仕込み、自立させる・・あるいは、最悪使い物にならない時、釣り人の腹を満たす為、その犬を食べてしまう・・犬に自分の分も取らせればいいが、もし駄目な時です。釣り人はお腹を満たすことが出来る・・経営学みたいなものでしょうか・・。 でも日本人はしないですよ・・・お国柄、民族性です。共に助け合って・・・。震災直後、暴動や略奪行為がない、秩序が守られていると各国は賞賛の声で報道していました。 お金をもらったって使わないのも民族性です。このおかげで景気悪化に拍車をかけるのだから。 質問者様は貯金おありですか?。たとえ余裕あっても現在は使用を自粛(節約)していませんか?。 政府がいけません!!野党は与党の足を引っ張る・・中で、問題点は地方自治体や東電などに押し付けて・・。 目先のお金だけでは駄目。仮設住宅・・自分自身が生きていく為稼ぐ技術・・職そのものが必要です。 日本全国、中小企業、零細企業には人材不足であっても資金繰りが苦しく雇用を見合わせる会社も多いのだから、国が政府がパイプラインになって、被災者であり失業者である人たちを救済するべきでしょう。雇用する会社にも何らかの後押しをする必要あるでしょうけど。 大規模なレベルだから難しい。政治家の足並み揃わず。東北の方は地元意識が強く、離れたくない人も多いでしょうし。 日本人が生きる為にもっと貪欲さがあればいいのですが。GDPが数パーセント上げられれば消費税なんぞ引き上げる必要ない・・。国はとにかく経済を発展させる・・・。 ○○税の引き上げ・・ではなく、暴行・傷害罪や道路交通法違反の罰金も跳ね上げてこれらを補助的に使用する(まとまった予算として当然組めないので)。罰金が減少するならそれもよし。タバコ路上禁煙で罰金二千円ってどこいった?。当初取られた人は取られ損。もっと徹底すればいい。酒気帯び運転、スピード違反・・罰金でも文句言えない・・。 でも国レベルでは無理。政治家一人やっきになっても例えそれが織田信長や坂本竜馬のような傑物であったとしても、政治家一人の意見がこの国でまとまる筈がない。国や政府、法律が頼れない・・・日本人一人一人が貪欲にアグレッシブにならなきゃいけない時なのだと思います。政治家の中に傑物を求めるのではなく、一般人の中で。そういった英雄が台頭して、今後の日本を引っ張っていくのかな。
テレビは視聴率にあわせて構成編集をする事を忘れないでね。 視聴者がおもしろいもしくは興味を引くように作っているからね。 本当の事だけど、本当にすべて?って事です。 アンケートで否定した情報がほしければ否定したシーンを 沢山流してそれ以外のシーンを沢山カットすけば視聴者はみんな否定していると思うからね。
- さゆみ(@sayumi0570)
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儲けたお金の1兆円以上寄付してる投資家がいってました 「お金は稼ぐより使う方が難しい」って 寄付なんて自己満足でいいと思いますよ 寄付した人がいてそれを知った される側の人が、世の中は捨てたものではないと思えば 十分に寄付した効果はあったと思います 被災者を助けるなんて一般人には出来ないから
- さゆみ(@sayumi0570)
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つりの技術を教えるのは その人のためにはなるでしょうね だけどそんなものを広めて魚がいなくなったら 漁業全部が破綻してしまいます 石油を掘る技術を教えれば その人は金持ちになるけど 資源は減りますよね 相手のためになればいいとかそんな単純ではないです
- 2ya-nn
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カテ違い? 人類愛って事にしましょう。 昨夜、同じ番組を二つとも見ていました。 渡辺陽一さんの番組で、現地の人に『融資』という形の支援をされている 若いご夫婦には感銘を受けました。 ただ、日本の被災者と根本の支援理由の違いが 両者の反応の違いなのではないでしょうか? 同じ番組で、孤児院で育ったスラム生まれの子供が 努力して大学に進み、 地域の人々の自立を促す活動や 育った孤児院へ支援している姿がありましたね。 彼らは、現状を切り抜けるために必要な お金がないから、学校に行けない 学んでないから仕事に就けない、改善する方法を見つけられない そんな悲しい境遇の人たちだと感じました。 さて、我が国の場合 想定外の災害で、ある日突然、すべてを失ったのですから 支援を受けるのも、屈辱的に感じている方は少なくないのではないでしょうか? あの瞬間まで 家も仕事も家族も、ごく当たり前にあり 積み上げてきたもの全てが流されてしまった。 福島の方々は、原発や風評被害で更なる苦しみを受けていますよね。 『何で私たちが、こんな目に逢うんだ』 『これっぽっちで、何が補償できるというんだ』 本心からの叫びでしょう。 だけど、私たちは同じ国に生まれた人として、 被災地の皆さんが生きていく為に、必要な基盤が出来るまでの 手助けが必要だと思うから、義捐金や支援物資を送るのではないでしょうか 衣食住が、ある程度整えば、より良い生活に戻るために きっと自分の足で立ち上がる人たちが増えてきます。 そう希望を持って信じたいです
- under12
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結局、できる事をやるだけの話なのです。寄付しかできない一般国民が大勢います。 生活保護不正受給に群がったりする国民性に対して、一般人ができるのは、利権に 群がる政治業者を排除し、ベターな者を選出できる水準の向上だけなのです。 今回の地震の対応のまずさは、情報公開ができていない事にあります。 復興のスタートは正確な状況把握です。これすらできていないのだから、その後の 展望なんて望む事すらできない。また、アグネスのようなハイエナも多数います。 権力を持つ者の拙劣さは、日本国民が自ら求めたところです。 「民主主義は民衆の自己責任」なのですから。 現状の政権に、戦略的な復興を求めても仕方がありません。このザマですから。 だからこそ、変われる(成長できる)者から変わるしかないのです。 ドラゴン桜に出てきた行動の是非なんて、数千年前の仏典が出自です。今さらですな。 まずは、情報リテラシーを高めるために、TVから離れてみてはどうですか? 想定されているTV視聴者なんて、悪く言えば「馬鹿」とすら言い切れますから。