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差別の心
1)差別をしない人間はいると思われますか? 2)「差別をしてない」、といった時点ですでに「差別をしている人に対して差別をしている」という矛盾についてどう思われますか?(もしこれが矛盾であると思われるなら、という前提がありますが) 3)今の社会の風潮として、 イ)差別はしない方がよい というものがあると私は感じるのですが、 ロ)差別しない人なんていない という事を認めた方がよい社会になりえると思われますか?
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- slippinegg
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1) いないと思います。 それが悪意があるか、ないか、という個人差はあるかと思いますが、 「かわいそう」と、何かに関して感じるとき、 そこには多少なり「優越感」があるはずです。 「自分がその環境にないが故に」感じることのできる感情。 それは「差別」という言葉になるかと思います。 ただ、これを、「意識して」するのと「無意識」にするので、 「差別をしているか否か」という判断をされると思います。 「差」に対して「別である」という認識をする、というだけでも「差別」になりうると思うのですが、 この「差」というところが問題なわけであって、 「別」を感じる事自体に問題があるはずはないですよね。 やはり「比較」をして、なんらかの「感情」を覚えてしまう限りは、 そこに「差別」がある、と思います。 2) 差別をしていない、という事に対して、感情が生まれるとしたら、それも差別でしょう。 でも、感情なしに、そこにある「違い」に対しての認識が生まれただけならば、それは「差別」でなく「区別」で終わります。 そこに、劣等感や優越感が生じない限り、 今現在問われているところの「差別」とはまた別の問題になるでしょう。 3) イ)は、差別が「悪である」という、今や共通のものになった一般的見解が元になっていますよね。 ただ、個がある以上、差はあるのは事実です。 「差別をしないほうがいい」という意識は、 「差がある」事を、暗に示唆しているのは否めません。 とすると、あえて「差がある」事を意識させる事にもなりうるかと私は思います。 「差があってあたりまえ」であり、「そこに優劣があるかを判断する基準」が必要になると思います。 何をもってして、別であるものを「劣」とするか。 それが正しいと言い切れるものなのか、否か。 これを考える事の方が、大事じゃないかと思います。 よって ロ) を当然の事と受け止めて、 おのおのがきちんと考え、 個々が、相手を思いやって生きていく事の重要性を、大事にしていく事が必要なんじゃないかと思います。 今、ちょうどテレビで、生活に対して、自由の利かない病気を持った子供が流れています。 周囲の子供たちは、生きていくために、彼女が必要としている「特別な」環境を、知識として受け止めて、 「彼女」との付き合いに、それが必要である事を感じています。 子供だから、如実にあらわれますよね。 違いに対するリアクションが。 でも、感情も、顕著です。 相手と仲良くなる事で、相手を思いやる事ができる。 すべての人が、個単位で考えられれば、それが理想なんだろうな、と思います。 長くなりましたが、私の意見です。
- izumokun
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1)について いません。人間は意識的存在であるがゆえに、常に自己を中心に考える存在です。したがって、差別は常に再生産されます。 2)について 別に矛盾は感じませんが・・・。というより、「差別をしてない」と「差別をしている人に対して差別をしている」の関連性がまったくないからです。論理的整合性が成り立たないので、矛盾は感じません。 3)について まったく同感です。その事実を認めることによって、差別を解消しようという実践が生まれてくると思います。
お礼
回答有難うございます。2)は私の説明が足りないのか、論理がおかしいのか、とにかく答えられないような質問をしてしまって申し訳ないです。1)と3)の答えですが、私も同じように考えます。差別はしないが始点ではなくて、差別をするが始点になるべきだと思います。それを認識して初めて意味のある一歩が踏みだせると、ごう慢ながら思います。
補足
> まったく同感です。その事実を認めることによって、差別を解消しようという実践が生まれてくると思います。 を読ませて頂いて感じた事があるので、 質問を足させて頂きます。 4)もし人間が差別をする生き物ならば、差別をなくそうと努力するのは意味があると思われますか? 5)(特に4で意味があると考えられた方)差別心をなくすにはどのようにすれば良いと思われますか?
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お礼
回答有難うございました。おっしゃるように差別をなにと定義するかというのは大事なことですね。もちろんそれによってどうとでも答えられる質問だとも思います。この質問を書いているときから、差別と区別の問題は出てくるであろうなと思っていました。とてもしっかりとした答えだと思いましたし、思いやりの大切さなどのところは、うーんまさになあ、という思いでした。