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古典の苦手克服法や頑張るための精神構築法を教えて。
ぼくは大阪にあるある私立高校に通う高校三年生です。 1年生の3学期から、1年間海外に留学していました。 留学する前のすべての成績からいうと 並より劣る程度でした。 今は世界史と古典と英語漬けの毎日です。 世界史と英語は好きなので頑張って乗り切れそうですが。 古典にはすごい苦手意識が強いので、 正直ゆって現役1年生よりも知識、実力などにおいて乏しいです。 この状況を夏休みまでに打開して実力としては難関私立大学をも崩せるぐらいの力がほしいです。 一年間の空白が余計に自分を慰めるというか堕落させていきます。 ほんの一言でいいのでアドバイスいただけませんか? お願いします。
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こんにちは。 僕は去年、三教科私立文系型の受験生だったからたぶんあなたの一個先輩だと思います笑 古文に対して苦手意識を持ってしまうのは本当によく分かるよ。僕も最初はそうだった。 初めての受験で古文を使うから、夏休みとかいっぱい勉強したんだけど・・・その中でも古文は本当に苦手だったような気がする。まず一目見て、何を言っているのか全然わからないし・・・同じ日本語でも宇宙語?とさえ思った。 こんなのでほかの受験生と戦っていけるのかな・・・って不安にも思ったよ。 さて、いろいろ言いたいことはあるんだけど・・・まずは精神的な部分からお話をしていきましょう。 まず、「一年間の空白」なんて関係ない!ってことだけは言っておく。たいていの受験生が、本気で受験勉強を始めるのが「今」だから。あなたがいくら留学してたといっても、そんなことは言い訳にならない。それは自分に対する「甘え」だよ。そんなこと言う暇があったら、少しでもほかの受験生よりも努力しなきゃ! 逆に言えば、あなたはほかの受験生となんら変わらない立場にいるわけ。スタートラインはみんなといっしょだよ。これからあなたがどれだけ本気になり、どれだけ頑張るかによって古文の成績の伸び具合は違ってくる。だから何も心配するな!みんな同じ! ほかの普通の高校生も、この時期までずっと部活とかで全然勉強なんてしてないんだから。確かに多少の差はあるかもしれないけれど、そんなの大した差じゃない!君の努力次第で、すぐに追いつけるはずだよ。 じゃあ、これから古文に対してどうして苦手意識を持ってしまうのか?ということをお話ししましょう。 まず何と言っても、「読めない」だよね?それがしかも、一応「日本語」だから余計性質が悪い。なぜなら、やっぱり古文っていうのは「日本語」だから、外国語とかと違ってどこか気持ちに余裕ができちゃうんだよね。「ちょっと勉強すればできるっしょ?」みたいな。理系の人はたいていそういう感じで古文をおろそかにするから、センター試験でひどい目に合う。先に言っておくけど、古文を今と同じような日本語と考えたら大間違い!絶対にひどい目に合うよ。 じゃあどうして今の言葉と古文に出てくる言葉ってこんなにも違うのか?それはやっぱり長い時間が原因だよ。それを今の言葉と昔の言葉を比較しながら説明していく。じゃあ現代風な場面から見ていこう。 たとえばあなたが町の中を歩いていました。するとそこでとても可愛い女の子にすれ違いました。そこであなたはこう思うでしょう。 「やっべ、あの子超可愛い!」 さぁ、そこで今の状況を古文の世界に置き換えてみよう。 同じようにある中将が道を歩いていると、そこでとてもかわいらしい女の子とすれ違う。そこで中将はこう思った。 「あな、いとらうたきなり。」 さて、ここまで来てどうだろう?まったく同じ状況なのに、あなたと中将が言う言葉が全く違う。でも、意味は同じだよね?そこがポイントで、あなたと中将が使う言葉がこんなにも違うのは、ずばり「時代の違い」から来ているんだ。 「やっべ」なんて言葉、昔にはなかっただろうし、「超」なんて言葉もない。「可愛い」って言葉も昔では言葉で表現されている。 「あな」っていうのは、ため息をつく言い方で「あぁ」なんて言う意味で「いと」っていうのは「程度」を表す言葉だから、今でいう「超」だね?で「らうたき」は「らうたし」の連体形で、意味は「可愛い」っていう意味。 こうしてみると、同じ意味だっていうのがわかるはず。ただ言葉が違うのは、やっぱりそれは時代が全然違うからだよ。その時代ごとにそのときはやった言葉とか、使っている言葉がある。考えてみれば、平安時代と江戸時代を比べてみても人々が使う言葉ってもうすでに全然違うでしょ? じゃあ、そう考えてみると・・・昔の人だって今僕らが使う言葉なんて全然わからないはず。昔の貴族・・・たとえば藤原道長が「ワンピース」なんて読んでも言葉がわからないから、きっとつまらないって感じるだろう。 それはまさに、今の君と同じ状況。君もたとえば「源氏物語」なんて読んでも言葉がわからないし、時代背景だってわからない。だからつまらない。結局のところ、道長が「ワンピース」を読むのと同じってわけ。 じゃあ何のために古文を勉強するのか?今ならもうわかるんじゃないのかな?ただ受験で使うからだけじゃなく、昔の文章に触れることでその時代の知識や拝啓、常識などを学んで、現代と当時の時代はどのように違うのかを理解するために古文を勉強するんだよ。 道長だって今の時代の常識や言葉を勉強すれば「ワンピース」を面白い!って感じるだろう。その逆にあなたが一生懸命古文を勉強すれば、「源氏物語」がとっても面白く感じるってことになるんじゃないかな? 今はまだわからないかもしれないけど、ただ受験のために古文を勉強してもつまらない、わからないとあきらめるんじゃなく、古文を勉強したら自分は何を得るのか?そういうことを考えながら勉強してみると、きっと違う視点で古文に触れることができると思うな。 たとえば時代の違いとして、今は当たり前のようにケータイがあるから好きな女の子とメールとか電話で連絡が取れるけど、昔はそんなものないから手紙を送ったり和歌を詠んだりして愛情を表現していたんだね。 でも逆に共通している部分だってある。今、風水とかパワースポットが流行しているように、昔だって占いやそういうのが流行っていた。そこはやっぱり同じ日本人だね。 さて、ここまで長々と話してみたけどどうだろうか?たぶんちょっと理解しにくいところもあったかもしれないけど、つまりのところ僕が言いたいのは「勉強」は「覚えること」じゃなくって「理解すること」だってこと。 古文を苦手意識を持ってしまうのもわかるけど、そンな風に考えてみればきっと違う視点で古文を見ることができると思うよ。僕があなたに送れる言葉はこれくらいかな。 きっと受験っていうのはすごく大変で、心が折れてしまう時があるかもしれないけど、そんなときはちょっと立ち止まって「自分は何のために勉強しているんだろう?」って考えてみるのもいいかもしれないね。 それじゃ、健闘を祈ります。頑張れ!
お礼
そうですよね! 本当に有難うございます。 心に余裕ができたというか、頑張れる糧になりました。 言い訳なんてしないでがむしゃらに頑張ります。 「あな、いとらうたきなり」とか ものは捉えようですよね、目標でも問題でも ですよね。 感謝です