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中学校数学は整数の性質から始めるべきだと思う?

 1980年代まで中学校数学は整数の性質から始まりましたが,90年代以降いきなり正の数・負の数から始まっています。このせいで素因数分解は中学3年に回され,形式的な最大公約数および最小公倍数の求め方は削除されてしまいました。そこで質問です。  あなたは,中学校数学の最初の単元は整数の性質に戻すべきだと思いますか。

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  • bgm38489
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回答No.1

やはり、数学と呼ばれる限り、最も基本的な整数の性質から始めるべきだと思います。正負の数からにしたのは、実用面からでしょうか? 整数の性質を使えば、それが算数を数学へと昇格させる。例えば、分数の加減乗除。約分。 素因数分解なんて、最も基礎。思えば、私が数学が好きになったのは、公文式で小学校のころにやった、素因数分解からでした。 最大公約数、最小公倍数の形式的な求め方、これは、私もいらないとは思ってましたが(30年前)、こういう風にやれば求まる、ということがわかっていれば、頭の中でどう考えればいいのか工夫できる。そういう意味で、求め方の紹介は必要でしょうね。 子供たちはかわいそうですね。大人の思うがままに、やれゆとりだ、もっと厳しくすべきだと振り回される。

noname#157574
質問者

お礼

>最も基本的な整数の性質から始めるべきだと思います。 全くもってそのとおりだと思います。

その他の回答 (3)

  • fjfsgh
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回答No.4

中学校数学の最初の単元は整数の性質に戻すべきだと思いません。 知り合いの数学者は、そんなことに賛否両論もないです。 教育者だけが、あれこれ議論して、振り子のように指導要領を変えては戻しているだけです。 なんというか、教育の長い議論を、数学者はしないのだ。

noname#157574
質問者

お礼

>教育者だけが、あれこれ議論して、振り子のように指導要領を変えては戻しているだけです。 これだから教育者は……

回答No.3

数学者の中でも賛否両論でしょうが、「数学」として数体系を学ぶ上では、日常での理解に凝り固まりやすいので、いわゆる「和算」方式の教育か、「現代数学」の下で学ぶべきかで分かれます。 前者は具体的に日常に即した教え方に順ずるので、理解はしやすいですが、一般性に欠ける欠点があります。 後者は、「体系、システム」を重視する、いわば「演繹的論理学」に従うので、一般性はあるものの、一気に難易度が上がるので、低学年の内にそれを下地に教育するのはほぼ不可能です。 「数学嫌い」になる最大の理由のひとつも、この演繹的論理学の難しさにあると僕は思っています。 そういう意味では、義務教育、あるいは高校数学の一部は、現代数学の仕組みから離れ、若干「和算」よりの教育方針にならざるを得ないのが実情です。 「定理」ではなく「公式」と呼び、まるで「暗記すれば何とかなる」かのように思われてしまう傾向も、それらの本質を教えてくれない、いや「教えることに割く時間が無い」と言ったほうが良いでしょうか… 不思議だとは思いませんか? 日常でも、学校でも当たり前のように計算すらしますが、にもかかわらず「なぜ1+1=2なのか」「なぜa/b÷c/d=a/b×d/cなのか」という質問に、初めて知った時点では明確な「答え」は与えてくれません。 こういった場でも、例えばリンゴのように、何かしら具体的な例を挙げて説明される方もいらっしゃいますが、それは「推論的論理学」の範疇を超えず、本来の数学の姿である「演繹的論理学」ではないので、それでは証明できたことにはならないのです。 厳密に証明を与えることはできます。 しかし、それを理解してもらうには相手、生徒達には分を超えます。 なので、「そういう厳密なことは端折って」教えざるを得ないのが、初等数学の現状です。 やむをえない事情とはいえ、そういう教わり方に凝り固まれば、当然「本当の数学」にぶち当たったとき、衝撃を受け、一気に「数学が苦手」になってしまうこともあるわけですね。 高校入学、大学進学してからその傾向になる人が多いのはそういうことだと思います。 かの数学者、高木貞治氏は、このように主張したそうです: 「自然数から入るのではなく、最初から正負の整数を導入するのだが、『順序とか計量とかいった用途の差別を抽象し去って、自然数を整数の一部分とみな』し、『整数(の全体)を一対一の自己対応を許す不可分なる一体系として規定する』方が、『必ずしも不自然ではなく、数学的には、寧ろ簡明である』…」 [数学セミナー2010年3月号「特集 高木の三部作に見る数概念の変遷」足立恒雄 より] 先に整数を紹介することで、自然数がその一部であることを主張する…つまりかの80年代までのやり方の方が、後のより大きな「数体系」を学ぶ上で有益であるということです。 問題は、それに生徒がついていけるかどうかということですね。 でも以前までその方式で行っていたのですから、大丈夫だと思われるわけですが… この問題は数学に限った話ではないでしょうね。 ですから、具体的に「どこからなら…」とは中々判別は難しいですが、本来学問とは奥が深いものなはずです。 ただ公式として「結論」だけ覚え、計算問題に使える…ということだけが数学ではありません(もちろん、そういう分野もあります)。 しかし、それぞれの学術レベルを超えた教育は難しいわけですから、「理解できるレベルまで簡略化して」教えるわけです。 問題は、「それが全てだ」と勘違いされる可能性を孕んでいることです。 それに、ゆとりだか何だか言われる世代の方もいらっしゃいますが、そんな世代でも頭の良い方も居るでしょう。 結局は、「個人の興味の問題」です。 興味が無ければ、「嫌い」になり、極論すれば自分の非を棚上げして「どうせ社会に出て役に立たないから」と言い訳して正当化するだけです。 個人的には、結局 それに、現在の日本の傾向として、かなりの割合で高校までは進学するわけです。 わずか1年ほどの差は問題ないと思います。 上にも書いたとおり、結局は「やる気」の問題です。 肝心なのは、内容ではなく、いかに生徒達が理解してくれるかでしょう。 長文失礼しました。

noname#157574
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • partita
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回答No.2

戻さなくてもいい派です。 実用的な正負の数を中学入学時に習えば 「算数」でなく「数学」だな、という実感がわくからです。 それに、実用的だとも思いますし。 整数の性質でもいいとは思いますが、LCMやGCDも含めて おおまかには小学校で習っているのでは?

noname#157574
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

noname#157574
質問者

補足

>整数の性質でもいいとは思いますが、LCMやGCDも含めておおまかには小学校で習っているのでは? 最大公約数や最小公倍数の形式的な求め方は算数の範囲外です。